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いちよう:二千和会だより

 会報「いちよう」を通して、人生がさらに豊かに広がるよう「今も青春!」の心がけで楽しく交流しながら散策しましょう。

今日は大暑

2010年07月23日 | SO-Color

 

言っても仕方がないことだけれど暑いですね。
皆さまはお変りなくお過ごしでしょうか?

昨晩は久しぶりの雨の音がし出したので、思わずクーラーの部屋を出て
玄関近くの窓を開けて、夜の雨を見続けてしまいました。

暦の上で今日は「大暑」です。
暑いはずです。
今日は、懐かしの小石川植物園で、珍しい花の開花のニュースがありました。

なんと世界一大きな花「ショクダイオオコンニャク」というのだそうです。
19年に一度咲いた、とても臭い…特に肉の腐ったような大変な臭いらしい。
あまりに多い見物客に、小石川植物園を、予定より早く閉園したそうですね。

珍しい花も良いですが、
夏を思わせるムクゲの花をアップロードします。

 

2008.07.17に私が撮影したものです。
写真好きの私も、少々夏バテ…! 最近の画像ではなくてすみません。

今年は酔芙蓉がうちの庭では見られません。
とっても残念ですが、庭師さんが昨日来ました。
私が頑張ってもとても高くしてしまったので梯子なくしては伐れません。
思いきって今年の花は見ないことにして、伐りつめて貰いました。


                 


絵画と人形ギャラリーに

2010年07月02日 | SO-Color

前より予定を組んでいた、恩師の絵画展と、友達の自宅開放の人形ギャラリーへお邪魔した。

まず、郵便局2階の絵画展会場へ
T先生の教え子でもあるK.MさんとA.Kさんにも声を掛けてご一緒に拝見することにした。

  

美術のT先生は今年88歳、米寿だ。市民のための絵画教室を開いていらっしゃる。
ひとつの教室だけではなく幾つも。そして市の芸術文化協会の理事もなさっているとか。
60年もの間隔をあけての再会である。
もう忘れてしまっても良い年頃なのにあの当時の話もなさる。
ご立派です。絵を描きながら、たまにこうした出会いで思い出にも触れる機会があることも。

 

昭和30~33年にT.先生に私たちは教えて頂いた。
お寺の子やお医者の子、そしてQPというニックネームの子…先生の心の風景は
その頃中学生だった私たちの時代をガッチリ捉えていらっしゃるので、嬉しくなる。
画盤を携えて先生の今のお教室に参加したくてアクセスをしたことがあった。
しかし母が病んで居て教室の時間には合わせられなかった。
これからの機会は出かけられるかも知れないと思いながらも、自由には参れない気もする。
そのあと、この近隣の地区にあるお人形のギャラリーにも足を延ばす。
A.Kさんは他に予定があり、此処まではご一緒出来なかった。

  
  

我孫子市民ギャラリーを借りて大きなイベントを開かれたのが3月。
そちらに訪れた後は、すっかりご無沙汰だった。一歩お部屋に通されて…おやぁ~?
窓辺がすっかり変わった…家族がお顔を合わせる場所・リビングにお仏壇を移されたと言う。
何だかすっきりと…あ!障子の桟が黒く塗ったそうで、モダンな風景を醸す。
ちょっと、いたずら…と、T.Aさんはおっしゃっていたが、明るい自慢のお部屋に変身されて居た。
窓の外の風景も一幅の絵が飾られたようで奥行きも広がって良いなぁ。

さて、今月のアクタードールは、何を表現しておられるか…楽しみです。

  
題して「また君に恋してる」 スタンドの灯りと“いいちこ”の瓶。色っぽい女性を配して。

  
「迎えを待つアン」 一種の不安な顔のアンだ。

  
「雨上がり」                              「 ベーカリーショップの窓辺」

  

 雨上がりでは、蛙、カタツムリ、長靴、傘と小物が生きている。
そして、レインコートに触ると「あ、濡れている!」 
こちらへ伺う寸前に彼女は霧吹きで雨を振りかけてくださったのだろう。この心遣い…。
そしてベーカリーショップ。
店先にはいろいろなパンがいっぱいに並んでいる。お孫さんと一緒に紙粘土で作ったというパンも。
ご家族で楽しみながらその制作にあたるひとときが目に浮かぶ。

  
「ピエロ」             同級生の四人のお誕生日は?

