今読んでる「東本願寺三十年紛争」。ハードカバーだから重たいのなんの…ってまあそんなことはどうでもよく、いわゆるお東紛争と言われるクーデター(法主の象徴化、東本願寺の法的閉鎖)を良くないことだと私は思ってたが、それは全くの間違いだと気付いた。法主が生き仏のように崇められて絶大な権力を持っていたことは「弟子一人も持たず」の親鸞聖人の意思に背くものだし、東本願寺という巨大寺院を持つことも親鸞聖人の生き様に背くことである。そんな巨大寺院・東本願寺が真宗本廟という、単に親鸞聖人の墓になったことは、覚如上人以前の大谷廟堂の姿・原点に戻ったという意味で喜ばしいことだと思う。
少なくともお東紛争で改革派の内局が保守派・親法主派に勝ったことは浄土真宗があるべき姿に戻るために喜ばしいことだった。法主の絶対王制だった時代、その命令で何度本願寺は間違った方向に進む羽目になったか(例えば一向一揆)。宗門が王制を廃して民主化したのは本願寺史上の偉業である。改革派を指して過激なアカと対立派は呼ぶけど、それもウソらしい(そのウソに私は騙されていた)。真宗大谷派の進める『同朋会運動』は政治的意図は何も無く、純粋な宗教運動である。複雑に利権が絡む西本願寺の基幹運動よりピュアである。今まで西の方が健全だと思っていたが、実は逆なのではないか!?
私の家は元々真宗大谷派(東)だったが、祖父が死んだ時、生前祖父が「うちは西」と言っていたという父の証言に従ってそちらの寺に頼んで葬儀をやってもらった。そして祖父の実家に行って仏壇を見たら明らかに東のものだった。つまり生前の祖父が間違えていたか、父が間違えて証言したかのどちらか。私の代になったら…東に戻ろうかと今考えているところ。西が嫌いになったわけでは断じてないけどね。
なんのことかわからない方はこちらをどうぞ。
少なくともお東紛争で改革派の内局が保守派・親法主派に勝ったことは浄土真宗があるべき姿に戻るために喜ばしいことだった。法主の絶対王制だった時代、その命令で何度本願寺は間違った方向に進む羽目になったか(例えば一向一揆)。宗門が王制を廃して民主化したのは本願寺史上の偉業である。改革派を指して過激なアカと対立派は呼ぶけど、それもウソらしい(そのウソに私は騙されていた)。真宗大谷派の進める『同朋会運動』は政治的意図は何も無く、純粋な宗教運動である。複雑に利権が絡む西本願寺の基幹運動よりピュアである。今まで西の方が健全だと思っていたが、実は逆なのではないか!?
私の家は元々真宗大谷派(東)だったが、祖父が死んだ時、生前祖父が「うちは西」と言っていたという父の証言に従ってそちらの寺に頼んで葬儀をやってもらった。そして祖父の実家に行って仏壇を見たら明らかに東のものだった。つまり生前の祖父が間違えていたか、父が間違えて証言したかのどちらか。私の代になったら…東に戻ろうかと今考えているところ。西が嫌いになったわけでは断じてないけどね。
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そんなの関係ない話。
今朝、新聞に比叡山の9日間断食・断水・不眠のこもりを行った星野師の話が掲載されていました。
一日も断食できない私からみたら、すげぇぇぇことです。
人間こんなに我慢できるのですね?
「へぇぇぇ」って思って読みました。
腰ギンチャクのたけのうちは死んだし・・・