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いちよう:二千和会だより

 会報「いちよう」を通して、人生がさらに豊かに広がるよう「今も青春!」の心がけで楽しく交流しながら散策しましょう。

錯覚

2012年08月06日 | 雑記自由帳

暑中お見舞い申し上げます。

皆さま如何にお過ごしでしょうか。
オリンピックのLiveと、寝苦しい熱帯夜に寝不足の毎日を送っています。

日本勢の熱戦に思わず力が入ります。
そして勝った皆さんが、異口同音に言っている言葉が
「おや?」と思わせるのですが、私だけでしょうか。

重量挙げの三宅選手の勝った時の感想は耳新しく、それは自然に聞きました。
「この喜びを得たのは、日本の皆さんの応援のおかげです。」
皆さんが支えてくれたからこそ…と、
非常に謙虚でした。

もっと、自分の血のにじむような努力の上にあっての喜びを見せても良いのに…。
この勝利はあなたの励みによってですよ。
その辺りは
日本の皆さんが理解しているのだから敢えて言わなくてもいいのだと
まるで申し合わせたように受け取れました。

その後の勝者も似たような言葉をまずおっしゃいます。
謙虚な日本オリンピック選手だわ、ヤマトナデシコの精神…
…と感じたことでした。

ところで、下の目玉焼きですが、みんな同じ映像からとったのです。
その黄身が、角度やその時に依って、へこんで見える時があります。

横にしたり縦にしたりすると、頭で理解していたことの影響で
へこんで見えてしまうことがあるんです。
ちょっと変ですが…。


また、音楽チューブ

2011年01月15日 | 雑記自由帳


実は辛島美登里の歌もよく聴いていました。

今日はお友達Risaさんと電話で長々としゃべっていました。
柔らかい、温かなきもちになれることは
人の心の大事な支えともなります。

なぜか、この歌を聴いてみたくなりました。

別の楽しみ方など、広がる気持ち…
素敵なやさしさやキラキラと輝く気持ちになれるような~~
言葉の海でおよぐような~~
そんな詩を書けたらいいと思うけど、なかなか…
やはり気を若く、いつも青春…ということを忘れないようにしたいね。

平原綾香 威風堂々

 


Jeje島の3日間(3日目‐2)

2010年11月14日 | 雑記自由帳

  
ディズニーランドの庭のような造りの、ここはロッテ免税店。

 
買い物にはあまり気のない私たち。美味しいコーヒーとケーキを戴きましょうと、
気が合うのです。この満足そうな雰囲気を見てお分かりでしょう?
韓国の食事は、口に合わないのです。もうそろそろ、日本の温かい濃いお茶が飲みたい…気分。

  

  

 
この免税店で、成田で両替した5000円分のウォンを使いきってしまいましょう…
ということです。次は柱状節理(天然記念物443号)へ参りましょう。

  
バスを降りたら、この風…。髪が乱れてもまあ、良いよね。

  
そして、ガイドさんは、日本には柱状節理も、滝もこの比ではないと思うけれど
まあ、折角だから見て行って下さいと、とても謙虚に案内されました。
天帝淵瀑布は遠くから眺めるだけ。

滝を観賞するために造られた橋はかなりの傾斜の太鼓橋でした。

       
以上ぐるりと3日間のささやかな休日でした。
済州島発18:10 空路帰国の途に着きました。お夕飯は機内食で成田へは20:30 に到着。
皆さんとお別れはちょっと、寂しい気持ちがわき上がるけれど、それぞれのお家へね。

10月29日の結城バスツアーで、また会いましょう…。

 


Jeju島の3日間(3日目-1)

2010年11月11日 | 雑記自由帳

今回の済州島観光の足跡。行きは2時間35分の飛行で到着した。
ピンク色のサインペンで標したところを
我々一行は丸3日間で移動した。

 

市内レストランで鮑のお粥朝食。韓国済州島で最後の朝である。
体調を崩されたKMさんはまだ青白い顔色である。けれども快復の模様がみえて、一安心。

  

今日は最終日。バスで島の中央の山へ。
左は逆光だが、漢拏山(ハンラサン)を背にして。右はハンラサンに向かって微笑む7人。

  

昨日の牛島で説明は受けていたが写真が撮れず、今日はそれを目に付けて撮影。
島の人たちのお墓である。どこを掘ってもゴロゴロと石が出る土地柄。それを集めて囲いをつくる。
その真ん中の丸い土盛りがお墓である。大体は家族で…というより、一人の為の墳墓。
人口の割に余っている土地があるということだろう。
日本人は習慣から、ひとりで寂しいだろうと思ってしまった。

