goo blog サービス終了のお知らせ 

いちよう:二千和会だより

 会報「いちよう」を通して、人生がさらに豊かに広がるよう「今も青春!」の心がけで楽しく交流しながら散策しましょう。

桜ほんのり

2010年03月31日 | SO-Color

東海道新幹線を時速250キロで走っています。遠くの山々には桜が開き始めました。
今年は開花が早い…いやこの寒さで遅れる…地球の温暖化で狂いだして…
まあ、桜は何かと気を揉ませる花です。

 
  

近所に買い物に出ました。日が暮れても、ほんのりと暖かく待っていた春の気配でした。

  

また例の如くに旧交を温めてから、母の介護に関東へ舞い戻ります。
そのちょっと前に
駅で友達T.Wさんと落ち合い少しのおしゃべりと食事を楽しみました。
今回はそれぞれ時間が合わなくて、それでも無理して会えた喜び…、
そして楽しかった思い出につながるおしゃべり…こういうひとときが私は好きです。

  

この日の前日にマロニエ会のもう一人の方N.Oさんを交えて会おう…
という話もありました。
いつも、この機会になるべくたくさんの方に会って楽しいひととき…そんな時を喜ぶ私達です。
でも、結局いろいろなことを見合わせると、今回は発つ前の時間が
一番適当な時間だったのです。
それに何より嬉しかったのは「Sさんに会いたいんですもの。」の一言です。
会いたい…彼女のE-mail のフレーズが偶然だと言われましたが、
“aitai” なんていう言葉が入っていた時がありました。(今は代わってしまいましたが。)
この地より高速バスを使っている彼女は本当に会おうとしなければ会えません。
そこが、私は嬉しいのです。
積もる話に花が咲きました。中身の濃い時間を過ごせました。
元気な心に成れるのです。ありがとうございます。
さあ、また新幹線でかの地に舞い戻ります。
娘たち家族が集合するので私もそこに加わるつもりです。

ローカルな駅ホームにはとてもいい香りが、私の鼻に届きます。
今は満腹だし、きしめんはあまり食べませんが、この出しの香りは郷愁を感じます。
列車が来るまでの間にうどんをすすり旅立っていくおじさんたちで賑わいます。

 
 

ジパング会員だから折角何本も“のぞみ”が到着するのですが、私は“ひかり”を愛用します。
1号車から3号車をいつも利用します。殆どの場合は座れますので、今回も楽に座って、参りました。

3日に、二千和会の観桜会を兼ねて文学歴史散歩を計画しています。
コースのご案内とその日の資料を帰ったら作成しなければ…との
予定も抱えています。
その原稿はできているのでしょうか?
原稿のもとになる資料は会長のもとに置いてきていますから、きっと出来ていることでしょう…。


雨ニモ…?

2010年03月25日 | SO-Color

 いろいろ予定があるので、24日は雨だったけれど、かねてから出かけたかった美術館に出かけた。

 

 ここはお気に入りの美術館。川村記念美術館と言います。
 今日は企画展マリーローランサンの期間中で28日までなのです。友達にお誘いしていましたが、お互い予定が立て込んでいて、結局私だけで動き回りました。

 

  千葉市を抜けて郊外のゆったりした空間を有した美術館です。ほか~っとしたい時ここで優雅に時を過ごせますので、気に入ったスポットなのです。 
 とくに雨の日は良いだろうな、人であまり混雑しないだろうし、静かに私だけの空間を維持できる…と思ったのに、甘い、甘い。皆さんも同じような気持ちでここに来られたのでしょうか?次々に入館されておりました。

 

 美術館を取り巻く遊歩道もゆったりと鑑賞できます。この前庭もときどき見に訪れたくなるところです。
 雨なのに相変わらず噴水を出していて、水鳥が自由気ままに遊んでいました。
 私の限定の鑑賞は「マリーローランサン」ですから、その作品群に出会いたくて先を急ぎましたが、展示室をいくつも巡ってもなかなか現れません。これは、いつか見た作品…などもあったりして…。シャガール、ピカソ、ルノワール、大観・・・・・。シャガールの壁一面のやさしい絵は、圧巻でした。

  
  
 

  館内では撮影禁止です。仕方ありませんので、前庭の写真で我慢することにしましょう。のんびりムードで、晴れているならベンチもありますから、しばらく眺めてもいられますが、このシトシト降る雨の中では……そそくさと通り過ぎました。

