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いちよう:二千和会だより

 会報「いちよう」を通して、人生がさらに豊かに広がるよう「今も青春!」の心がけで楽しく交流しながら散策しましょう。

久しぶり…御機嫌よう!

2010年10月01日 | SO-Color

   

Zen Nikku ホテルズ 3階 「Unkai」にて同期会。
大宅壮一に揶揄された駅弁大学の出身。
高校の授業料よりも安い学費であった。この教室で学ぶことを許されたのはたったの28人。
みんな仲良く過した仲間。
ただ、地域的にN市とO市に別れた前期と、後期から一緒になったという事情もあった。
みんなお話をする職業だから近況報告も、「う!」「う~ん、納得」「なるほど」と、
頷かせる話題と話術がある。今回集まったのは11/28人。
40%の出席率だったが心の栄養や実りある時間を持てた。

  
  

女性ばかりの構成だが、校長先生を経験された方が多いし、夫婦で校長の時期もあったり、
半数以上は定年までお勤めされた方々。協力者(近隣地区に親類など)が居られて
お勤めができる条件を産み出し作り出せる皆さんは
知恵の塊のような生活を送られたに違いない。
同期の出世頭(ご本人はとても遠慮深い温厚な方でそれを言うと嫌がられる)は、
なんと言っても教育委員会→高校校長→県の施設ウィルAi・・館長→
(地域的に離れていたため、新聞記事も充分には拝見できず私には不確かな部分もあるが)
→県政収入役→県副知事・・・・・
素晴らしく充分にお勤めあげられて、最近職を辞されたと聞いている。
写真入りでA4サイズの新聞記事にも取り上げられたとか…。
大変な努力があったと思うのに、ニコニコしてちっとも偉ぶったりしない。
その辺が頂点に成れる素質なんだろうと一人頷いていた。
まだまだ皆さんの話題は尽きない。

ご馳走を食べて市のコーナー喫茶室へ移る。

   
    

女性は何処までも話が尽きない。聞くもよし、話すもよしの満足な時間が過ぎる。
多分男性には死ぬまで理解できない時間空間かも知れないが、
長く夫婦をしていると昔よりはず~っと理解されてきたと思っている。

そんな女性を理解せずに生活をして来られて、
このような面がある女性というものを理解されていないなあと感じた小学校時代の男性と、
最近話をする機会があったので覚った。

      

まだみなさんと別れられない。N駅方面に来てまた落ち着いておしゃべりする。
Kamakuraからお出かけの方も居られる。
卒業から就職して、初めの頃は「オリンピックの年に会いましょう」
…幹事はそれをメモリーとして忘れないから…。
4年に1回はそれぞれ忙しい時を過し度々会うのは無理だったが、
最近の合同会は2年に1度になっている。
前期はO地区とN地区で別れて学んだこともあり、約半分は親しみが少し薄いのか?
今は大学も統合されてしまったが、当時はそれぞれの分校があったのだ。
O地区で学んだ者は、毎年7月7日11時に、T駅改札口集合としましょうと、
一昨年の合同会の時に決まっていた。
少しずつ残された時間が縮まって迫ってるような、それを意識するような話題もあったか。
でも、顔ぶれをみると皆さん、長生きをしそうです。
その中で一番後まで居られる方は…笑顔も美しく良い表情で、皮膚の張りと生きる張りがある方、
粘着質や循環質タイプ、そして……いろいろ挙げられるけれど、「やっぱり彼女ネ!」




VIPルーム(野球観戦)

2010年09月08日 | SO-Color

久しぶりの雨。それも台風に依ってもたらされた雨でした。
それにもかかわらず、予約診療めぐりの一日でした。
ぐったりと疲れて、家に落ち着いたらウトウトしてしまいました。
おっと、しまった…と、目覚めると翌日の未明かと一瞬思って時計をみても
はっきり掴めないほど、時間的な混乱を起こしました。
そしてまだ、思っていたほどの時間の経過はなく、慌てることはないと覚りました。
そこで、暇を作れたとばかりに
より自然な合成写真をつくってみたくなりました。

  
二つとも、ソフトを使って二枚の写真から人物を切り抜いて背景の写真に貼り付けて合成したものです。
左は一人の張り付け、右は実は二人の切り抜きから出来ています。
どちらが、より自然でしょうか?
当事者が一番気になるところでしょうね。