 まだご紹介していないお人方(青衣の方)は、F.Nさん。T.Aさんを私たちに紹介くださった。昔、私たちが慕っていたS.先生が、転勤なさってその新しい学校での担任児童を私たちと同級生だと言って紹介下さった。
 「良いお友達の輪を広げてごらん…」というように、その学級の優れた子たち三人をお連れしてくださり我が家に泊まって行かれた、懐かしい人たちのなかのお一人。
 その友のなかでも一番気が合った方に再会できたとは…。再会も偶然の重なりによって会えたと言えよう。もともと縁は浅からずという結果となったようだ。
 これもあれも、みんな母が引寄せてくれていたように、思える。
 「Sちゃんは痩せたんじゃない?」「いいえ、体重は変わらないわ」
 そのような会話を交わしたが、写っている姿はほっそり…笑い顔が控え目だから?…細く見えるのか? スマートさは静かにしていることかな?
 今回は、読んだり見たりするものがテーブルの上に置かれていて、少しの時間では読み切れない文集にも目を通したかった。我孫子市民ギャラリーのイベント時の写真や感想、その裏側の経過事情も書かれた冊子もあって、すっかり人形たちをカメラに納めるまでの余裕がなかった。久しぶりのおしゃべりにも余念がなかったし…。
 時間があっという間に流れた。
 あとでお願いして、T.A.さんに、人形たちの写真をメール送信して頂いた。ありがとう、お陰さまでこうしてブログアップできます。明日はみなさん、初めて二千和会散歩に参加されます。
 二千和会の皆さま、どうぞよろしくね。

  


ありがとうございます

2010年06月23日 | SO-Color

  

二千和会の仲良しで、過去いろいろスクラム組んで協力したり、
良かれと思う方法などを模索したりしていたいつもの皆さんが
私を囲み、慰めの会を…と言ってくださった。
私は誰しも体験せざるを得ない、そのことは、あまり取り沙汰されたくないような、
個人的な問題だからと友達のお心は嬉しかったけれど、
頷くかどうしようかと一瞬迷った。
皆さんも親御さんとはお別れしている場合だってあるのに、
儀礼的なことは、会員のお身内のことには入り込まない、という線を
引きながらのお付き合をいしていたのだから…。



取りまとめの方にその辺りを恐る恐るお尋ねして
この寂しさの環境シーンをちょっとだけ変えられる仲間だったと、思いをめぐらした。
しばしお喋りや、会結成10年の共通話題で、楽しい心に入れ替えをできそうだと
お食事と少しのお酒、そして皆さんは遠慮なさっていたけれど、
いつものメニューだからと、気になさらないでと申し出て
カラオケをしてから、お開きとした。

私に特別なことはしないでね、とお願いしていたのに、
音楽CDを皆さんからプレゼント…でした。
あ~やっぱり特別…  でしたが、結局頂いてしまいました。
それは…



http://www.youtube.com/watch?v=6ejVzfw2jlQ


クリックしてみて下さい。
その他13,4曲入っていました。

このジメジメしている梅雨空のしたで、
ほんのりとした彩りの心が、広がって行くようでした。
皆さんの心を、有り難く受け取りました。
ありがとうございました。


 


母というもの

2010年06月16日 | SO-Color

「俳句」「短歌」の本を、開きました。

在りし日も かなしと思ひ 死してなほ

かなしかりけり 母といふもの     岩田 正

父の突然の別れから比べると、12年間の介護で父には出来なかったことも詫びながら
母に父への想いを重ねながら、できるだけのことをしてきたつもりでした。
周囲での皆さんも大変温かく見守ってくださったし、
介護人のある種の旗頭にも役立ったかも?…なんて、自己満足の域で
思ってもいます。
何時までもあると思うな 親と金…とよく言うけれど、この世にあったからこそ
成し得たいろいろなことも出来たのでした。
だから、それなりの満足感も胸の内にあります。
それなのに、思い出すと…“かなしと思う母というもの”…なんですねぇ。

ごめんなさい。湿っぽくなって…大丈夫です。

7月3日の二千和会散歩にも、ぜひ参加したいし、母はそうした方が安心してくれると
喜んでくれると思えますから。
「散歩の会」に応募するきっかけも、「私だけを見てるだけであなたは満足なの?」
…と、私の背中を押してくれたのですから。

 

 