 春の気配いよいよ顔をだしてくれて…ローランサンの色調にマッチするような雰囲気です。

 でもローランサンの会場で、彼女の言葉…ぎょっとするようなフレーズを見つけてしまいました。
       死んだ女より
       もっと哀れなのは 
       忘れられた女です   マリー ローランサン

…かも知れない、ネ。そのコーナーのローランサンは死んだような眼をした女人像が並んでいました。しかし、家政婦に雇った若い娘が気に入って、後に養女にしたというその晩年の絵は、明るい色調で可愛らしい娘像が踊るように迫ってきて、なかなか良い、ローランサンの持ち味が存分に発揮されていました。
 以前愛知県で観ていたより、ず~っと少ない小さな展示でしたが、久しぶりにお会いしましたね…という感じで、嬉しいひとときでした。

 

 紅白咲き分けているボケの花でしたが、ここではボケという名前では表記されていませんでした。メモしてくればよかったけれど、書き記しませんで(しまった)と、今思っています。何だったかしら?
 目を凝らして画面を見たら、『マルウメモドキ』とありました。ボケではなく、マルウメモドキ…これが本当の名前なのね。
 *マルウメモドキ?…検索して調べてみました。そんなのは無いのです。
 そこで、ツルウメモドキ?…いや、この植物の花は地味な花です。秋になると地味な花よりも、実の様子が絵になり生け花にもよく使われているお馴染みの花です。
 …とすると、やっぱり木瓜(ボケ)が正しいのでは無いかと思案しています。ご存知の方、教えて下さい。
(3/28追記)

 この花の向こうに見えるのは、レストラン「ベルヴェデーレ」です。ここで軽い昼食を頂きました。西欧の、ご夫婦らしい方もゆったりと食事しながら外の風景を楽しんでいるようでした。

春の雨そぼ降る

レストランから眺める風景のなかに
仲良しカップルが行き交う
どなたもこなたも相合傘だ
肩を寄せ合って雨の中の春を味わう

窓際で風景とともにコーヒーを楽しむ私は
その方たちの幸せも風景に溶かし込んで
ひとりの世界に埋没する
午後のコーヒーは雨の中に納まっている
いつのまにか私は風景の中に納まっていた 

 


風強し (桜と土筆)

2010年03月22日 | SO-Color

 前の晩は風が強くて雨戸を叩くように雨も降りつけました。そして明けてお彼岸の中日でした。外は家の中よりも暖かいような空気が漂っていました。
 久しぶりになってしまったお墓参り…1月の父の命日以来でした。

 
  

  気象庁の開花予想では23日あたり…きっと、そうなりそうな桜のつぼみを見ました。

 お参りして帰り道は、また渋滞でゆっくり車は進みます。車の窓を開けてすっかり春の気配を漂わせている田園風景を眺めデジカメを取り出して写してみました。外は気持ちのよい空気に包まれて、車内のエアコンもむしろ冷房の方が良いくらいで、額に汗も出てきます。

   

 あたりの空気の穏やかさに誘われて、青葉の森公園を散歩したくなりました。近くで昼食をとってからブラブラしようか…。
 10年もまえのこと、娘に長男が生まれてしばらく私の許に産後の休養をしてから帰るというころ、この公園に案内したこともあったなぁ、…また、父の命日のお墓参りをみんなでした後で、遊園広場でバトミントンなどしたこともあったし…なんて、感慨深い思いで歩きました。

 
  

 午後も回って来ると午前中の穏やかさがなくなって、風がまた強くなってきました。青葉の森公園のソメイヨシノの蕾は、〔もうすぐ咲きますぞ〕という顔をしていました。

 
 

 家族連れが芝生に腰をおろしていました。小さい子を連れた新米パパが、「タンポポが咲いているよ」、「ここはマムシが出るんだよ、怖いんだよ」…と、しゃべりながら散歩しています。カメラを構えているおじさんもいます。あれ、私はカメラを持って何気なく歩いているおばさんです…。

  

