まずは「時かけ」観てないので念のため。「ポストジブリ」と評価される割には、濃密な作家性が感じられず、無前提にドメスティックでウェルメイドなのは、まあよしとしよう。作中の巨大SNS「OZ」は現状追認ではなく、来るべきデジタル時代を描いているつもり、という点も見逃そう。家族肯定という「志」も受け取った。
しかし、だ。
お台場メディアージュや新宿バルト9ほか郊外型シネコンの一部でしか上映されていないこの映画。しかもアニメ。「ぼくの夏休み」などと同様、サブカル需要を満たしつつ「田舎」なり「家族」なりを「ネタ」として流通させ、一時的に消費するだけではないのか、という懸念が、まずひとつ。高校の部活の先輩に連れられて…という入り口が、いかにも非現実で弱いのだ。そもそも現代の東京生まれ・東京育ちの東京っ子に「田舎」や「地方」が身近だとすれば、それは、その子の親が地方の農村部出身じゃないと、ほぼムリじゃないだろうか。
ほかにも、東北の農村部に生まれ育った者としては、大いに不満が残る。まず、信州上田あたりだから「真田太平記」的な歴史的リソースが豊富なのであって、そうした古都なり小京都・小江戸・城下町は極めて限られる。つまり作劇が安易な小道具に頼りすぎる。周囲の村落共同体から隔絶して描かれる「旧家」も非現実的。今なお漠然とした敬意(と決して表に出ない反感)を抱く旧小作人層が周囲を取り囲んでいるからこそ旧家は旧家たりえるのだ。「トトロ」の描く村とは大違い!
さらに根本的疑問がひとつ。祖父母は、警視総監と知り合いじゃなければ偉くないのか。父祖は、歴史に名を残したから偉いのか。そうではなくて、時代に翻弄されながらも、自分を育ててくれた親(の親の親の親…)を育ててくれたから偉いんじゃないのか? 必死に発情・交尾し、受精させようとする過去歴代の数億数兆の獣や魚、夏のセミみたいに何百年・何世代も子孫を残してきたから、無条件に偉いんじゃなかろうか?
いや、そうした「家族の歴史」なり「生物の歴史」「宗教的世界観」をリアル&壮大に描く作品ではないということは十分わかっている。この映画にはヒーローの親もヒロインの親もほとんど登場しない。ベタベタした、生身の親子関係を想起させる展開(=観客が自分の親とののっぴきならない利害関係を思い出すこと)を意識的に避けたのだ。現代日本アニメには、「家族・田舎」を遠く離れた観客に「ネタとしての家族・田舎」を思い起こさせるのが精一杯なのだろう。
でも、それにしても、だ(以下ネタばれご容赦!)。
おばあちゃん、殺すなよ。というか、殺すだけかよ。90すぎて完全恍惚の人となってもなお、介護制度や医療技術、年金の「おかげ」で生き延び「させられ」ている…、というのが、ゼロ年代における大半の高齢者とその家族が抱える現実じゃないのか? 少なくとも拙宅はそうだ。親の年金は祖母の介護に消えている。ピンピンコロリが可能なのは、地域医療の全国的先進地域でもある佐久・小県(ちいさがた)地方ぐらいだろう。「サマーウォーズ」は、事前の予想通り、つくづく特権的な作劇アイテムに依存するサブカルオタク&サブカル左翼な映画なのであった。
あと、もうひとつ言わせてくれ。高校の「オタ系」部活動において、美形の先輩女子高生なんて存在は、絶無だ。「なりきり彼氏」のバイト? 数学五輪の日本代表になり損ねた? 一般「非モテ」には、あまりにもツラすぎる主人公の設定。同じ「セカイ系」物語構造にしても、もっとごく普通の「生活世界」レベルでストーリー展開できなかったものか。これなら「ハルヒ」世界のほうが、まだしも純粋に楽しめるよ。
かくして、問題は「地方&SNSにおいて、青少年の健全な出会いはいかにして可能か?」へと収斂していくが、この難問については、また別項を立てて論じるつもりだ。
しかし、だ。
お台場メディアージュや新宿バルト9ほか郊外型シネコンの一部でしか上映されていないこの映画。しかもアニメ。「ぼくの夏休み」などと同様、サブカル需要を満たしつつ「田舎」なり「家族」なりを「ネタ」として流通させ、一時的に消費するだけではないのか、という懸念が、まずひとつ。高校の部活の先輩に連れられて…という入り口が、いかにも非現実で弱いのだ。そもそも現代の東京生まれ・東京育ちの東京っ子に「田舎」や「地方」が身近だとすれば、それは、その子の親が地方の農村部出身じゃないと、ほぼムリじゃないだろうか。
ほかにも、東北の農村部に生まれ育った者としては、大いに不満が残る。まず、信州上田あたりだから「真田太平記」的な歴史的リソースが豊富なのであって、そうした古都なり小京都・小江戸・城下町は極めて限られる。つまり作劇が安易な小道具に頼りすぎる。周囲の村落共同体から隔絶して描かれる「旧家」も非現実的。今なお漠然とした敬意(と決して表に出ない反感)を抱く旧小作人層が周囲を取り囲んでいるからこそ旧家は旧家たりえるのだ。「トトロ」の描く村とは大違い!
さらに根本的疑問がひとつ。祖父母は、警視総監と知り合いじゃなければ偉くないのか。父祖は、歴史に名を残したから偉いのか。そうではなくて、時代に翻弄されながらも、自分を育ててくれた親(の親の親の親…)を育ててくれたから偉いんじゃないのか? 必死に発情・交尾し、受精させようとする過去歴代の数億数兆の獣や魚、夏のセミみたいに何百年・何世代も子孫を残してきたから、無条件に偉いんじゃなかろうか?
いや、そうした「家族の歴史」なり「生物の歴史」「宗教的世界観」をリアル&壮大に描く作品ではないということは十分わかっている。この映画にはヒーローの親もヒロインの親もほとんど登場しない。ベタベタした、生身の親子関係を想起させる展開(=観客が自分の親とののっぴきならない利害関係を思い出すこと)を意識的に避けたのだ。現代日本アニメには、「家族・田舎」を遠く離れた観客に「ネタとしての家族・田舎」を思い起こさせるのが精一杯なのだろう。
でも、それにしても、だ(以下ネタばれご容赦!)。
おばあちゃん、殺すなよ。というか、殺すだけかよ。90すぎて完全恍惚の人となってもなお、介護制度や医療技術、年金の「おかげ」で生き延び「させられ」ている…、というのが、ゼロ年代における大半の高齢者とその家族が抱える現実じゃないのか? 少なくとも拙宅はそうだ。親の年金は祖母の介護に消えている。ピンピンコロリが可能なのは、地域医療の全国的先進地域でもある佐久・小県(ちいさがた)地方ぐらいだろう。「サマーウォーズ」は、事前の予想通り、つくづく特権的な作劇アイテムに依存するサブカルオタク&サブカル左翼な映画なのであった。
あと、もうひとつ言わせてくれ。高校の「オタ系」部活動において、美形の先輩女子高生なんて存在は、絶無だ。「なりきり彼氏」のバイト? 数学五輪の日本代表になり損ねた? 一般「非モテ」には、あまりにもツラすぎる主人公の設定。同じ「セカイ系」物語構造にしても、もっとごく普通の「生活世界」レベルでストーリー展開できなかったものか。これなら「ハルヒ」世界のほうが、まだしも純粋に楽しめるよ。
かくして、問題は「地方&SNSにおいて、青少年の健全な出会いはいかにして可能か?」へと収斂していくが、この難問については、また別項を立てて論じるつもりだ。