ドクダミ茶

2010年06月13日 | SO-Color

みかんの木の傍らに咲くドクダミです。清々しく咲いています。匂いさえなかったら…。

この草をヤクルト位の水刺しに2,3株を冷蔵庫内に活けておけば、匂いが除かれるのよ、
この花を、花瓶に入れておくと、他のお花も雑菌が生じにくいのか長く咲いてくれるわ…
生活の知恵という程度の話を聞いていました。

あの匂いがどうも…、名前の「ドク・・」とともに、花として草として好きだとは言えないのよ…
先入観を持って嫌な花というふうに思っていたこともありました。
  

でも、野の花を摘んで生け花教室をしてくれた友がいました。ちょっとした山に出かけて、
生け花の素材を自分の好みで、センスで摘んできて生け花を楽しんでみたことがありました。
自然の枝を選んだり野草花を探したり…その素材採取から楽しめた、心こもったお教室でした。

その後、絵手紙を友達同士で楽しんだこともありました。
生け花や絵手紙で、ドクダミをモデルに扱かったのです。
あのどくだみ草は、とてもいい感じに仕上がる手伝いをしてくれました。
一概に、先入観で嫌ってはいけないことを心に刻んだことを思い出します。
でもドクダミは、草として生命力が強すぎます。庭の一面を覆うばかりに広がっていくのですから。

 
  

先日夫が草取りを手伝ってくれたときに、ドクダミを洗って「お茶」を作るよう段取りをしてくれたのです。
あまり有り難いとは…申し訳ないけれど、思いませんでした。
でも、検索してみたら、脛の浮腫が気になりだしていた今、それを解消させてくれるらしいのです。

恥ずかしいことですが、母が大事にしていた庭をすっかり手入れもせず、荒らしてしまったこと
(母には、庭は二の次で、母の介護第一にしますねって宣言していました。)
不承不承だったかも知れませんが、私は許可をとった安心から、あまり庭には降りませんでした。

自家製ドクダミ茶を作るきっかけ、飲むきっかけを作ってくれたので…、飲み続けることにしました。
スポーツクラブで血圧をいつもチェックしていますが、2,3週間続けてみましたら、
この頃、高い加減だったのに改善していたので驚きました。

 

庭も徐々に綺麗になり、私の健康もどうやら改善されている…
母を思いつつ、庭の草たちと会話する…こういう時間もいいよ…と、気づかせてくれているようです。

ドクダミ茶の効能
a 冷え性やむくみ肩こりの改善 利尿効果 (膀胱炎・腎炎改善)
b 毒素を排出 緩下作用消炎作用
c 毛細血管を強くする 血管を拡張する 
d 血行をよくする 便通をよくする 肌荒れ改善
e 高血圧の改善 脳出血の予防
f カルシウムなどの代謝に必要なミネラルが多い・・などなど。


 作り方
1)なるべく清浄な場所に生えているドクダミを採ってくる。
2)水でよく洗い汚れを落として軒先などで数日間乾燥させる。
3)乾燥したら小さく刻み缶などに保管。

お茶は…
1)水1リットルと乾燥したドクダミを、一摘み~二つまみ入れ火にかける。
2)沸騰したらとろ火で7~8分(検索では3~40分とも)煮詰めて出来上がり。

濃さはお好みでどうぞ。また、これからは冷蔵庫で冷やしても美味しいです。
今はまた、軒先にぶら下げて乾燥中。緑の葉の色合いが少々残っていても、飲めます。
乾燥するほどに匂いは弱くなりますが、独特の味わいのお茶を楽しめます。


くぐらずにいきたい

2010年06月06日 | SO-Color

 草取りが嫌いなので1ヵ月前に夫に手伝ってもらい綺麗にしたばかりなのに、もうドクダミの花ざかり。
 よく見ると白い花といい、なかなか姿が良いしこれを乾燥して、どくだみ茶も出来るので、ドクダミは嫌いではないがはびこる凄さには閉口する。

 会報39号を娘の家に行く途中で立ち寄ってMTさんに届けようと思いながらもハプニングがあったため、お届けが遅くなってしまっていた。
 先日ようやく中山のMTさんを訪ねお届けしたが、ちょうどお夕飯の用意中の時間だった。その時のおかずの一つ、ハンバーグを頂いて帰った。ほの温かい密閉容器の中のハンバーグは、「今日テレビを見て作ったのよ」と言われた。トマトソースがたっぷりかかったとても健康的で、美味しいものだった。
 普通の味よりもトマトを煮て玉ねぎや人参もあわせてのソースはたっぷりとした量で、ソースと言うよりそれも一品ともなるくらいのそれは酸っぱ目で食欲を増した。