 昨日は、暴風警報が出ていたけれど、小さい枝が散歩道に折れて散らばっています。さらに根こそぎ倒されている木もありました。あの大きな樹は、椎の木でしょうか。葉の裏を見せて風にもてあそばれるように吹き荒れています。
 風の被害の少ない場所では、水仙も花大根の紫の花も倒されず綺麗に咲いていますのに…。
 風の通り道となるところが痛手を負ったのですねぇ。大きなものに隠れていることも時には、大切なんだよね。風向きを読むのが私って下手だから…なんて、今は全然身辺に関連性もないことを偉そうに思ったりしてみました。
 自然のなかに身を置いてみると哲学者になったような(?)…、こんな平凡な思考くらいしか浮かばない、私の散歩です。

 
この緑が綺麗です。地被植物一面の苔でした。
  
  

 「あら、土筆! 最近初めて見たわ。」 私が土筆を見つけて結構夢中に摘みだした頃、二人連れのご婦人が私の手にある土筆ひと掴みを見て、ナイロンの袋をちょうど持っているから…と、袋を下さったのです。犬の散歩の途中でいらっしたのです。

 もう遠くに行ってしまわれたと思ったお二人が、戻って来られて 「はい、どうぞ」と、摘まれ片手のなかにあった土筆をご自分で持ち帰れば良いのに私に下さるのです。とにかく誰も採らなかったようで面白いほどに摘めたのです。
 しかし、そろそろ帰ろうとしていた私は「どうも、ありがとう~。私、もう帰ります~」と、声を掛けてから、 「土筆摘みの写真を撮りますよ~。自然な姿で良いですからね。」…とお断りしてお二人を写させてもらって 別れました。
 風は強かったのですが、良い午後のひとときを頂きました。

 その土筆を大好きな“卵とじ”にして食べようと思ったのです。ところが、公園の中の土筆は食べられないというのです。回りの植物のために消毒や害虫退治の薬を使っているかも知れない…心配があるのですって。 
 そう言えば、そうなのかも知れない…と、食べずに捨てました。あの、ほろ苦くて春を戴いているという風流な気持ちになりきれなかった残念さが残ります。土筆にも悪いことをしてしまったような、申し訳ない気持ちで捨てました。

 


プリンタ顛末記

2010年03月16日 | SO-Color

 会報38号発行時に、プリンターが不調で縞模様の印刷になってしまったので、何とか修復しようと、クリーニングを何度も試みたが、以前のようには印刷が出来なかった。
 仕方がないので、インターネットからアクセスして、サポートセンターに試し印刷の様子を事細かに報告した。
 サポートセンターからの対応では、インク漏れにも気を配ってくれて「インクが洩れたとのこと、洋服など汚れませんでしたか?プリンターの周辺機器の汚れ、不具合はどうですか?」と気配りを頂いた。
 そして搬送業者が梱包し、送料当社持ちと手配したので、お宅まで受け取りに伺いますと、申し出て下さった。ただ、修理費用が発生するようならご連絡をいたします…とのことでもあった。

  
        不調の印刷面                業者引き取りを待つプリンター

 会報発行には、運営委員の連携がうまくいって、何とか発送できたのが4日。会報や次回散歩のご案内の発送を、3月1週までと心づもりをしていたので、プリンター引き取りは、6日(土)午前中と指定しておいた。
 以上はここの会報発行奮戦記に報告している。

 その後の報告を参考までに記しておきたい。
 キャノン・お客様サポートセンターのKという方が、メールで丁寧に応対して下さった。しかしどこで修理してくれるのかは、こちらでは判らない。仲間のYGさんが、美浜区にキャノンの修理専門部門があるから、そこに持ちこんだほうが運送・修理代が安いかも知れないと、彼女の経験を話してくださったが、その時はすでにサポートセンターにメールで指示を仰いだ後だったのだ。まあ、この度は指示のようにしてみようと決めるしかない。

 プリンターが修理に運ばれてしまったあとも、パソコンの方は何かと便利に使用できていた。
 そして修理代金の確認通知がいつあるのかと待っていると、なんと11日(木)午前中に、立派に完璧な梱包で返ってきた。修理を終えたプリンターは、茨城県土浦市のキャノン マーケティング ジャパン  関東サポートセンターからで、手厚い(?)手当てを受けて、返ってきた。

  
  
  

