父さんの会社が倒産した!

~40代、貯金ゼロ一家のサバイバル起業奮戦記~

社長の引力

2011-08-31 12:17:28 | 日記
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  2010年10月14日から続いている日記です。初めての方は、ぜひ最初の記事からお読みください。
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陰でのワンマンぶりは凄かったが、この社長は人を惹きつける天才だった。
魅力が備わっていたというか。

お客さんや他業種の経営者さんなど、会う人から一目置かれ、どんどん虜にしていくのだ。

それを見習ってか、一緒に働いていた男の子も、どんどん自分のファンを増やしていった。


ショップにいる人間全てにファンがつけば、それだけリピーターを増やす。

新たな集客には雑誌等を使って社長が話し下手ながら海の魅力を語り、雑誌社を惹きつけて なんと久米島特集を組ませてしまうのだ。

当時、久米島にはスポットライトが当たっていなかったのだが、ダイバーに久米島を認知させた第一人者は、社長だった。


次第に久米島には、多くのダイバーが訪れるようになっていった。

それにつれて、自分のところのショップだけではなく他のショップにもお客さんたちが集まり、久米島はとても賑わうスポットになっていったのだった。

社長は全て自分のお店のことを考えてやったことだったのだろうが、結果は自分のところも他の店も、みんながとても潤うものとなっていった。





← へへへ、その雑誌には私も載ったんだ♪ 今では有名になった水中カメラマンの高砂淳二さんが、撮ったんだよ。みなさんにも見せたぁ~いのだ。^^v



今週の3日(土)に、『オダサガ文化祭』http://umick.com/odasagabunkasai/が、小田急相模原の駅ビル(ラクアル)で模様されます。

出展者は、小田急相模原に馴染みの深いハンドメイド作家さん、クラフト作家さん、絵描きさん、近所のカフェやパン屋さん、サロンさんなどが集まります。

そらちゃんも、『さん』http://san-office.com/ で参加しますので、どうぞ皆さん是非遊びに来てくださいねぇ~♪
当日、私も午後から遊びに行きます!


(ん?昨日も宣伝してたぞ、って? 宣伝は、とても大切なのだ!(笑))

これってなんの会社?

2011-08-30 11:20:26 | 日記
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この社長の経営者ぶりは、考え方も行動も赤ちゃんみたいだった私には、ビックリなことだらけだった。

ダイビングショップなのだから、ダイビングのことだけしているのかと思いきや、宿泊施設、飛行機の手配、送迎などのトータルコーディネイトまでやっていた。

飛行機の手配をするのに、数社の旅行代理店との提携をすでにしていて、これじゃあ旅行会社じゃないか と、当時の私は思っていた。


働き出した最初の頃の私は、海の仕事に従事できる、毎日海に潜れる、と甘い考えでいたのだが、いつしかこの旅行関係の仕事一切を私が仕切らされるようになっていた。
デスクワークである。

ぁああ、、、目の前のエメラルドグリーンの海よ、鮮やかな太陽よ、爽やかな風よ、お前たちを存分に味わうことの出来ない私は、このコンクリートの中なのだよ…
と、一人事務所で涙することもたびたびあったような、なかったような。。。


そんな私の気持ちなど社長は考えるわけでもなく、朝早くから働く二人(私と男の子)は 遅くに起きてくる社長を恨めしく思いつつ、お客さん集客のために深夜になるまで働かされたのであった。




← 目の前が海だってのに… 潜りたいよぉ~ て、本当は泣いたんだ。テヘヘ  でも、そのうちガイドとしてデビュー出来たのだ! わぃ! 本日もポチッとありがとうございます!



今週の3日(土)に、『オダサガ文化祭』http://umick.com/odasagabunkasai/が、小田急相模原の駅ビル(ラクアル)で模様されます。

出展者は、小田急相模原に馴染みの深いハンドメイド作家さん、クラフト作家さん、絵描きさん、近所のカフェやパン屋さん、サロンさんなどが集まります。

そらちゃんも、『さん』http://san-office.com/で参加しますので、どうぞ皆さん是非遊びに来てくださいねぇ~♪
当日、私も午後から遊びに行きます!