おまけです。

                              おや?誰でしょう。       私たちが利用させて頂いたVIPルーム

      

お部屋で陣取って居られるところを写真に納めたいから、
動物園のお猿さんみたいにガラスに近づいていてくださいね…と、
頼んだのです。
みんな、おサルさんみたいに…と、譬えられて笑ってしまわれただけで、
私の意図する意味が掴めなかったのでしょうネ。
外から写真を撮りたいと思いますからと言ったのですが。

でも、私の要求通りにして下さっても、部屋のガラス面と私のカメラ位置の
角度がピッタリと合わないから、外の風景が映り空が反射してしまい、中の様子は撮れませんでした。
とにかくVIPルームなんて、なかなか入って観戦できる機会がありません。
珍しいので、写真に納めて置きたかったのですけれど…残念でした。

 


第5回運営委員会と野球観戦

2010年09月06日 | SO-Color

 バス旅行「結城市方面」への検討もそろそろ詰めないとという心づもりもあって、委員6名がマリンスタジアムの BallPark Roomへ、Asadaさんの有難いご招待のおかげで、集合となった。

  

 千葉ロッテマリーンズ vs 北海道日本ハムファイターズの試合。

 ロッテは1回裏、福浦の適時打で先制。2回にも西岡が2点適時打を放つなど、4回までに5点を奪い主導権を握った。先発・コーリーは5回1失点で3勝目。その後は4人の継投で得点を与えなかった。敗れた日本ハムは10安打を放つも1得点と、好機にあと1本が出なかった。 5X:1 ロッテが勝った。

 球場の3F貴賓席。クーラーの中で試合観戦なのだが、バス旅行の話題もあり観戦に集中出来なかったね…との、感想もあったので心残りのある部分がファンとしてはあったに違いない。

  

 バス旅行の話題の最後に「ところで、記念パーティはなにをやるの?」との会長の発言に、戸惑った。なぜなら、この話題は2月19日第2回運営委員会の時にすでにどうする予定かを内容はどうするかを話していた。
 思いのほか総会をくっつけてやろうとの案が上った。「愉快に賑やかに楽しむ」部分の10周年記念パーティに、「総会」を付ける?…私は合点がいかなかった。ハテナマークが、その後の運営委員会での話題を登場させる度に大きくなって行った。何を考えているのか分からなくなっていて、中心でお世話するには気持ちがどうしても動かないまま、この9月に入った。 

 この文学散歩は1999.9.3に、山田先生のもとに開講した。
 そして二千和会となって自主運営に旗揚げしたのが、その年の12月3日である。記念すべき第1回は、全くの自分たちの手で行った自主的活動だった。2000年の4月8日(日)花曇りの雰囲気に溢れての「市川真間から江戸川沿いの散策」が記念すべき始まりとなった。

 国府の台駅~手古奈霊堂~弘法寺~商科大脇の桜~昼食・里見公園~野菊の墓文学碑・西蓮寺~矢切りの渡し~葛飾帝釈天(解散)

 目をつむると絵に浮かぶ情景だ。これを思い出しながら、会報を引っ張りだして確かめる作業。裏方を務めてその活動を、ある面では細部に及ぶ思い出に彩られる。

 


 そうして積み重ねた軌跡―「10年間の長き道程」を一緒に歩んできた友達と、振り返ってみようとの記念パーティだ。そのテーマだけで盛りだくさんだ、充分だと思うのは私だけなのだろうか?
 今までも、何度か節目と思われる時に、記念パーティをしようと持ちかけた。けれど会長は乗らなかったので、おとなしく会報の紙面だけのパーティ…過去を振り返る記事で埋め尽くして、「お祭り騒ぎ」に代えて皆さんの意識を誘っていた。

 会長の「それで何やるの?」の意味がやっと解けた。集まってお祝いの気持ちで楽しく食べたり飲んだり思い出話に花を咲かせたり…で一杯なのに、それにくっつけて「記念講演」または「記念旅行」そして、それが無いなら「総会」を付けて、会員の皆様に来ていただく…あぁ、「来ていただく」なんていう考えだから「何やるの?」は、人寄せのイベントを加味せねばと、思っていらっしゃるのだとわかった。

 これは「来ていただく」ものではない。「記念の節目」に、皆さんの懐かしみの心をひとつにして、ますますの親睦を高め、この集まりの意図するものとその方向性を各自が確認し合う…そんな場をつくるのに、委員会はお手伝いをしましょうとの、心の発露があるのみ、その他の何物でもない。
 記念パーティをやらねばならない…場を作ってあげるのが委員の義務ではないか?と、考えているのに、「水と油」 とても一緒くたには出来ない代物なのにそんな考えが潜んでいたのか?