  修理完了で、その報告書。器具を取り替えて下さったりクリーニングですっかり無駄に使ってしまったインクも新しく入れ替えてくださって、私は大満足となった。
 
 そのあと、何故か判らないが、プリンターがまた動かなくなってしまった。
 プリンターからのメッセージは下記の通り。

*サービス エラーが発生しました。 6A00 
 
印刷を中止して、プリンタのOKボタンを押してください。
 
エラーが解除されないときは、プリンタの取扱説明書を参照してください。

 マニュアルを紐解いて、また自分で解決を試みたが、翌日は15日で下見の日である。
 いい加減に切り上げないと寝不足になるので、前回のサポートセンターにメールしてこの対処方法を尋ねるため、質問票を送信して就寝した。
 15日は中山地区から市川地区に渡っての下見が無事終わった。帰宅してメールボックスを開けたら、丁寧なサポートセンターからのメールがあった。そのメールにあるように、試みたらすっかり元のように動き出した。
 すなわち、簡単なミスからくるものだったら、機器の電源を外し、コンセントを抜いて改めて差し込めば一応の初期設定となり、スタート地点に戻るということで解決できる。

 今回は、インターネットにリンクし、解決方法のいくつかを試み、さらにプリンターのセットアップのアンインストールに続いて、購入当時のようにインストールをした。
 しかしこれは5年前に購入したもので、XP用のプリンターCDソフトなので、キャノンにリンクして、Vistaの機種対応を選択して、ダウンロード後、インストールし直した。
 なかなか時間がかかるものだが、また搬出するよりは時間的には短くてすんだということで、解決したのであった。


 


春よ…

2010年03月15日 | SO-Color

 「ひと雨ごとに暖かくなるね」…というのが春の前には実感だったのに、雨と暖かさはあまり関係のない今年の気候。
 それなのに桜は23日が開花宣言の予想である。今年は暖かいって。そうかなぁ?
 でも、庭の枝垂れ梅は、この写真より今日は随分開いてしまった。

 

もっとも、ここの梅は他よりも遅く咲いていた。冷たい風が吹いてくるからだろうか。あまり陽射しを満身に受けてはいないのだろうか。

 
 
梅の実としては結ばない枝垂れ梅だけれど、花の持つ雰囲気が私は好き。
静かにひっそりと、自分が咲いていたいから咲いているだけ…と、
誰に関わりがあるから咲いているのではないの…と、言ってくれているみたいな
ところが、好きなのだ。花はみんなそうなのだけれど、特に梅は孤高だ。


 
そこへいくと、菫はどうなのかな?と、比べて見たくなる。
群れ咲くスミレは、良いよ。ひとりでひっそり咲いているよりもたくさん仲間を作って咲いている方がいいよ。

  
  


 うすむらさきのスミレは一昨年のお彼岸過ぎて、佐倉に下見に行った時に見かけた菫。
やっぱり、群れ咲くスミレが、一本だけの菫より美しいと、私は見てしまうなぁ~。
どうでも良いことだけれどね。


お寺と中山文化村

2010年03月14日 | SO-Color

 中山文化村とは、個人の寄贈によって住まいを市川市に、とのことで市民に還元していることでできているのです。
 中山地域の「市民案内人の会」を置いている、清華園(平成4年9月)は、石井はな氏の住まいでした。石井氏宅は江戸時代中ごろからこの地に住んでいて後に文房具屋さんになったとのことでした。2階建てのお宅は和室3部屋と広い庭園を、市に寄付して、市民の憩いの場として活用されています。
 もうひとつは旧片桐邸。これは川原君江氏の寄贈。川原氏の御尊父が電器問屋で成功されて、設計者を選んで建築に庭園にと手がけられ、父君亡きあとに市民に開放するようにと寄贈されたのです。

 お金持ち(?)や、有名な方が住んでいた特徴を持つ下総中山駅から中山法華経寺周辺。この日は回らなかったけれど、東山魁夷記念館も、この地に住まわれた魁夷を記念して、建て直されて記念館になったのです。

 まだ、法華経寺の境内をご案内ボランティアが続いております。

 
境内をずーっと奥へ進むと、聖教殿(しょうぎょうでん)。
この建物は正倉院のようなもの。国宝や国指定重文など貴重な資料を保存するための建物。
年に1回だけ市民に開放される。
11月3日の朝8時に晴れていたら、その日の11:00~13:30の間
観覧することが出来るそうである。
この周辺はお花見にお勧め。静かで適当な広さがあり、MTさんは「家族の花見はここでしているのよ」
…ということでした。奥の方だし人の出入りも少ないし良いかもしれないと思いました。