 

 ハプニング時より、食事もそこそこであり、その日も娘は食べて行ってよと、言っていたのにMTさんの家に立ち寄りたいので、夕暮れ時とはいえ向かうことにした。 

 ハプニング…、それは、あの優しく温かい手のひらに、もう決して触れることの出来なくなった「母との別れ」の体験だった。運命とは言え、人間として、…だけではなく生き物全てが避けることの出来ないゲート……。
 悔やまれるというのは、このゲートを通らなくても良いという道は無いらしいということなのだ。

 
あ~、母はもう12年も入退院を繰り返し、ついには介護施設と病院に入っては戻る、という生活から、ついに二度と帰らぬところに母は逝ってしまった。
 いつかはそうなるのよ、と、物言わぬながらも、態度で表現してくれていた母。米寿を迎える母をお祝いさせてもらえるか、卒寿を迎えることは出来るのかと、祈りをもっての希望は叶えられた。お陰さまで母は91歳を少し越えられ精一杯生きてきた姿を哀しいながらもみせてくれた。ありがとうございました。
 友達は、お母さんを亡くされた時に、この世にこんなにも哀しいことがあったのかと思ったと言う。そんなにも哀しいことなのだから、病に倒れたお母さんを悔いのないように看てさしあげなさいね…と、進言してくれていた。

  葬儀は家族・親族(血縁、姻族)だけに限り知らせたので、ほんの内輪での集まりとなった。だから身内だけの親しみと雰囲気で充ち溢れたなかで送ってあげることができた。
 ご近所にも、長くご無沙汰であって、お付き合いも出来なくなっていたし、親しかった母の友達もある程度のお年を召され、病気がちだったりなので失礼を承知で知らせることを止めにした。
 
 孫、曾孫の参列。初めての経験になる曾孫のお焼香は、後ろ姿に可愛さがにじんでいた。脇に立つママの真似をして恐る恐るお焼香をするその姿…きっと彼ら、彼女らの記憶としていつまでも残るだろう。
 死ぬと言うこと、別れるということ、この死という特別な別れの体験を通して、命の尊さを深く感じてくれるのだろう。

 四十九日まではお骨はこの家に居るのだ。後飾り(仮の仏壇飾り)を前に、朝な夕なにお参りするのだ。

 ふと…ショックを感じた川柳大会の時に出向いて知った歌を思い出した。
 “お前死んでも墓には行かぬ(?入れぬ) 骨を粉にして飲んでやる”……死んでいることを認めたく無い、たとえ認めても自分の身の内に入れて一生添って行きますよ。だから死なないでね…という事なんだと解釈するのに、時間がかかった。
 あまりの激しさでは、ないか!?
 あまりの悲しさでは、ないか?!
  ここまで言わなければ表せぬほどの愛の深さか情念か…あぁ…!!

 

※このページをご覧になった方々、皆さんへ
  お気持ちは嬉しく存じますが、どうぞ、御供香とか御供花等、固くご辞退申し上げておりますこと、 念のためここに書き添えさせて頂くことお許しくださいませ。

 


巡りくる季節-ぼけたらあかん

2010年05月22日 | SO-Color

 ちょっと目を離した隙に、また花が咲きだしている。手を加えることもなく、オキザリス、カルミアの姿にまた出会えた。またこの季節が巡り来たんだね…。

 旅する私。
 今どの辺を歩いているのかしら?
 どちらの方向に歩いているの?
 行き止まりは見えてはいないだけなのか…?

