清志郎がフジのホワイトで叫んだ。
「オレはもう35年もロックンロールをやっているんだぜ、イエイ!」
だいたい、オレはなどという言葉が似合わない、ぼくって、今でも、50歳を越えてるのにぼくって言葉の似合うミュージシャンだ。
ホワイトの清志郎はみごとにRCサクセションそのものだった。
もともと、RCは彼のものなのだから当たり前だが、ここまでRCを再現する彼を久しぶりに見た。
隣でカリスマトリマーの友達が泣いていた。
「みんなに、みんなに、こんな時だから聞きたいんだ、聞きたいんだ!いいかい?、いいのかい?」
こういう繰り返しは彼特有の音楽的しゃべり方のひとつだ。
そして、
「愛し合ってるかい?愛し合ってるかい!」
とささやき、叫んだ。
昔からRCのファンだった人なら知っている。
彼は35年前、まずは奇妙なアイドルフォークグループとして「僕の好きな先生」の大ヒットで17歳かなんかだったがスーパーグループになり、すぐに売れなくなった。
3人の客の前でも叫んでいた「あいしあってるかい?」
これだけは欠かさなかった。
特に意味などなかったように聞こえたこともあった。
やがて反抗的であることで自分の場所を確保し、プライドを保とうともがき、それでもほかのことの全く出来ない天才清志郎は叫び続けていた。
「あいしあってるかい?」
愛し合ってなんかいねえだろ、このやろう、おまえたち!、そう聞こえたことが一番多かった。
認めてもらえなかった時代、ただただ5万円かなんかの給料でロックンロールだけを抱えていた時代。
「今日は入ってるね」とライブハウス屋根うらのステージ横から覗いてそう言った横顔。
今日は、という言葉にジンと来た。
毎日いっぱいだったのに。
長い間客の少ない場所でさえ、同じ事をやってきた彼には「今日も」という言葉はそのころにはなかった。
あいしあってるかい、はホワイトではまっすぐに聞こえた。
愛し合ってるかい!
愛し合っていこうよ!
そんな風に届いた。
フジロックでライブを見たいと思う、その瞬間のすべてがここにある。
特別なロックの居場所がここにあるんだ。
「オレはもう35年もロックンロールをやっているんだぜ、イエイ!」
だいたい、オレはなどという言葉が似合わない、ぼくって、今でも、50歳を越えてるのにぼくって言葉の似合うミュージシャンだ。
ホワイトの清志郎はみごとにRCサクセションそのものだった。
もともと、RCは彼のものなのだから当たり前だが、ここまでRCを再現する彼を久しぶりに見た。
隣でカリスマトリマーの友達が泣いていた。
「みんなに、みんなに、こんな時だから聞きたいんだ、聞きたいんだ!いいかい?、いいのかい?」
こういう繰り返しは彼特有の音楽的しゃべり方のひとつだ。
そして、
「愛し合ってるかい?愛し合ってるかい!」
とささやき、叫んだ。
昔からRCのファンだった人なら知っている。
彼は35年前、まずは奇妙なアイドルフォークグループとして「僕の好きな先生」の大ヒットで17歳かなんかだったがスーパーグループになり、すぐに売れなくなった。
3人の客の前でも叫んでいた「あいしあってるかい?」
これだけは欠かさなかった。
特に意味などなかったように聞こえたこともあった。
やがて反抗的であることで自分の場所を確保し、プライドを保とうともがき、それでもほかのことの全く出来ない天才清志郎は叫び続けていた。
「あいしあってるかい?」
愛し合ってなんかいねえだろ、このやろう、おまえたち!、そう聞こえたことが一番多かった。
認めてもらえなかった時代、ただただ5万円かなんかの給料でロックンロールだけを抱えていた時代。
「今日は入ってるね」とライブハウス屋根うらのステージ横から覗いてそう言った横顔。
今日は、という言葉にジンと来た。
毎日いっぱいだったのに。
長い間客の少ない場所でさえ、同じ事をやってきた彼には「今日も」という言葉はそのころにはなかった。
あいしあってるかい、はホワイトではまっすぐに聞こえた。
愛し合ってるかい!
愛し合っていこうよ!
そんな風に届いた。
フジロックでライブを見たいと思う、その瞬間のすべてがここにある。
特別なロックの居場所がここにあるんだ。
やっぱ観とけば良かった。。。
確かにあの場所には何かが絶対にあると思う。
最高です
この人こそ、日本でも数少ない、本当の意味でのロックンローラーです。(断言)
これからも、ぜひ、変わらず進んでほしいっす!
サマータイムブルースも最高だったグラマラスで。
三宅さんのギターも片山さんも梅津さんも
みんなが凄くて何より清志の声が太くて切なくて
最高でした。
RCよりRCでした。
BEST act of 2005 FUJI ROCK。
見て良かったホントに・・・。