 
 
中山大仏は八代将軍吉宗(1719年)の時。
江戸神田鍋町の鋳物師大田駿河の守藤原正義によって鋳造。
銅製釈迦如来坐像で、約4,8m台座約4,5mの露座の大仏さま。千葉県内では一番大きい。

 
昔からの日本人の知恵からくる免震構造になっている五重塔。地震による五重塔の揺れは
龍が昇っていくような塔の動きをしながら、地震国日本でも倒れない構造の秘密が
あるんです。
その辺の説明に耳を傾けて下さい。私は簡単に説明できませんから。
千葉県内で五重塔は、ここしか無いし、国指定の重要文化財です。
   
その五重塔の足元に、さざれ石が巌となる…という名石があります。
細石が集まっていてこれがやがて大きな石となる(なっている?)とうたっています。

 法華経寺本院へ靴を脱いで上がり、奥に祀ってある鬼子母神堂にお参りしました。
 この写真は祖師堂を正面に見て建っている灯篭。青銅になって上品な風情を醸していました。
 その辺りに蒋介石像もあるが、1時間半でお願いして端折っていたようでしたが、乗ってしまった私たちの空気に押されてのご案内で、2時間もお付き合いしてもらっていたのです。お昼になりましたので、ボランティア柴田さんと別れました。

  
上の写真は片桐邸。この日は休館日でした。

  この地にお住まいのMTさんに、ボランティアの後の案内は彼女にお願いしながら進みました。前もって彼女の家に「休憩させてもらって、いいでしょうか」と伺っていましたので、そちらの方に向かいながら周辺を見学して行きました。

 カメラは省きましたが、奥の院では日蓮上人が幕府から襲撃をうけて、この地に逃れかくまわれた場所が、お寺、奥の院と呼ばれるようになったのです。
 ここでは大きな日蓮上人の像に見守られて無数の小さなお地蔵様が見事に並んでいました。水子の霊を祀っているとのことです。
 この一角には滝もあり凄い水量で滝が落ちるそうですが、一定の時間しか流れない人工の滝で、訪れた時はお話だけでした。
 

下の写真は日常上人の廟所。
 
紅梅の咲き終わりの頃でしたが、遠景でみるとまだまだ咲き誇っていました。 

 廟所は紅梅が見事でした。この辺りを一回りしてのち、MTさんのお宅がこの近くですので向かいました。彼女のお宅にお邪魔して、熱いお茶を戴きほっと一息のゆったり時間になりました。そして温かいカレーうどん、親子どんぶりなどを店から取り寄せてもらって、お腹も満たし心もいっぱいとなった一日でした。
 天気予報通りに、午後奥の院への道筋で、額に一粒の氷雨が降りてきたのを感じましたが、傘を開くことほどではありませんでした。
 けれど暖かいお部屋に座っておしゃべりに花が咲き、旧交を温めながらのひとときを楽しんでいるうちに、4時過ぎになってしまいました。彼女宅をおいとまする時には本格的に冷たい雨が降って居りました。


千葉県の京都・法華経寺

2010年03月13日 | SO-Color

 ここ、中山法華経寺はあまりに由緒ある建物が多くあり、“千葉県の京都”だと評したブログもありました。
 身近にあると、何が大切であるか、尊重しなくてはならないかが、判らなくなります。案内をボランティアして戴いた結果、浅く考えていた私は、思ったより観る価値やその多さもさることながら、その背景に含む歴史の重さに驚きを持って拝見いたしました。

 
  

  今は水のない窪地の上の橋ですが、まず橋の欄干には、鬼子母神の象徴のザクロの実、そして中山法華経寺の建立や充実に力を注いだゆかりの方―桔梗紋と揚羽蝶の紋が模様になっています。

 

  皆さんの後ろ姿が寒そうです。でも防寒に徹した服装だったから、思ったほどは寒くありませんでした。KMさんの少々歩き姿が乱れていたのは、フードを被ろうとしていた様子の時でした。