 二つの息する空間をもっているので、どっちの空間の友だちに貰ったか、いつもらったかははっきりしていないのだが、片づけものをしていたら一枚の紙片が出てきたので、友達に面白いのでどうぞ…って差し上げたら、「あら、この詩を知っているわ。でも、どこで見たのかしら?」と。
 彼女もそれをみたことがあると言っていたので、もしかしたら、そのご当人から、もらっていたのかも知れないと、ふと思った。

 6番まである面白い詩である。なるほどと頷かせる詩である。そうか、そうすればいいのかと教えてもくれる詩である。老人の教訓と思う詩である。
 
 下記の詩の作者を調べてみました。
  1892‐1991 明治~昭和時代の古書店主。明治25年11月25日。40年大阪で露店の古本商となり、大正4年くもじゃ天牛書店を開店。戦後、道頓堀で再興。大阪府古書籍協同組合理事を務めた。平成3年6月2日死去。98歳。和歌山県出身。著作に「われらが古本大学」。

ぼけたらあかん 長生きしなはれ 

天牛 新一郎作(94歳)

1.年をとったら 出しゃばらず
憎まれ口に 泣き言に
人のかげぐち 愚痴言わず
他人のことは 褒めなはれ
聞かれりゃ 教えてあげてでも
知ってることでも 知らんふり
いつでもアホで いるこっちゃ

2.勝ったらあかん 負けなはれ
いずれお世話になる 身なら
若いもんには 花持たせ
一歩さがって ゆずるのが
円満にいく コツですわ
いつも感謝を 忘れずに
どんな時でも ヘエおおきに

3.お金の欲を 捨てなはれ 
なんぼ ゼニカネあってでも
死んだら 持って行けまへん
あの人は ええ人やった
そない 人から言われるよう
生きてるうちに バラまいて
山ほど 徳を積みなはれ

4.そやけど それは表向き
ほんまに ゼニを離さずに
死ぬまでしっかり 持ってなはれ
人にケチや 言われても
お金があるから 大事にし
みんなベンチャラ 言うてくれる
内証やけど ほんまだっせ

5.昔のことは みな忘れ
自慢話は しなはんな
わしらの時代は もう過ぎた
なんぼ頑張り 力んでも
体がいうこと ききまへん
あんたは偉い わしゃあかん
そんな気持ちで おりなはれ

6.我が子に 孫に 世間さま
どなたからでも 慕われる
ええ年寄りに なりなはれ 
ボケたらあかん そのために
頭の洗濯 生き甲斐に
何かひとつの趣味持って 
せいぜい長生き しなはれや

  ブログにもいくつか同じ詩が登場していました。有名な詩だったんですね。老人大学か、介護施設のお勉強で作詞して、評判になったのかと思っていましたが、そうではなかったのですね。立派なおじいさんでいらっしゃるから、このような詩が生まれたということが判りました。(’10.05.22  21:50 追記)

 


一族集合(2)

2010年05月11日 | SO-Color

 このGWを利用して、都下にいる白寿の姑を見舞いました。車3台で集まりました。今年8月の誕生日に、百歳になります。病院に併設の介護施設です。シャガールのイメージの絵が、玄関ロビーに掛けられていました。やっぱり、絵画は観る人たちの心を豊かにしてくれるものです。


 しばしの間姑に交え、触れあう時を持ったことを大変嬉しく思いました。姑から、将来の明るさと元気さを頂きました。勇気を頂きました。さすが、夫の母親だ、しっかり老人力を蓄えている、と納得もしました。

 お祖母ちゃん本人にとっての、子どもも、孫も、曾孫も、孫の夫(孫の結婚式には老いていてもう列席しなかった。遠くて会う機会も少なかった。)も、母と話を交わすことが出来て、大いに感激しました。

 

 しょっちゅう会っているわけではないので、「長女Mの上の子ども◎ちゃん、下の子ども☆ちゃんよ…」とか、「次女Cの子どもの△ちゃん、○ちゃん」と一々指差しして紹介すると、孫の名前の方はすぐ判って「Mか!」「あ~C…」と頷いて納得してくれましたが、さすが曾孫は紹介しなくては判りません。

 

 久しぶりだったので、私たちを判らなくても、忘れてしまっても驚かない…と覚悟していました。しかし、確かな母は、孫以上は、判ってくれていました!!
 更に嬉しかったのは、曾孫たちと握手して「みんな、いい子だ!」「みんな良い子だ!」「みんな好い子だ」と、力強く言うのです。
 「お祖母ちゃんの良いとこを受け継いでいるからよ。みんな良い子…なのはネ。」…と、思わず背中をさすってしまいました。暖かい、しかし痩せた小さな背中になっていました。

 こちらの病院では、「3か月になるから、そろそろ別の施設を探して移って下さい」とは言われないのかしら? 
 本当に弱い者にとって、哀しい辛い法律です。実母の場合は、そう言われてはいますが、新しい所が見つからないし、心が休まる親切な優しい皆さんがお世話してくださるので、新しい施設が満員なのを幸いに、長く同じところに滞在してしまっていますけれど……。ちょくちょく移ったり新しい環境に慣れずに不安を抱きながらでは、命も縮まってしまいます。