  

山房山と山房窟寺(島の西側方面)

  

健脚な人たちはこの山房山の窟寺のあるところまで登って行ったが、私たちの一部は
下にあるお寺をお参りして見学していた。

  

日本の水子地蔵みたいに祭ってあった。

  
 

山門の向こうに見えるのが、山房山。珍しい山の形である。

   
 
待つ時間が長いね…と、少し登ることにして200段くらい登ったであろうか。
けれど、やはり階段が長~く続いているのは、恐怖である。引き返して待つことに徹することにした。

     

ようやく山の散歩コースから戻って来られた皆さんと記念撮影する。
見渡すと中腹までバスで登って来ていた。今日もまた、名物の強い風が吹きつける日で髪の毛が乱れるぅ~。


Jeju島の3日間(2日目-2)

2010年11月03日 | 雑記自由帳

ライオン岩の上方に歩いて行きました。傾斜のある道の上には自動車のタイヤを細く切って
つなぎ合わせ、歩きやすいように工夫していたことに、珍しさと手の混みように感心しました。

  
  

ちょうど牛の腰の先端辺りで、同行の7人が揃いました。風が強く、寒くさえ感じました。
更に左手に昇って行く道があります。ふと見ると、若い女の人が自分自身を写そうとしていましたので、
カメラを預かり写してあげましたら、韓国の方でした。
スタイルから顔つきまで日本人ぽく思われたので、気楽に声を掛けたのです。
ところが、英語を使って話すので、日本の方ではないと分かったのです。
   
  
親しみを感じてくれて、私はヒーキャンです…と、名乗られたので私もつい、名前を告げました。
そして、キャンちゃんも私に親しみを感じてくれて、一緒に写真を撮りましょう…とか、
日本へ行ったことがあるとか、六本木や渋谷に、銀座に…と行ったことのある地名を話しだしました。
可愛い人柄と感じました。
富士という言葉に富士山かと私は早とちり…彼女のデジカメは日本のFuji製品だったのでした。
キャンちゃんは、ギター持参でこの島に遊びに来たのです。
時間になったので、別れてバスに乗りましたが、次の観光の場所のところで、
またもキャンちゃんに会えました。今度は私たち一行と記念写真に納まりましたが、
やはり私のカメラにはとっても優しい笑顔をしてくれましたよ。

 

下の写真はゴリラの横顔に太い指を口にくわえようとしているみたいに見えるでしょう?
とのガイドさんの案内。そう言われれば…ネ。

  
  
先ほどの船酔いか、バス酔いを起こしかけたFIさんは、すっかり冷たい風に当たって
ご機嫌を取り戻しました。後ろの海女像のスタイルで、「ハイキムチ!」
好い笑顔です。

  
 
 
西濱白沙でのひととき。
珊瑚の砂浜です。そこで、CKさんは、500ウォン(約40円)の硬貨を拾ってしまいました。
ガイドさんに手渡そうとしましたら、
これは幸運です、幸いがついて来たのだから貰ってくださいと、言われたそうです。
今日も、みんながツイています。
下左は見えにくいですが、海女がアワビ取りをしていました。
ちょうど海からポッと上がって来た姿をとらえて私たちは船上から手を振ってみましたら
お仕事最中の海女さんが、手を振り返してくれました。
些細なことですが、フレンドリーな優しさを感じました。

  

次は城山日出峰。(天然記念物420号)
右はWebからの映像ですが、上から捉えた写真。噴火口が時を経て広く草が生えて綺麗な緑です。

  
  

全部が階段だというので、上ることを諦めました。
登らずに下で写真を撮ったり、約1時間の暇つぶしをした4人です。
TMさん、CKさん、KMさん、SOさん。

  
 

あ~、立派…凄いなぁ…。汗をかきながら、頂上まで登って来た3人の方です。
MTさん、FIさん、AKさん。

済州市から東に48km離れている
城山浦海辺の城山半島の上方に噴火口となっている石山です。

高さ182m、3万余坪の王冠型であり、99個の奇岩峰と青い海の上に
昇り出る日の出は実に壮観とのことです。
西の城山港には120トン級の観光遊覧船が1時間毎に城山日出峰の周りと
牛島を一周運行しています。

次は万丈窟へ。
溶岩が流れて洞窟を作ったものです。自然の為せる技というものですね。

 

   
ここの溶岩石柱のところで、観光道はおしまいです。
此処を、また同じ道を引き返して、帰りました。
  
   3日間のガイドさん恩朱(ウンジュ)さん。
 
       