 前に見えるのが祖師堂。1325年創建。以前は「三層しころ屋根入母屋形式」だったけれど、1987(昭和62)年~1997(平成9)年の10年がかりで創建時の「比翼入母屋造り杮葺き(こけらぶき)形式」に復元されたとのこと。
 屋根を二つに並べた珍しい形式の屋根はその真ん中に雨が沁みたり漏れやすく、管理維持が難しいので、他には備中の吉備津神社本殿(国宝)に見られるのみだそうです。
 この「祖師堂」と「五重塔」は国指定の重要文化財です。
 五重塔は本阿弥光室(光悦の甥)が両親の菩提を弔うために加賀藩主前田利光公の援助を受けて建立したものとのことでした。

 
 

  寺内の墓地には正田家の墓地もあり皇室に嫁がれる前に皇后美智子さまがお別れのご挨拶に来られたとのことです。
 また、総門の扁額の書を書かれた本阿弥光悦の分骨されたお墓に詣でました。その他、田山花袋の叔母・姉のお墓もあるとのこと。

 比翼入母屋造り杮葺きも、もう少し判りやすい位置でカメラに納めて見ました。

 祖師堂の裏に刹堂がありますが、ここで美智子さまの御祖父さまが百年前になりますが、行をされるために建てたものだと聞きました。屋根は上から見ると五角形に組まれた立派なものでした。
 

 
祖師堂 
日蓮宗の祖、日蓮と歴代六祖を祀るお堂。
1678年建立で焼失などでの再建を経て後、10年がかりの修復工事が行われている。
 
刹堂

   

  裏山の刹堂、法華堂、宇賀徳正神が並んで建っています。その前位置に「私におみくじをつけないでください 梅の木より」と ユーモラスな注意書きが梅の枝にぶら下がっていました。
 その脇に四足門(国指定重要文化財)があります。鎌倉から移築されて法華経寺本門の玄関門でしたが、今の位置に再度移築されたのです。これは室町時代の様式で細かな装飾や柔らかに曲線を描く「海老虹梁」という梁が特徴ということです。

 


寒い日でした。

2010年03月11日 | SO-Color

 下見の予定が9日でした。下見のための準備に、案内をしてくださるボランティアをお願いしていました。予定していた9日の天気予報は、寒くて午後からは雪が散らつくかも知れないという悪天候のため、一週間延期ということになりました。

 一週間あとだとボランティアさんは予定が埋まっているとのこと。折角だからと、中山在住の友やその当日参加できないという友達を誘って午前中は何とか持ちそうな予報だったので、小ぢんまりと出かけて見ようと思いました。友達三人は、二つ返事で「行くわ」と。
 一人でもご案内します…と、ボランティアの栞には書いてありますが、勿体ない事ですので、友達をお誘いして良かったと思いました。私は、多分当日は写真の記録などで、腰を落ち着けて説明を聞けないと思うことも心配されますから。

 
青い帽子の方が案内をボランティアをして下さった柴田さん。後期高齢者だとか。
人に接するお仕事で、張り切っていらっしゃるからか若々しい。
  
これは仁王門(赤門)。扁額の書は寛永三筆の一人、本阿弥光悦の筆による。
総門(黒門)は今再建するため取り壊されていました。
中山在住のMTさんは「見慣れてはいるものの初めてご案内戴くわ」…と、熱心に耳傾けておられました。
 
東大の赤門も、ここの赤門も前田利光公ゆかりのものですよ、と。
振り返って参道に目をやると、桜の並木…立派なお花見が出来そうです。
桜のトンネルが素晴らしいでしょうと思われます。
 
前を見れば五重塔の回りも桜が春…花時を待っている様子が見てとれます。

  
徳川家斉(いえなり)の時代に幕府の祈祷所としてよく通われていたという智泉院。
側室お美代の方の実家であり、祈祷するうちに美しいお美代の方を大奥に参内させたか、
お美代の方の実家だから将軍が通ったのかはよく聞いていなかったが、
お美代の方と好い仲になった人がいて…、
幕府のお叱りがあり、そのうちに智泉院が廃れたとか…。当日の説明ではっきりさせて下さい。
梅の花ももう終わりだけれど、そんな話題を語るにふさわしいような花の風情でした。
  

 こちらは遠寿院(おんじゅいん)  鬼子母神を祀ってあります。
 入谷の鬼子母神はここの分院で、中山の方が本院ですよ、との説明がありました。枝垂れ梅が見事に咲き誇っていました。
 因みに鬼子母神の「鬼」の字は角(つの)がない変体の漢字を使っています。
 他人の子供には鬼のような惨いことをする母親をこらしめるため神様が彼女の子供を神隠し?…、気が触れたように参って、反省してからは、全ての子供を大切にする神様のようになったという。そこで特別に「鬼」の字の角を書かないようになったのだそうです。