 姑のように長生きして、しっかりと自分のことも出来て、物事が判るお年寄りになりたいものです。


  以下は「健康ライフ」からの抜粋です。

 百寿者は1950年には全国で97人でした。2003年には2万561人と、約200倍に急増しています。2003年の100歳到達率(百寿者の同年出生数で割る)は175人に一人になりました。

 かつて、百寿者は遺伝的エリート集団と考えられていました。近年の報告でそれが必ずしもそうではなく、心身ともに弱くても、100歳に到達できるという結果が出ています。

 全国47都道府県で、百寿者の人数が最も多いのは東京都です。その百寿者を全国の代表と考えて、調査した結果があります。

身体機能
 日常生活に必要な基本動作(食事、着替え、トイレ、入浴、歩行など)ができ、自立できている人は約2割、ほぼ寝たきりは約4割でした。栄養状態の指標である血清アルブミン値は低く、低栄養であり、百寿者の多くは虚弱でした。

視聴覚・認知機能
 問題がない割合は視覚で約3割、聴覚で約2割でした。認知機能で認知症が認められないのは約2割でした。

 百寿者と聞くと、自立した元気な高齢者と考えられることが多いですが、寝たきりや認知症の割合も多く、理想的な老いの困難さを示しています。
  
 70~80代の高齢者は日常生活の自立の度合いが低くなると、幸福感が低下する関係が見られることが多いようですが、百寿者は、身体的に衰えていても幸福感は大きいようです。その感情は、ほかの人より長く生きているということ、つまり生き残り競争に勝利したということから生じていると考えられます。100歳ということで、周囲の人から称賛を受ける機会も多く、良い感情をもつ機会が増えてくることも影響していると考えられます。


以上の百寿者調査から浮かび上がった百寿達成の条件は、

病気百寿者は糖尿病の罹患率が低く、動脈硬化の進行も遅かった。
生活習慣:飲酒率はあまり変化がないが、喫煙率はかなり低い。
性格:男性は神経症傾向が高い(健康に注意し、病院にかかることが多い)
   女性は外向性(対人交流がおおく、ストレスが発散しやすい)と誠実性(さまざまな場面で成功につながる)が高い。
   男女とも調和性が低い(マイペースである)。

ということになります。

 百寿を達成したけれど、認知症の割合が高いことを避けるには、身体機能の低下(=認知機能の低下)を防ぐために食生活を重視(特にたんぱく質)することが指摘されています。
 また、認知機能を高めるために周りが過保護にしないこともあげられています。 
                              (参考:健康ライフ 通巻19338号)


 


一族集合

2010年05月09日 | SO-Color

 今年も筍が出る時期となった。病の床にある母も小康状態となったので、我々若い者組みは例年のように筍バーベキューを楽しめる雰囲気となった。
 やれやれ…と、いつもどおりに集まれて幸せ気分になれた。

 

 若い者組と言ったけれど、息子、娘、娘婿、甥夫婦、妹夫婦、勿論自身の夫婦は、それなりに年を経た。食べる量もそれなりに。
 しかし、この空気の美味しさのなか、青い空の下で戴くバーベキューはいつの間にか、たらふくお腹の中に入ってしまう。年なんだから、こんなに多くは要らないと私は思って生ま物が残るのを心配するが、なんの、なんの!

 焼肉用の牛肉、豚肉、串焼きに鶏肉、そして下味のしてあるタン、牛、豚も。さらに海老、烏賊、ソーセージに加えて、餃子、たこ焼き、焼きそば。
 野菜にはキャベツ、ピーマン、玉ねぎ、椎茸、エリンギ、茄子、カボチャ、さつま芋、茹でトウモロコシなど。
 デザートには西瓜、苺、シンプルケーキ。
 材料は持ち寄りで、大まかにはどんな物を用意すると決めていても、いろいろと集まって、結構たくさんの種類となる。
 子どもたちはまだ良いのだが、中年以上の大人たちは完全に食べ過ぎ…と、自覚はあっても、つられて口に運ぶ。(仕方がないね。今日だけね。)……自分に言い聞かせながら。
 格別美味しいのは焼き筍。
 焼き芋に通ずる美味さがある。材料を調理する時に、出し汁の中に旨みが溶け出してしまうわけで、材料の旨みだけを味わうより、煮汁も啜って美味しく感ずるのがふつうである。
 しかし焼く調理は、特に炭火の中でじわじわと材料に火が通っていくから、戴く時には、本当に美味しいものが口に運ばれるのだ。焼く調理法は美味しいはずだ。