済州島案内図の右上の部分を今日は巡りました。
風が強いこの島は風力発電のための風車が回っています。
夕食は海鮮寄せ鍋。その後、昨日オプションに挙手したNANTAの公演を見に行きました。

 

   

NANTAという、叩くことでストーリーを展開する劇場での見物。
キッチンが舞台になって、包丁でリズミカルに調子を取り、キャベツや胡瓜、鍋、フライパン
ゴミペールを舞台道具にして、また会場からエキストラを登場させたりして、うまく観客を巻き込みながら
笑わせたり感心させたりの、観客も動員する、かなり活動的な出し物でした。
世界進出の劇団で、幾つものグループで構成されているとのこと。今回はグリーンチーム。

前回の中国でのサーカスのようなアクションよりは面白かったという感想は、
私たち仲間のなかでの感想で、評判があがりました。
ガイドのウンジュ・ヤー(恩朱さん)も、このNANTAの
グリーン・グループ・リーダーのファンだと言っていました。劇場の半分の観客に手を叩かせる時に
ジェスチャーで、全体の半分の座席を「パー」と盛んに言ってましたが、
これは「半分」のことだと、ウンジュ・ヤーが帰りのバスで解説していました。


Jeju島の3日間(2日目-1)

2010年10月31日 | 雑記自由帳

  
 
  

昨晩、気分がすぐれなかったKMさんと、同室のAKさんは
早起きしてホテル前の海を見ながらウォーキングをして来ました。
その後、ツアー客39人全員集合で、近くのレストランへ
朝食ウニワカメスープとご飯辛い副食を食べに行きました。
その後貸切バスでJejuDo東方面に移動します。

   
  
JejuDoは火山から出来た島。至る所、掘り起こせば岩がゴロゴロと玄武岩が出てくるのです。
今、島の廻りの道を整備中の個所を走ります。

  
韓流ドラマや映画のロケ地としても有名だという(私たち一行にはあまり観ていないという人が多かったが…)
牛島海上国立公園へ、フェリーに乗り換えて向かいました。

  
  
バスや、船に酔ってしまったFIさん。冷たい風に当たり、島に着いて、どうやら気分を取り戻しました。
島の形状がちょうど牛が寝そべっているような姿のため、牛島と言われています。

  
  
このフェリーボートで、島に着きました。
防波堤にはトルハンバンなどのレリーフが並んでいました。

  
牛島の象徴、牛の像の前で韓国のご両親が、4歳くらいの
娘を座らせて記念撮影をしていました。右の写真はライオンの横顔に見えるライオン岩。

この後、後海石壁、東岸鯨窟、指頭青沙、西濱白沙を訪ねて、昼食は鯖煮つけ定食です。
昼食後はまた、船で済州島に戻ります。
そして城山日出峰(天然記念物420号)、万丈窟(天然記念物98号)を見物する
メニューとなっています。
  


Jeju島の3日間(1日目)

2010年10月27日 | 雑記自由帳

夜半は雨が降っていたのに、出かける5時20分には雨が上がっていた。
モノレール、JR、京成と乗りついで成田空港へ辿り着く。
初夏に行く予定も立てたが、不幸があって見あわせた済州島行き。
例の小学校時代の旧友7人の気心知れた仲間たちの一群。

 
 
KE0718便 09:45成田空港発済州島12:20着。
およそ200年前、火山の噴火によって出来たと考えられる島で、
主に玄武岩溶岩から成っている。

 
 

朝鮮時代には流刑地でもあった。
韓国併合により日本の領地となったこともある。
1948年済州島4・3事件では島民が韓国軍などにより虐殺された。
それから逃れるために日本に渡ってきた在日韓国・朝鮮人も多いとのこと。
朝鮮半島本土とは違い済州島民の性格は温厚で生活様式が日本に近いと大宅壮一の著書にある。
 
  

  

済州島名物というアマダイ焼き魚定食の昼食。
食堂へバスに乗ってまず直行。店には写楽の版画が壁に掛けてあった。
店主は京都に少し滞在したこともあった日本を理解している日本びいき。

辛い副食が6品。ご飯、みそ汁の器、箸がなんと、金物で出来ている。
ご飯が熱いと器が持てない。こちらのエチケットは器をもたずに食べるのが正式か。
金属食器は皇帝への食の安全からという歴史に立っているとのことだ。
金属なら、毒物が混在していれば変色するから、その事故防止ということになる。
しかし、見慣れないし使いなれないから、何だか犬か猫の食器のような感じだ。

  

「おいしかったですか? 美味しいという韓国語は“マシッソヨ”」
辛いのは閉口する。副食は箸をつける程度…日本人客はあまり箸を進めないだろうから、
お変わり自由と言われても遠慮してしまう。
不味いという言葉はないのだろうか?
食べられなかったという言葉は?