 遠寿院鬼子母神堂(本院の方にも、鬼子母神が祀られている。)は、明治後期に皇后美智子さまのご実家、正田家が筆頭勧進となり寄進なさって出来たお堂とか。

 遠寿院荒行堂の扁額は富山藩主前田利幹(としつよ)の揮毫。右の写真は荒行堂瑞門。枝垂れ梅の右奥にあります。あのしめ飾りの門です。大荒行の入行(始まり)11月1日と、出行(終わる)2月10日の年2回しか開かないのだそうです。

 

 その門の前には、葵のご紋がついている水盤。江戸時代に徳川将軍家から寄進されたという。
 荒行堂の門が2回しか開かないのだから、修行でここの水を寒い時期に被るのかと思ったがそうではないのかしら? すると、この水鉢は何に使う?

 何しろ沢山の建物やゆかりのお寺の建物が幾つもあり、私の頭は混乱しています。

 


人形作家からの応援

2010年03月06日 | SO-Color

 有難いことに、私が足を痛めて撮りこぼしがあったことについて、応援の添付メールがありました。
 まぶたに残っている映像ばかりでした。下記に載せますが、部分的ピックアップではなくて会場全体の雰囲気が見えるような映像です。

 
 

 四季に遊ぶ人形たち。
 はじめに賑やかなお雛祭り、春の華やかなお花見、夏の活き活きキャンプ生活、秋のしっとり夜長の嫁ぐ娘への語り、冬のワクワク、クリスマス…を、主なるテーマとして展示されていました。

                
冬の行事、背景に夏の出来事と、春の楽しみ、秋のある夜の思い出…。
 

 ちょっとだけこだわったクリスマスの照明。
 ライトダウンの映像、夜としての演出には、ほんの数分間をメインのハウス自体からもれ出ずるの明かりを浮き上がらせた効果を出したいとのこと。生憎照明は会場管理の方の手を借りなければならないとのことで、私たちが訪れた時にはそれを見ることが出来なかった。
 そのために、その映像を送って下さると、人形作家・とよ子さんとの約束だったのです。人形展がすんで間もなく、とよ子さんの旧友の方々とお鍋を囲むお楽しみの旅に出かけていたとのこと。お疲れのあとのひとときは、素晴らしかったことでしょう。

 
  
上、会場照明は通常のまま。下の左は明かりをダウンさせて、右は夜の明かりを表現できた。
残念に思うことは窓からだけの明かりを写しだせなかった…のかなぁ?
三脚を使って、フラッシュを焚かないで撮ると、本当にとよ子さんが表現したかった画像になったのだろうな。

  
左…画伯の自画像に挑戦する風景   右…吊るし雛 前のお内裏様二組みが可愛かった~。

 お陰さまで、どうやらあの日の作品展の内容が皆さまに伝えることが出来ました。とよ子さん、ご協力ありがとうございました。


おひな祭り

2010年03月04日 | SO-Color

 「アクタードール姉妹展」の続きです。TA(とよ子)さん、SW(すみ子)さんの制作される人形展は、まだ半分だけのご紹介なので、あと半分のシーンをご紹介します。
 2月終わりにアップしていますが、そのシーンの続きを見てください。

 嫁ぐ前の日に、みかんを食べながら母との語らい。しみじみとしたヌックイ空気が包んでいます。衣桁に掛けられた白無垢の内掛と、その花嫁衣装。結納が三方に乗り片隅にはコスモスが見える。 

 この場面は野点風景。 お琴の調べが流れ、赤い日傘を立てて野点を楽しむのだ。この、日傘の根元の黒い支えは、作者の苦労がある。糸巻きの芯を活用し下の部分に三角の木を添えたところが工夫のミソ。ここでようやく日傘の重さに耐える安定性ができたという。お話をゆっくり伺えば、その奥深い苦労と工夫と考え続けて実を結んだことばかり…。面白いなぁと思う反面大変な研究心である。

