ヴィラジョクヨロブン アンニョンハセヨ~
今日は東京で梅の開花が見られたようです。
平年よりも随分と遅かったそうです。
梅が満開になるのはいつ頃でしょうかね~
さて~記憶が曖昧になってきているので早く書かないと…
3泊4日の弾丸ツアー中、終日フリーの3日目は
韓国ドラマでも李氏朝鮮時代を描いた作品を沢山見ているので
一度は王宮を見ておきたいと思っていました。
何せ「歩いて廻ろう」ということなので遠くへは行けません
初日にロッテ免税店で頂いた日本語表記のソウル地図を頼りに
ホテル→景福宮→北村韓屋村→昌徳宮→宗廟→明洞→ホテル
という風に時計回りに回って来ることにして朝11時に出発したのですが
計画通りに全部は行けませんでした
光化門を午後0時50分頃に出て北村韓屋村を目指します
門をくぐってすぐ前の大通りを左(東)へ道なりにゆっくり歩くことおよそ20分
1回だけ左折します。目印は「憲法裁判所」
「憲法裁判所」まで行ったら少し直進すると「斎洞小学校」が見えて来ます。
この「斎洞小学校」の前に“観光案内所”があるので
ここで日本語表記の「北村観光案内図」を頂きます。(フリーペーパー)
地図を入手してから知ったのですが、北村は反時計廻りで歩くことになりました。
最初は「斎洞小学校」裏の≪楽古斎(ラクコジェ)≫
いつかはこちらに宿泊してみたいものです。
楽古斎
韓国観光公社サイト
細い路地を地図に従い進んで行くと車がすれ違える位の道に出ます。
道の両脇には土産物を扱うお店や小物・アクセサリーのお店、食材を置いている店、食堂など
小さ目の店が並んでいます。
残念なことにice達が訪れた1月22日は旧正月に当たり、ほとんどの店が休みでした
店が開いてないなら韓屋を見ることに集中しようと思っていたら
姉がアジュモニに韓国語で話かけられました
姉は全く分からないという顔をしていたのでしょう。
「日本人ですか?」と今度は日本語でしたので「はい」と答えたら
「私はユジンの家に住んでいた者です」と言ってました。
2006年の訪韓時にユジンの家と中央高校は訪れていましたのでびっくりしました。
あの時はツアーバスで連れて来られたので地理を全く理解していませんでしたがこの当たりだったんですね~。
チュンサンが登校前にした場所はすっかり様変わりして
ユジンのは階段も無くなってました
この電柱もありません
現在は
↑の手前のカーブを進むとかつてはユジンの家がありました。
今はこれ
凄い豪邸ですよ
ユジンの「ユ」の字も感じる所はありません
そして春川高校という設定だった「中央高校」
校舎正面
講堂(チュンサンのピアノの音が聞こえました)
放送室
放送室前のレンガ校舎
毎朝遅刻者がゴリラからバツを受けていた正門の坂
ユジンの家に住んでいたアジュモニは門の外の土産物屋をやってました
ユジンの家の前の小道を進んで行きます。
この家、「明日に向かってハイキック」の教頭先生の家として使われた家です。
重なり合う屋根と屋根の間に開いてる所が見えますが、ここが伝統家屋の中庭なんでしょうね。
歩いてみるとたいして広い地域ではないのですが、とにかく坂が多いので結構疲れます
案内図を広げていると日本語は分かりそうにないアジョッシが覗きこんで来て
自分に付いて来なさいという手振りをしました。
案内図を見ているのに気付かなかったのですが、スポットがちゃんと記されているのです。
『北村8景』と書かれていて8か所のスポットがあったのです。
アジョシはとても親切に道案内をして下さいました
名前も伺いませんでしたが「アジョシ~チョンマル コマスムニダ~」
北村韓屋村を1周することおよそ1時間半。
時刻はすでに午後2時40分位になってました。
ここで遅い昼食を取る事にしてお店を物色
一般的な韓国料理は夜にしようと、お昼はお正月らしく「お餅」のお店へ
外から店内を覗きこんでいると手招きされたので
日本人だと分かると少しだけ日本語が解るお姉さんが応対してくれました
姉は「あずき」、iceは「カボチャ」のスープを注文しました。
どちらも素材から出る甘さがトック(餅)と合ってマシッソソヨ
姉はキムチが「美味し過ぎる~」と感激してました。
このお餅を食べている時間がすでに午後3時
どう考えても世界遺産の「昌徳宮」と同じく世界遺産の「宗廟」の両方を見学するには無理の様です
そこで、iceとしてはどうしても外せない「宗廟」を見るために「昌徳宮」は諦めました
「宗廟」目指して歩いているとあちこちに貼ってあるポスターがにつきました。
このカササギは何と言っているのでしょうか?