 「水と油」で思い出したのは…マヨネーズ。酢の中に油が分散しているので、「水中油滴」型の食品で、水(酢)と油を仲良くさせているのが
 
 どうも、会長と会報編集長の私は水と油なのかも知れない。しかし卵の役割をしているのが、会報「いちよう」で、それがあるから、ゆるぎなく二千和会が存続しているのかも知れないと、密かに思ってしまった。
 まあ、どちらが油か水かははっきりとさせない方がよい。ある時はその役割が反転することだってあるのだから。そして、記念パーティと、総会も水と油。性格が全く違うものなのだ。判ってくれているのかな?

 あぁ、すっかり言ってしまった。野球観戦のあとでのコーヒーブレイクは、かなりブレイクしてしまったが、結論はその開催時期。結局煮詰め足りない部分、不消化な部分、不完全燃焼の部分があり、その辺りがすっきりするまでという考えも浮かび、来年の1月末~2月ごろが適当な頃だと、私も考えの焦点を定めた。
 初めての行事で、掴めないところが多々あるらしいとも思った。


温度差

2010年09月06日 | SO-Color

 「10周年記念パーティ」について、または「二千和会」に対して、どのように思っていらっしゃるのでしょうか…と、思います。

 ←Keiko T.画

 肩を並べてきたつもりの委員の方々の中にも、やはり温度差があるとご自身を診断なさっている。あっても仕方ないが、それを感じたら、何とか協力していかねば…と思って下さっているので、許される言葉と、笑っていられる。

 意志の疎通を図る機会が少ない全会員を押し並べて見渡すなら、確かにかなりの温度差があってしかるべきことではある。当然のことではある。
 人それぞれ、生きている姿勢・生き方、生かされている意識の有無、今の環境などにより、特に、趣味であり、生活と離れていて、それほどは濃厚に関わってはいない活動の選択には、それぞれに違って当たり前だと受け止めている。

 委員が頭を寄せ合って、次回の行き先やコース、その下見など準備をする時間、労力を考えてみると、「よくやっている…」と、委員は自己評価してもいいと思う。




 なるべくシビアな考えや目で見つめるようようにしてはいるが、皆さんはどのように思われているのであろうか。それぞれの自分の時間を割きながら、二千和会活動が潤滑に運営できるように委員それぞれが心をはらって歩んで来たのが現実だと思う。
 それを吹聴するつもりはないが、黙々と10年間をある面呆れられるかもしれない情熱で継続して来た。特に委員間にも温度差があると自己診断しながらも、活動の火が消えないよう、それぞれ努力して頑張ってきたと評価(自画自賛?)しても間違いはないと思っている。

 ボランティア精神で、活動するために自分を奮い立たせ、嬉々として事にあたっているんだと自分に思いこませたり、またある時は、委員同士で少しの楽しみと親睦をはかりながら、そして積極的に委員を支援する友が、歩調を同じに励まし合ってきたつもりだった。
 それを「温度差」という言葉で、一歩も二歩も下がったところで、立ち止まって「自分は別」という態度で眺めていて良いのだろうか?
 確かに企画しても、一会員の立場でなら自分の状況次第で「参加」「不参加」の態度を気楽に出される。自分が参加しなくても次回に行けば良いだろうと思って決定してしまうかも知れない。
 こういう場合は確かに運営委員と会員の立場は微妙に違うし、温度差は生じるのは致し方ないと、許容してしまえることなのだが。
 しかし、割り切れない気持ちが起き上がってくる。金銭的利益がある訳でもないこのようなボランティア活動は、常にお世話する幹部の情熱にかかっている。それが燃えて続いていくよう、願う。続くようにとの思いは、心身ともに健康でいればこそであり、そのようなの活動だと自覚しながら、進んで行くしかない。
 そこで、記念のパーティで、二千和会の心・忘れかけた初志を表現しながら、委員と会員の心もひとつになって、理想的に「歩んでいけるきっかけ」としてのパーティは、必要とも言えるし考えてもいいと思うのである。
 