 嫁ぐ日の内掛も、裁縫で習ったのではなくて、美容院から実際の衣装を借りてそれを見てつくり終えたという。ふきに綿を入れてふっくらと仕上げるなんて、なかなか出来るものではない。研究熱心の心があるからこその作品だよね。

 ボーイスカウトのキャンプ生活の再現。テントや木製の椅子、後ろの少し見えにくいが、精密な出来の自転車。身長40センチ前後の人形に合うサイズの道具を探すこと、本当らしく人形が演じることが、なんとも言えず愛らしい。

 12月のクリスマス前夜、サンタクロースが煙突から入ろうとしている様子。ゴールデンレトリバーの尻尾が、何かを期待するように、振っているような気さえする…。

   

 ちょっと角度を変えて写してみよう…。
 嫁ぐ日を待ってのひととき。お人形たちはこちら見る側の心を写し撮って表現しても居るんだと思ったりする。
 サンタクロースの場面では周りの照明を消すとお家の中のほっかりとした明かりとくつろぐ人形たちの顔が見える。でも会期中は明かりを落とすことは難しいので、たった一回の、その短い時間照明を消したという。見たかったなぁ~。

 
 

  趣味でロクロを回して、幾つも失敗してしまう初老の男性。なかなか難しいものですね。
  「大草原の小さな家」的、牧歌的シーン。これも実現するまでに大変な苦労があったとのこと。とよ子さんのお話に思わず引き込まれる。

 この馬は、お友達がアメリカから抱きかかえて、とよ子さんたちご姉妹のために持ち帰ったとのこと。「あ、良い!」「きっと喜んでくれるに違いない」…こんな思いで一杯だったのだろう。美しい話である。

 どうぞ、楽しんで行って下さい…と、ピエロがとよ子さん、すみ子さんに代わって、言ってくれているみたい。

バス停での人々。

 もう一つの新聞や雑誌でのアクタードールのご紹介です。
 その後、お礼のメールを送信しましたら、搬出でお忙しい、その晩に早速メールを下さった。以下は、とよ子さんから、お出かけの皆さんにも読んでいただきたくて、ここに載せてみます。

SOさま            〔2010.2.23(火)21:41〕

今、搬出が終わって帰宅しました。搬入も搬出も沢山の方々のお手伝いを頂き、無事に終了することが出来ました。
荷物は車に積んだまま、明日降ろすことにして、今、やっとホッとしてパソコンを開きましたら、
SOさんからのメールが到着していました。
今日は本当にありがとうございました。

腰が心配でした。良くなりつつあるとは言え、まだ少しお辛そうだったので心配しています。
どうぞくれぐれもお大事になさってくださいませ。

会期中にご来場頂いたお客様は1437名。
初日は午後1時半からでしたので、実質4日半と言うことで、とても驚いています。
一日平均300名ものお客様が見えたことになり、こんなにたくさんの方々が
ご来場くださったのは初めてでした。

土日は時間帯によっては会場が人で埋まり、ご案内状を差し上げたにも関わらず、
ご挨拶も出来ぬまま気がつくと帰られていて、失礼してしまう有様でした。

狭い空間のギャラリー「風」では演出したくてもできないことを、
今回は四季をテーマに展示してみました。

いつもと場違いの中で、人形たちも戸惑っていたようですが、一生懸命演じてくれました。
終わって箱に詰めながら、一体一体に「御苦労さま!」と声をかけながらしまいました。

会期中は余りにも沢山の方々と接して、かなりの興奮状態になり、
眠剤のお世話になって眠りました。今日からはゆっくり眠れるといいのですが・・・・。
オリンピックがどうなっているのかも分からず、やっと現実に戻った感じです。

沢山の出会いと縁を、今回も感動新たなうちに書き残しておきたいと思っています。
ご多忙の中、遠方よりお出かけ頂き、本当にありがとうございました。
お会いできて嬉しかったです。
そして、すぐに、こんなに素早くメールを頂き、疲れも吹き飛びました。

ギャラリー「風」の方は何も考える暇がありませんでしたので、3月はお休みさせて頂き、
4月ごろから始めようと思っています。ブログ用に使えるような写真が在りましたら
後ほど選んでお送りしますので、今しばらくお待ちになって下さいね。

どうぞ、お身体の一日も早いご回復を念じています。

ありがとうございました。

YGさんやKMさん、お友達(AKさん)にもよろしくお伝えくださいませ。       《TA.》