退職願 2012年05月24日 02時28分55秒 | 日記 昨日退職願を提出し、受理された。 俺自身はもう無理なので、今日にでも辞めたいところを、引き継ぎの関係もあるので今週いっぱいでの退職を希望した。 しかし会社としてはひと月単位、場合によっては2ヶ月ほど引き延ばすようなニュアンス。 明日、上の方の上司とその辺を話し合う事になっているがそういうのも含めて、本当疲れた。 最近、出社前に広い公園で煙草を吸いながらぼーっとするのが習慣になった。 綺麗な空ほど、絶望感や憂鬱を深めるのはなぜだろう。
辞表 2012年05月20日 18時31分16秒 | 日記 明日、会社を辞めようと思う。 昨日、突発的に首吊りそうになった。 なんかもう、疲れた。 今日、心療内科の通院日だったが「ここではこれ以上の診察はできない」旨を告げられ、 専門の病院を勧められた。 また力を振り絞って求職活動して、抗鬱剤飲みながら必死こいて生きるか、今日まで相当俺的に頑張って生きてきたから もう終わるか、現時点ではまだ結論が出ていない。 ここ数年間、1ミリの煙草に抑えてきたが、気付いたら3ミリ買ってスパスパ吸ってた。 わずか3ミリの煙草でも、長年軽いのばかりだったからそれなりにクラクラして心地いい。 本当、疲れた。
シニタイ 2012年05月14日 22時36分54秒 | 日記 「死にたいという人ほど死なない」という事をたまに耳にする。 根拠のない妄言だと思うのは俺だけだろうか。 事実、自分の周りで生前「死にたい」と口にしていて、自ら死んでしまった人はひとりやふたりではない。 冒頭の写メは日曜に銀座で撮ったもの。 通院と仕事に追われる毎日に変化をつけようかと、銀座某所でギターの体験レッスンを受けてきた。 防音室で無心に音を出す作業は純粋に楽しい。 月に三度のレッスンを受けようかな、と少し思った。 でも、月曜の今日、早くも仕事で疲れすぎ。 バイクでの帰り道、気付くと「死にてぇ死にてぇ」呟いていた。 俺は確かに「死にたいという人ほど死なない」人なのかもしれない。 でも、今日は死ねるなら死にたいと本当に思う。
生きること死ぬこと 2012年05月10日 02時19分06秒 | 日記 生きてる意味あんの?ってよく思う。 誰かに読んでもらうというよりも、文章にすることで自分を客観的に理解したいからいずれ書くつもりのことのひとつに、自分の病気がある。 おそらく10代で発病(おそらく、と書くところにもこの病気の特徴があるのだが)してから、辛いばかりの人生だった。 20年前もそう。 そして、現在も同じ。 むしろ、長く生きるほどに苦痛は増していく。 そんな人生、早く終わらせてしまった方がいいに決まっている。 実際、何度か行動した。 でも、生きることへの僅かな執着が、自分を今日まで生かしているのだと思う。 生への執着があろうとなかろうと、人はみな死んでいく。 独りで死んでいく。 早いか遅いかの差異はあれ。 20歳まで生きれば十分だと思っていた自分が35年も生きていて、未来への希望にあふれた若者が病気や事故で命を奪われている。 なんだこの現実って思う。 俺もやがて死ぬが、そんなに先ではないように感じる。 せめてこの短い一生に、多少なりとも生きた証を残したい。 他人が分かってくれるような大それたものでなくていい。 むしろ、真実は自分の中にだけあるものなんだろう。 でもそれは、ただ待っていて得られるものではないと思う。 俺が見る限り、友人も職場の人たちも、生に向かって未来に向かって生きているようだ。 俺は、死ぬために生きよう。 それが自分なのだから、それでいい。