いちよう40号

2010年09月04日 | SO-Color

 

いちよう40号は9月1日発行です。
はじまって以来のこととして、今号は発行日より約1週間早く出来上がり、印刷した日に
発送の手続きを取った。皆さんのお手元に、早く届けられたはずである。

会長は「出版物は…『○月号』と言えば実際の月より、半月から1週間は早く出すのが当たり前のことだ」と、
言いながらいつも発行日ぎりぎりに、練って推敲を重ねたであろう原稿をお寄せになる。
(実際は単に取りかかるのが遅いだけかも…。そんなに練ってないと微かに声が聞こえた気がしたが?)
編集の仕上げは、それからのことだから、寝ずに仕上げたこともあったりして、
少々遅れ気味が常だった。

前々回は「太宰治について」であり、前回はお茶を濁されて…
今回「向田邦子について」だった。
生意気な言い方だが、興味をそそる内容の取り上げ方や書き方は流石だと、編集者の
立場で、また一会員・読者として喜んでいる。

また、「飛鳥Ⅱ・乗船記」も、世界一周に近い3か月に渡る船旅の体験の記事…
6回シリーズ(1年3カ月間)で体験記をご紹介戴き、なかなかの大作の読み物だが、
この40号で完了となった。
今度は何を書いて下さるのかを心配しつつ、きっと何かを書いて下さるだろうと
期待している。

また、いつも長編、労作の大家はKさん。
本の読後感やそれに纏わるお話の展開で、会報をリードされて
おいでになられるが、大病をなさって、もう原稿をお書きになるのは無理かと
一時は案じられたが、それでも徐々にリハビリを兼ねてと言われて、書き続けられ
今や再来年くらいまでのボリュームで私のパソコンにストックされている。

いちよう39号が、アメリカ旅行記や初めて方の原稿など、思いのほかたくさん集まって、
編集者は嬉しい悲鳴。いつもより、ページ数も多くなった。
お陰で、Kさんの「原稿がちょっと長いね」との声が聞こえて、1編を2回に分けて掲載との仕立てとした。
その書き物は、『夢・うつつ・幻の墨絵 「風の盆恋歌」』であった。

そして思い出したのが、家の酔芙蓉。
今年は多分咲かない。時期が適してない頃に庭の手入れをしたため、
伸びて大きくなりすぎ、蕾もたくさんついていたのに、剪定してしまったから。
下の写真は昨年の酔芙蓉。私の誕生日頃に満開になる花である。

  

朝咲いた真っ白な花を写した。
真っ白な花は今朝咲いたばかり。赤く凋んでいるのが、昨日の花。
その白い色からだんだんに赤くなっていく様を私は愛しいと思いながら眺めている。
因みに私の誕生日の花は「コスモス」だということだ。 
今月末にはひとつ年を重ねる。


 


サルスベリ

2010年08月28日 | SO-Color

 
この写真は8月20日に撮ったもの。その1週間後の今は、もう百日紅の見ごろは過ぎて来ている。
暑い、暑いと言ってももうすぐ9月だ。
暑さも朝晩はかなり和らいできた感じだ。もう秋なんだなと思う。 
今年の百日紅の美しさをここに載せておこう。
  
  
レースのような、フリルを淵飾りにして技巧的なおしゃれをしている。
雄蕊は弧を描いて細く何本も踊っている。
なかなかの花だと思う。百日紅の花の色は微妙な色合いの違いを見せて咲く。
一般的な花の色は此処にある赤味の濃い方だ。
それよりももっと赤さが濃い花もご近所に咲いている。
さらに白花のもの、そして薄いピンク色(これにも更に薄い色、濃い色もある。)
紫がかった赤色の花びらをもつものもある。

木の花にしては色合いが多い。

この頃の庭に出るのはあまり好きでは無いのだ。
藪蚊が大変に多いので、無防備に出ると素肌の腕や脛にワッと寄ってくるから。
出来るだけ水溜りが出来ないように見回って捨てるが、どこかにボウフラが生息している様子だ。
全く、蚊は大嫌い。ほんとに気付かないような静かさで肌に止まり、
気づきだしたらもう血を吸われたあとなのだ。
慌てて自分の腕や脛、顔、首などをバンバン夢中で叩くが痒くなりだしたらもう、
後の祭りよ~。
痒くて痒くて…かなわない………嫌いだなぁ、この痒さ!