食後は免税店へ。
その後神秘か、お化けかの「トケビ道路」に。見ているとどうしても下っているような坂道が、
上り坂なのだ。風景をみるが上り坂とは合点が行かぬ。
水を路面に流し水平器を置いてくれてもますます納得がゆかぬ。頭が混乱するへんてこな道。
風景が誤魔化しをつくり、目の錯覚を起こさせる。

  
ガイドさん(白い服の人)の指さす方向に下っているんですよ…と説明しています。
全くの、上り坂に見えますよね。
  
矢印→の方向に登っているのです。おかしいことですが、錯覚としかいいようの無いことです。
 


下り坂? いいえ、上り坂です。
上り坂? いいえ、下り坂です。
車のエンジンを止めると、確かに上っている方に車は移動してしまう…下り坂だった。

  

 

三姓穴という、日本の古事記のようなお話がある…この島の発祥地とされる場所。
日本のイラストレーターが描いたというビデオを15分くらい観賞させられました。
 
  

何処にもあった、この石爺さん・トルハンバンは、右手が上になっている方は
「文」学問の守り神、左手が上になっているのは「武」身体健康から命の守り神という。
道祖神のような、親しみのある神様らしい。
更に女性のガイドの説明は、上から見ると、男性のシンボルに見えて、石じいさんの
鼻に触ると男の子、耳に触ると女の子が授かるというおまじないもあるんだそうな。

 
 
  

島の真ん中の一番高い山、漢拏山/ハンラサン から流れ出た溶岩(玄武岩)が形作った
龍に見える岩を、背景に記念の写真を。
あら! もうお二方は何処に? すでに岩の向こうを見学中だった。

  

龍の反対側にはローレライのような、下半身が魚の尾をもっている像が座していた。
お顔がアジア人なので、違和感を感じた。既成概念というものは動かし難いらしい。
 
  

二日間お世話になるホテルにひとまず荷物を置いてから、またバスに乗って近くのレストランに行く。
その途中で見たコスモス。バスガイドは島の生き物はみんな可愛いくて小さい。
足が短い。馬もスラッとはしていないと、言われたが、ガイドさんは背も高くスマートでした。
夕飯は「黒豚オギョブサル」を美味しくいただいた。

  

焼きながら、葉に包んで口に運んだ。
まあまあ、美味しいと思って食べた。少し元気がないKMさんは、
お腹の調子も悪くて、部屋に帰ってから、
食べた物をすっかり戻してしまったとか…。消化不良をおこしたか、調子がイマイチだったようだ。

3日目のバスのなかでの、ガイドさんの話は…、
最後にお話しします…と前置きして、昔は黒豚は人糞を食べて大きくなったのです。
だから「うんこ豚」と言われて「お便所」の下に豚が待ち構えていて、人の便を食べたんですって。
ことに男の方は結構な被害者でそのシンボルを糞と間違えて
齧られたことも珍しくないと、面白く話された。 しかし…「ウヘェー!」ですよ。


この可愛い浮き草

2010年06月26日 | 雑記自由帳

これは何だと思いますか?

6/29 追加
K.M.さんから…「ミズオオバコ」じゃない?とヒントがあった。検索してみると
水の中にオオバコ(陸には至る所に生息する)みたいな葉っぱがあるらしい。
その中までは覗き込んではいないが、花は非常によく似ていた。
同時に水生植物として他の名前にも当たれた。
もしか? 浮き草だけを見ると、フィランサスフルタンスかも知れない。
その花は明記されてなかったから不明。白い花は一面の浮き草の花ではなくて
浮いて見えている葉と、水中に生えている葉、二種類の水草があったのかも知れない。

その後も見つけてみたが葉っぱは下記のURLが一番似ていた。
ウキクサという名前のもの→

http://www12.plala.or.jp/aquaroom417/plants/ukikusa.html
 

 
金魚を買ったときに涼しげに浮き草を水槽に入れて楽しんだりするが、
ホテイアオイのような立派な草に、頼まないのにくっ付いてきて、あっという間に
増える浮き草の一種だ。
水面を覆うほどに浮いているあの草だ。
この邪魔っぽい浮き草は、庭で言えば雑草なようなもの。
花など期待していなかったのに、愛らしい姿で咲いていた。
その繁殖が異常に早くて
要らないような風情の草なのだ。

ちっとも知らなかった。
こんな可憐な花をつけようとは想像もしていなかった。
 
どなたか、この浮き草の名前を教えてください。
葉の大きさ…人差し指の爪の約1/4
花の大きさ…人差し指第一関節くらい
写真では想像しがたいと思ったので、大体そんなところの浮き草です。

 

 


満月

2010年01月30日 | 雑記自由帳

今日の月は満月だ。厚い雲からひょこっと顔を出してくれた。



 ♪ お月様幾つ?
十三、七つ  まだ歳ゃ若いね
あの子を産んで この子を産んで 誰に抱かしょ
おまんに抱かしょ
おまんどこに行った 油買いに 茶買いに
油屋の前で 油一升こぼした
その油どうした?
…???


