クロウリハムシ
「人々の、花、蝶やとめづるこそ、はかなくあやしけれ。人は、まことあり、本地たづねたるこそ、心ばへをかしけれ。」とて、よろづの虫の、恐ろしげなるを取り集めて、「これが、成らむさまを見む。」とて、さまざまなる籠箱どもに入れさせ給ふ。
「人々の、花、蝶やとめづるこそ、はかなくあやしけれ。人は、まことあり、本地たづねたるこそ、心ばへをかしけれ。」とて、よろづの虫の、恐ろしげなるを取り集めて、「これが、成らむさまを見む。」とて、さまざまなる籠箱どもに入れさせ給ふ。
<堤中納言物語、虫愛る姫君より>
瓜を食べるそうで、農家の方たちは、あまり好みそうにないですが。見ていると結構面白い行動をしています。時々、こちらを見て警戒している様子も見せています。だって、すぐ近くまで寄ってるからそりゃぁ警戒もするでしょう。
この昆虫の名前は、私のフォローしている虫好きの方に教えていただきました。ありがとうございます。
どんな感じで食べるのかなって、不思議に思って、観察してみました。口が小さいので、少しずつ少しずつ食べています。昆虫だって、生きるって結構必死なんでしょう。生死に関わる捕食者も多数いることだろうし。
しかし、旧統一教会ってすごいなぁ。政治の中枢に少しずつ食い込んでいく。目立たぬように名前を変えてまでして。なんで、そんなにお金が必要なんだろう。オリンピックのスポンサー契約に絡んだお金の収賄事案もそうだけど。そんなにお金を集めてどうすんだろう。毎回書くけど、雨露をしのぐ屋根、風を防ぐ壁、洗濯のできた衣服、日々の口過ぎさえできれば、十分だと思うだけど。
ブッダも、キリストも、お金を集めていないもんなぁ。何時ごろからなんだろう、宗教者がお金を集めて、荘厳な寺院などを作り始めたのは。宗教家も、権力を志向すると道を外れるような。弓削道鏡あたりはその典型か。
人の一生なんて、長くて100年程度。ずっとずっとその権力構造を維持できる術もないし。立派な墓に入ろうと、野辺の無縁仏の墓に入ろうとそんなに大した違いがあるんだろうか。
この頃、なぜか厭世的な思考に嵌ってしまいそう。まぁ、体力的にも問題がありそうだけど。それよりも世の中あまりにも利己的な方が多いような。まぁ、人は、信じたいものしか信じない傾向にあるとか。
訪問ありがとうございます。
例え害虫とて...
虫を観察する際(もしもこの虫に産まれてきていたならば...)をつい考えてしまう私です。
と共に、虫には本能はあれど、他の虫を思いやる感情は無い。その点、ヒトには他人を思いやる想像力が備わっているはず。
その、ヒトの良い処を見直す必要があるな!と、虫観察で更に想い直してます。
自然界は、ときには、不思議なことも起こりますね。人の世界も、また然りでは?
コメントありがとうございます。