 


鉄砲百合

2010年08月20日 | SO-Color

 

 
美しい女性は、花にたとえて…

立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花…と言われますよね。

  
写真は小さいけれど、流石カサブランカ(左の写真)は、歩く姿に擬えてるはずだ、と思います。
かなり艶(あで)やかですよね。

右の百合は鉄砲百合で、カサブランカよりは静かな印象です。
鉄砲百合と高砂百合は良く似ています。
高砂百合はこの百合よりも葉が細いので見分けがつきます。

野菊の如き君なりき…は、伊藤左千夫の初恋物語『野菊の墓』。

貴女は、むかし、何の花にたとえられましたか?
例えば、薔薇の花。
薔薇の花は何かと物議?を起こします。
第1に、棘…美しいものには棘がある、など。
萎れれば…活き活きしていた時は誇らしげに咲いていたのに、
枯れそうになると花びらは散らずに未練がましく、醜くしがみついている…
やがて皺くちゃで色合いも黄土色の汚い色に…
乾燥したまま散らないで老醜をさらしている…。
薔薇は単に「美しいというばかりでは無いの」と、教えてくれた。

5.7.5を作句していた時代に、先輩の女性がそんな感想を述べました。
そのように見ればそんなバラもありますが、ハラリと散ってしまう薔薇の方が多い気がします。

ある時、女性が群がっているところを、ある男性が
花園のようだ、薔薇のようだ…という句を作りました。
その心を、作句歴の長い先輩は密かに上記の解説してくれました。

はじめは、な~るほど…そういう見方もあるんだなって、納得しました。
しかしそれは……真実? やっかみ? 棘の言葉?
きっと、ご自分は、その薔薇の園に一緒には咲いては居ないよ、と
言いたかったからでしょうか?


ちょっと面白い無料ソフト

2010年08月11日 | SO-Color


パソコンのレベルアップに役立つようにと、パークゴルフなど
ご一緒させて戴くグループに、いつもリーダーになって下さる方が見える。
そのチーフの廻りで、何気なくグループ活動に参加させて戴いている。
ある日、上記にあるように、「PCレベルアップ講座」にお誘い頂いた。

以前、実益を兼ねたある講座を開かれたので、何気なく参加したが、
母のことや諸事情により、実際には行えず、お勉強しても役には立っていない
単なる聞くだけの生徒になってしまっていた。
私はその後のT先生から新講座があっても誘われなくなっていた。
でも、パークゴルフなどで相変わらず着かず離れずの位置の中で、私は保持?していた。
先日、会報作りに役立つと思うから…と、T先生(リーダー)からお誘いを受けた。
上記のソフトは、T先生がご紹介下さった。
そして、次に挙げるのも、面白ソフトで試しに作って見た。






まだまだ、頂いたソフトで、かなりたくさんの作業が出来るものだ。
ただ、試してないだけ。
T先生のお墨付きなら、セキュリティで引っ掛かりそうなメッセージが出ても
怖がらず「実行」を押して、何とかダウンロード、インストールをする。
かなり勇気が要るし、日本語がいつの間にか、英語やポルトガル語で
メッセージが来る。
面倒くさいのと、どんなウィルスがいるかも知れないので、
普通は途中でインストールするのが止めてしまうことが多いのだが
面白いソフトを教えて貰って良かった~!!!


 


ピースボート・オセアニック号船内見学

2010年08月02日 | SO-Color

  
オセアニック号は、パナマ船籍です。後方舳先にはパナマの国旗がはためいています。
Tabuchiさんのご案内により、まず、上にまいりましょう…といことで、
5階から出発。エレヴェーターで10階へ。

 
船上にプールがあります。ここは、国際色豊かに、寄港先の各国のご案内嬢がお客さんを待機していました。

左奥へと進みます。ジムが備えられていて、その先が居酒屋「波へい」
居酒屋から、前方舳先を臨みます。
  
 

世界1周99万円…ではありますが、それは最低の場合。
11階~ここに客室が3室ありますが、お一人430万~380万円。
清々した眺望、光と風…くつろぎのスペースとベッド、バルコニー付き。
甲板11階から下を臨みますと先ほどのプールのある10階が見えます。

 
 
そのまま後方舳先で、くつろぎタイム。
船内が広くて迷子になりそう…。Tabuchiさんのご案内があったことはとても有難いことでした。
客室が3列、その客室の間2列の通路。
全長238.4m、全幅29.8m 乗客定員1550人
前方から後方へ歩いても2列あるので、効率が悪い歩き方だと1階分は400mくらいは歩くだろう。
それが、船内11~5階の6階分…最短距離で2kmくらいは歩いたのかな?
Tabuchiさんは午前中はお孫さん、午後は私たちのご案内で、大分お疲れでは??
  