その後に続くのだが、今思い出さない。インターネットで検索したら次のようだった。

 

♪ お月さん幾つ 十三 七つ
まだ年ァ若いね あの子を産んで
この子を産んで 誰に抱かしょ
お万に抱かしょ お万どこへ行た
油買いに茶買いに 油屋の前で
滑って転んで 油一升こぼした
その油どうした 太郎どんの犬と
次郎どんの犬と みな舐めてしまった
その犬どうした 太鼓に張って
鼓に張って
あっち向いちゃドンドコドン
こっち向いちゃドンドコドン
たたきつぶしてしまった

これも、わらべうた。

♪ さよなら三角また来て四角
四角は豆腐 豆腐は白い
白いは兎 兎は跳ねる
跳ねるは蚤 蚤は赤い
赤いはほうずき ほおずきは鳴る
鳴るはおなら おならはくさい
くさいはうんこ うんこは黄色
黄色はバナナ バナナは高い
高いは電気 電気は光る
光るは親父の禿げ頭
(静岡県 伊豆)

これも途中
までは歌えたのに忘れてしまって後に続かない。
そこで、これもまたインターネットで検索してみた。疑問は検索ネットで殆どが解決する。
幾通りもあったが、私が馴れ親しんでいた歌詞の覚えに近いものを探してみた。

こどもって汚かったり醜くかったりするような表現を、ことさら喜び大人たちが顔を曇らせるのを
面白がった記憶がある。自分でも口に出すのが恥ずかしかったけれど、みんなで歌えばヘーッチャラ。

そんなことを思い歌いながら、母の夕食介護に「M.の家」へと車を走らせる。
母はすっかり綺麗に食べてくれたので、気を良くしての帰り道。
辺りはすっかり暗くなっていた。私は帰ってから夕食になるのだ。

 
 
 

丸の内ウォッチング

2009年10月17日 | 雑記自由帳

 ある日の昼下がり。ぶらり、東京丸の内の空気に触れてみる。

 
 異国情緒を思わせるカフェテラスの雰囲気でティータイムを楽しんでいる。新丸ビルの上層階。その脇を通り抜けてエスカレーターで階下へ。

   
 お昼の休憩もすんだのか、自社へ帰るのだろうか? 歩幅を大きく進めて先を急ぐ人、人、人。

 
 街角に妊娠中の女性のオブジェ。少子化で子供を産みたがらない若い女性を揶揄しているのだろうか?

 女性は偉大よ! 人間を産み育てることができる…男を産み女を産む。その生まれた人間たちは文化を産む。更に想いを籠めて見ると…この四角い虫食い穴のようなものは?
 私は、これはビルの窓を表現していると思った。ここはそんなビルに取り囲まれているのだ。
 人間を産み、その人間が新しい技術を産み、地震に耐える構造の高層ビルを建てた。高層ビルの無数の窓、窓、窓。このオブジェを見ていると人間か建造物か…を絡めて想いを巡らせた。

 女性は人を産み、その人がビルを産む…と、芸術家は言いたかったんだろうか?

  
 耐震構造から制震構造を考えて、いまや、免震構造の建築となる。高いビルでも地震に耐え、壊されない構造へと、研究が重ねられてきた。凄いね、人の叡智というものだろうね。

 
 おしゃれなセンスが道行く人の心をやんわりと刺激中。

   
  歩幅を広く闊達に歩く姿は、若い…と思う。孫と速歩して息切れしてしまう私たち二千和会世代は、やはり“ご隠居”の立場だと思い知るしかない…か。
  
 
 東京丸の内で“一丁倫敦” …実際にはロンドンに私は行って居ない。けれどこんな雰囲気かと想像を掻き立てられた。なかなか立派な統一感のあるビルが並んで重厚なストリートであった。

   
  ビルディングが林立する。建造物が肩を並べてはいるけれど、緑の木々もあるから、柔らかみを添えて自然と共存する姿勢。ますます樹木、水、鳥なども大切にして欲しいと、思った。