  
  
  

  食べるのに飽きると、竹トンボ、竹ぽっくりをその場で細工して貰って、それであそんだり、大縄跳びにバドミントンを車から持ち出してあそんだり…。幼稚園前の小さい子も交えて遊べるし、参加しなくても見て楽しむ術も覚える。
 60年以上も前、食糧事情が日本中悪かった戦後の頃に、こちら方面で暮らしたこともあるので、懐かしい思い出体験にもつながる、ザリガニ取り……。老いても懐かしく子ども時代に戻れるような時を、大人たちは楽しんだ。
 (いいね、田舎暮らしも…)。自然に親しみ自然の中で過ごしたことは、自身の豊かさと奥行きの深さを事あるごとに感じながら、今の暮らしに感じる。だからこそ、この小さな孫世代にも、僅かな時間にしろ、このような経験を積んで生きていって欲しいと思うのだ。こんな他愛のない経験が、孫たちの未来に大きな可能性をもたらすかもしれないと、思っているのである。

 好い一日でした。後片付けもみんなですれば気持ちがいいね…。
 妹夫婦、甥っこ夫婦に感謝、感謝で、親族の心の絆もまた強くつながっていくような時間を頂いた気がした。

 


スポーツセンターの散歩(2)

2010年05月07日 | SO-Color

 連休のはじめの日、これまでの曇りがちの気候や、雨模様が多かった時とガラリと変わって、久しぶりの晴天で、まばゆいばかり。国道をまたぐ歩道橋から車の列を眺め、母が休んでいる方角を眺める。

 
  
  

 待ちに待った春、いや、もう立夏も過ぎていた。桜は開花予想をはるかに遅れて咲き、そして八重桜を咲かせた。咲きだしも寒かった陽気だったが、それが幸いして桜の花見時も長く楽しめた。
 会報の名前にも由来した「イチヨウ」が咲いていると判断して、この八重桜を撮ってみた。下の写真の八重桜は「普賢象」(フゲンゾウ)。花芯に緑の芯が二つ見えるが象と見立てたものとか。 八重桜は派手で重々しくもあり、強そうで、ソメイヨシノのか弱い咲き方ではなくて、比較的長い時期、人々を楽しませてくれている桜花である。(ソメイヨシノは散り方が潔いというべきで、咲き方はか弱くはないと訂正します。)
 桜の向こうの丸い屋根は体育館である。

  

  若々しい緑。このような時期の葉っぱは人間を励ましてくれているような気さえする。優しく弱弱しいと言えばそうだけれど、命の芽吹きの元気さ、溌剌さを感じさせてくれる。
 ケヤキは空を見上げて、近くを見ればドウダンツツジ、そして躑躅の花盛り…気持ちが良いものである。

 この藤の樹は、通りから奥に引っ込んでいるので、虫害にあっても見逃されたのか、幹の芯がやられ穴があき細くなっている老木である。けれど、こうして花の咲く時期には立派な花房をつけて…健気なことと心打たれる。

  

  柔剣道場、弓道場、テニスコート、そして体育研究棟、…など体育に関わる建物も一通り揃っているが、9月の国体にはまだ会場が他にも出来てくるのだろう。水泳はプールでなければならないのでここが最適だが、ヨットレースとかカヌー競技など水に関する競技はここでは出来ないし…しかし、そんな競技も国体でするのか、はっきりはしらないのだけれどネ。
 フェンシングもあるのかな? 選手となる方たちは技を磨くのは大変だろうが、目標が定まり励みにもなることだろう。

 5日のアクセス数を見てびっくり!
 閲覧ページ522、アクセスipが、45だなんて…。こんなに多くの数字は見たことも無かった。嬉しいという感情がちょっぴりで、不安と不思議な気持ちが覆いだしてくる。
 会員と会員の知人にのみお知らせしているだけの「非公開」設定にしている。
 何故かな?どうしたことだろうか?
 連休で休んでいた会員・知人が、久しぶりにアクセスしてくれたのだろうか?