ここの客席が300~340万円です。
バルコニーから下をみるとライフボートがすぐ下に見えます。
何かあっても最初にボートに移れる…勝手は出来ないのかな、一応ルールに則ってね。

13:30~8階ブロードウェイ ショールームで、オセアニア号のクルージング説明会が
ありました。約30分くらいのゆっくりした時間を過ごしました。
そして、いくつかの客室モデルルームを拝見。
フレンドリーのスタンダードと、エコノミーがありましたが、窓があるかないかで、
20万円の差がありました。

ゴージャスな船旅ということですが、ゆったりと時間を過すタイプの方には
最適な旅が可能ですね。経験者のTabuchiさんの、航海記を読ませて戴くと
とても時間を有効にお使いになった様子です。
参加者には100歳の方もあったり、下は10代という、幅広いご利用者があるようです。

  
6階 セブンコンチネンツレストランで、ゴージャスな気分を醸す雰囲気…、
アイスコーヒー、オレンジジュースなどを頂きました。 

 
  
夢のような世界から、一味違う現実の世界。自分の足で地を踏みしめて帰路に。
少々疲れたかな? 心も体も…。考え方次第ではあるが小さな円を描きつつ生きて行くのが
私かな? 女の狭い考え方かと、ふと立ち止まって周囲を見回してみました。

  
それほど歩かなかった気分ではあるが、実際はかなり歩いた訳で、
電車の椅子に腰かけたら“疲れている…”と、感じました。

2日午前中から恩師の訃報に接し、その情報が飛び交う中で、生きていることをもっと有意義に
考えていかねばならないと思わされました。

 




ピースボート見学

2010年08月01日 | SO-Color

 Tabuti氏からのご案内によって、横浜港大桟橋、客船ターミナルに停泊中のピースボートの船内見学に参りました。Gomiさんは、残念ながらどうしても都合がつかない用事が出来てしまい、不参加となってしまいました。

 当日の参加者は、K.Tさん、M.Aさん、I.Tさん、Y.Kさん、S.Oの五人が揃いました。
 横浜・日本大通り駅で下車して、港を散歩。まず、赤レンガ倉庫に向かいました。

  
陽射しは思ったほど強くは無かったのですが、蒸し暑い日でした。
駅を降り立つと、横浜の何とも言えない独特の雰囲気、ここは日本?と疑ってしまうような…
外国情緒の漂う風が吹いていました。

  
 
赤レンガ倉庫が見えました。向こう側の岸には目的のピースボートが見えます。
赤い煙突、ちょっと低い所がプールなどある広場、そして屋根のある広間、
舳先が岸に向いている白い大きな船だと、一目でわかります。ワクワクして来ます。
でも、その前に寄り道して気を鎮めてからです。

  
9:38の快速に乗り合わせてきました。まだ11時を少し回ったところですが、赤レンガ倉庫の3Fで、食事をとることにしました。
いつも散歩のときは遅お昼ですが、今回は珍しく早お昼ということにしました。
日本ではないような雰囲気が、それぞれ皆さんにも宿っているとは思いませんか? 

 満腹になって…ジョギングしているお兄さんの足を止めて貰って、シャッターを押して戴きました。
申し訳ないと思いながらお願いしたのです。彼も、優しく対応してくれました。
「何処からお見えになったのですか?」「う~ん、横浜の人ではないと、判ったようですね。」

  

Tabutiさんは、午前中にお孫さんを案内していらしたのですが、お昼でお孫ちゃんたちとさよならをした後に、
午後組の私たちと落ち合いました。携帯のおかげで何とか落ち合うことが出来ました。
身分証明書を見せての乗船です。
船の様子は次回に回しましょう。 お楽しみに!