シンプルな社長

2011-08-29 09:51:59 | 日記
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社長は、それまで私が見たことも聞いたこともないタイプの人間だった。

そのころの私は、お店や会社を経営する人っていうのは ある程度年(トシ)をとっていたり、私には考えられないような難しい考え方をしているのだと思っていた。

要するに、「やりたい」からという単純な理由で、自分のやりたいことを実現しているのではないと思っていたのだ。

しかし、社長は若い。
そしてすごくビックリしたのが、考えがとってもシンプルだったのだ。
 

社長はあることをきっかけにして「俺はいつか金持ちになってやる。」と思い立ち、猛然と働き出したそうだ。

ある程度の資金が貯まったところで、足りない分は借金をしてダイビングショップの建築やら機材やらを揃えて行った。

何故ダイビングショップかと言うと、資金稼ぎをしていた頃のアルバイトが作業ダイバーだったというのが理由だったようだ。

作業ダイバーとは、水中土木や海底調査など、各種のエンジニアリング関係の作業に従事する職業ダイバーのことで、社長は特に水中土木や船の船体調査などをしていた。

そこの経営者が、ダイビングの免許を取得(指導)する資格を持っていたことから、自分はレジャーダイビングを立ち上げようと考えたのだった。


そして単身、どこの島を拠点にしようか沖縄の島々を巡り、久米島に決めたそうだ。

(なんか、社長のサクセストーリーになってきているような・・・ ま、いっか。)





← 大きな船の船底での作業は、上下左右がまったくわからなくなって、ボンベの空気がなくなりかけて危ないことがたくさんあるだそうだ。生きていて良かったぁ~、、


勇気を出して呼んでみる

2011-08-28 16:02:45 | 日記
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しかし、このビビリをなんとかしないとこれからやってはいけない。

と、内心でなんとなく思っていた私は、経営者をある呼び名で呼ぼう、と決心したのである。

ちょっと度胸がいったけど、「その呼び名を受け入れてくれたら、私はここで頑張れる。」と、なんかそう思ったのだ。
特別な呼び名ではなかったが、当時、彼をその呼び名で呼んでいる人は誰一人いなかった。

実は私、その呼び名自体、なんとなく昔から好きだった。

シュチュエーションも頭の中で描き、そのときが来たら絶対に言おう、と心に決めたのだ。


で、その時が来たのである。


当時、経営者はとにかく人と話すのが苦手だった。

ダイビングサービスとは客商売なので、ある意味接客業でもある。
しかし、海から戻るとダイビングスーツのまま、逃げるように店の裏から自宅に帰ってしまうのだ。

そして、その日も事務所にいる私の目の前を通って逃げ出そうとしていた経営者を、私は
「しゃちょおおおおおお!!!! どこへ行くんですか! また、逃げるんですか!!!」
と、呼び止めたのだった。

突然のことに 経営者も「ぇ?!」てな感じだったが、含み笑いをしながらやっぱり逃げて行ったのだ。


うん。手応えありだ。 うん。これはイケル。 よし、明日から「社長」で大丈夫だ!


こうして若き経営者は、私から「社長」と呼ばれることにより、徐々に社長化していくのであった。

じゃなくて、私と社長との距離がぐんと縮まったエピソードである。


さて、プロローグが長くなってしまったが、この社長の物語も実にオモシロイのである。





← 「しゃちょぉ~~!」なんか好きなんだなぁ~ この響き♪ 全国の社長さん、がんばってください! て、イミフメイ… (笑)

ダイビングショップの経営者

2011-08-27 15:19:58 | 日記
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私に「人生はオモシロイ」と思わせてくれる強烈な人物が、母以外にもう一人いる。

ずっと前の記事でちょっとだけ触れた、私が25歳のときに沖縄は久米島で出会った、当時のダイビングショップの経営者である。(南の島へ )


その経営者は 当時26歳(私の一つ年上)で、なんと若干25歳のときに 友人と二人でそのダイビングショップを立ち上げていたのだった。

立ち上げた当初は スタッフが経営者を含め4~5人いたらしいのだが、何が原因かわからないけど 次第に一人減り二人減りしていったようだ。

そして私が出会ったときは、経営者ともう一人、私より二つ年下の男の子(当時だからね)だけになっていた。


その経営者の第一印象は、無口であまり笑わなくて背が高くてスレンダーでお洒落で、まぁ カッコイイ部類の人だったのだが、とにかく人を簡単には寄せ付けない雰囲気があった。

さる 「ぅう、、ひと夏という約束でアルバイトをノリで引き受けたのはいいけれど、あたし大丈夫なんだろうか?」

と、ちょっとビビリ気味な私だったのだ。

でも、内心ビビリながらも顔だけはしっかりニコニコニヤニヤしている私なので、そのうち無口な経営者とも少しずつ話ができるようになっていった。




← ぁあ、、このノリで何でもやっちゃう性格って昔からだったんだわ…  どうか皆さんもノリでワンクリックプリーズ… テヘ♪