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こがら通信

書き残したいこと

誓い

2021-06-09 14:39:07 | 日記
  年甲斐もなく 20 キロはある新プリンターを持ち上げようとして 「ぎっくり腰」 になり、入院して12日になった。『第一腰椎圧迫骨折』 という診断で、治療は痛め止め注射と痛め止め薬の服用だけ。あとは安静のみ。
  単調な毎日ながら、退屈はしない。
 一時帰宅を許されて、久しぶりにパソコンを開き、このブログを更新できた。
  私はなんでも痛い目に会うとファイトが湧く方である。
  プリンターはカラーも刷れて、これから自分集を手作りしようという矢先のことであった。退院したら、なんとしてもやり遂げなければならない。

こんなことも

2021-05-16 13:27:07 | 日記
  大変な世の中になったものである。こんなときなにをブログに記していいのか迷うばかり。やむなく昔書いたものや、つまらない言葉で埋めようとなるのである。なにか まし なことでも論じようとすれば、それも年寄りの愚痴として嫌われるだけだろう。
  このブログのお仲間のどの方も 《老い》 という現実を迎え、体になんらかの故障もかかえながら、それに耐えつつ、趣味を深められながら前向きに生きようとされている姿に感銘する。
  いつの時代でも、こんな生き方が、派手ではなく地味なものであっても、実はもっとも大事なものではないか、と私は信じたいのである。

  おとといの 『朝日』 で、平井英子という方の記事があり、ふと目を通したら、「童謡歌手、2月21日老衰で死去、104歳。日本ビクターの第1号専属歌手となり、『アメフリ』 『おぼろづきよ』 『こがねむし』 『てるてる坊主』 を録音。20代で引退し、表舞台から姿を消した」 とある。
  私は 『おぼろづきよ』 が、1943年、国民学校初等科 6 学年の音楽教科書に載り、歌わされたのをここで思い出したのである。

  菜の花畠 (ばたけ) に 入日 (いりひ) 薄れ
       見わたす山の端 
(は) 霞 (かすみ) ふかし
   春風そよ吹く 空を見れば
       夕月かかりて におい淡 
(あわ)

  写真も美しい平井女史は、有名歌手となりながら 20 代でさっさと引退し、家庭生活に没頭したらしいその 〈いさぎよさ〉 にも打たれて、なにか清々しくなった。 


きのう私は

2021-05-07 10:43:54 | 日記
  小沢昭一さんの 『散りぎわの花』 というご本で見つけた次の言葉、

  戦争に敗けて、わが家も焼かれた焦土に復員したとき、もう、とことん、散るのはゴメンだと思った私も、半世紀以上タップリ生き永らえて、そろそろ散る段階に入っております。戦(いくさ)に散った兵士たちの「散って甲斐ある命」は、勝利のためには散っても…の真心だったのでしょうが、負けても甲斐がありましたよ。敗戦は、日本という国を、よくしたことに間違いないと、私は信じております。かつての、散らさせた連中への憎しみは消えませんが、散った花へは、ひたすら頭(こうべ)をたれるばかりです。

  に、大いに共感した。
  「敗戦は、日本という国を、よくした」 というくだりに特に感動した。敗戦は沢山の人を死なせ傷つけた犠牲を顧みさせる貴重な体験だったし、そして制定された平和憲法が日本の生きる道を示したと信じた私なので。


昨日のこと

2021-04-04 05:01:09 | 日記
  我がアパートそばの桜が、遂に蕾が膨らみ、ちらほら咲き始めたなと思う間もなく、昨日になって満開になったのには驚いた。桜もせっかちになったものだろうか。
  本読みにも飽きたので、昼近くになって久しぶりにスーパーで買い物をして来た。途中の桜も正に爛漫として咲いているのをめでながら、自転車をゆっくり走らせて行った。この自転車の荷かごにかなり積めるので、何日分かの食品を買うのである。おこわの弁当も買って昼食にした。
  
  あと、地元の球場で楽天対オリックスの試合をテレビで観せていたので、一寸のぞくつもりが、一点を争う試合に目が離せなかった。観客席で三つぐらいの女の児が、顔ほどに大きい三角のり巻きおにぎりをほおばっては飲み込むところも映っていて、母親がそばからかわいいというふうに児の横顔を見ているので、こちらもほほえましくなった。
  そんなことで試合が終わるまで付き合ってしまった。3 対 2 で楽天が勝った。

  その晩、字幕付きの洋画を 2 時間も観て、活字は新聞読みだけで終わってしまったなあと 11 時ごろ床に就いた。