ハングルの読める方、教えて下さいな
いよいよ「宗廟」ですが今日はここまで。
続きは明日~
今日は東京で梅の開花が見られたようです。
平年よりも随分と遅かったそうです。
梅が満開になるのはいつ頃でしょうかね~
さて~記憶が曖昧になってきているので早く書かないと…
3泊4日の弾丸ツアー中、終日フリーの3日目は
韓国ドラマでも李氏朝鮮時代を描いた作品を沢山見ているので
一度は王宮を見ておきたいと思っていました。
何せ「歩いて廻ろう」ということなので遠くへは行けません
初日にロッテ免税店で頂いた日本語表記のソウル地図を頼りに
ホテル→景福宮→北村韓屋村→昌徳宮→宗廟→明洞→ホテル
という風に時計回りに回って来ることにして朝11時に出発したのですが
計画通りに全部は行けませんでした
光化門を午後0時50分頃に出て北村韓屋村を目指します
門をくぐってすぐ前の大通りを左(東)へ道なりにゆっくり歩くことおよそ20分
1回だけ左折します。目印は「憲法裁判所」
「憲法裁判所」まで行ったら少し直進すると「斎洞小学校」が見えて来ます。
この「斎洞小学校」の前に“観光案内所”があるので
ここで日本語表記の「北村観光案内図」を頂きます。(フリーペーパー)
地図を入手してから知ったのですが、北村は反時計廻りで歩くことになりました。
最初は「斎洞小学校」裏の≪楽古斎(ラクコジェ)≫
いつかはこちらに宿泊してみたいものです。
楽古斎
韓国観光公社サイト
細い路地を地図に従い進んで行くと車がすれ違える位の道に出ます。
道の両脇には土産物を扱うお店や小物・アクセサリーのお店、食材を置いている店、食堂など
小さ目の店が並んでいます。
残念なことにice達が訪れた1月22日は旧正月に当たり、ほとんどの店が休みでした
店が開いてないなら韓屋を見ることに集中しようと思っていたら
姉がアジュモニに韓国語で話かけられました
姉は全く分からないという顔をしていたのでしょう。
「日本人ですか?」と今度は日本語でしたので「はい」と答えたら
「私はユジンの家に住んでいた者です」と言ってました。
2006年の訪韓時にユジンの家と中央高校は訪れていましたのでびっくりしました。
あの時はツアーバスで連れて来られたので地理を全く理解していませんでしたがこの当たりだったんですね~。
チュンサンが登校前にした場所はすっかり様変わりして
ユジンのは階段も無くなってました
この電柱もありません
現在は
↑の手前のカーブを進むとかつてはユジンの家がありました。
今はこれ
凄い豪邸ですよ
ユジンの「ユ」の字も感じる所はありません
そして春川高校という設定だった「中央高校」
校舎正面
講堂(チュンサンのピアノの音が聞こえました)
放送室
放送室前のレンガ校舎
毎朝遅刻者がゴリラからバツを受けていた正門の坂
ユジンの家に住んでいたアジュモニは門の外の土産物屋をやってました
ユジンの家の前の小道を進んで行きます。
この家、「明日に向かってハイキック」の教頭先生の家として使われた家です。
重なり合う屋根と屋根の間に開いてる所が見えますが、ここが伝統家屋の中庭なんでしょうね。
歩いてみるとたいして広い地域ではないのですが、とにかく坂が多いので結構疲れます
案内図を広げていると日本語は分かりそうにないアジョッシが覗きこんで来て
自分に付いて来なさいという手振りをしました。
案内図を見ているのに気付かなかったのですが、スポットがちゃんと記されているのです。
『北村8景』と書かれていて8か所のスポットがあったのです。
アジョシはとても親切に道案内をして下さいました
名前も伺いませんでしたが「アジョシ~チョンマル コマスムニダ~」
北村韓屋村を1周することおよそ1時間半。
時刻はすでに午後2時40分位になってました。
ここで遅い昼食を取る事にしてお店を物色
一般的な韓国料理は夜にしようと、お昼はお正月らしく「お餅」のお店へ
外から店内を覗きこんでいると手招きされたので
日本人だと分かると少しだけ日本語が解るお姉さんが応対してくれました
姉は「あずき」、iceは「カボチャ」のスープを注文しました。
どちらも素材から出る甘さがトック(餅)と合ってマシッソソヨ
姉はキムチが「美味し過ぎる~」と感激してました。
このお餅を食べている時間がすでに午後3時
どう考えても世界遺産の「昌徳宮」と同じく世界遺産の「宗廟」の両方を見学するには無理の様です
そこで、iceとしてはどうしても外せない「宗廟」を見るために「昌徳宮」は諦めました
「宗廟」目指して歩いているとあちこちに貼ってあるポスターがにつきました。
このカササギは何と言っているのでしょうか?
ハングルの読める方、教えて下さいな
いよいよ「宗廟」ですが今日はここまで。
続きは明日~
昨日早めに寝ましたらもう目が覚めてしまいました
ファンミ3日目・・・本当に良く歩きましたね
ユジンの家もう無いのね、大好きなチュンサンの
寄りかかってタバコを吸った電柱も
でも音楽室も放送室も
そのままで良かった、きっとなかは違うと思いますが
北村韓屋村一周一時間半ですか、今度韓国に行く機会があったら
是非言ってみたいです
カササギが言っている事は多分
無断でゴミを投棄しないで
今もうやめて
そうのような事だと思うのですが
是非行ってみたいですでした
ついでですが、カササギの看板下の赤い文字は
待ってここにゴミを捨てる事はいけません
て書いてあります。
ゴミを捨てる人がきっと多いのですね。
旅もこういう所を回るのがいいね~
ユジンのお家に住んでいたアジュモニや道案内してくれたアジョッシなど、地元の方との交流が、
裏山~
「冬ソナ」が2002年の放送だったそうで、
もう10年ひと昔ですから、いろいろ変わって行きますよね~。
でも、このドラマは、ちっとも古い気がしません。何度見てもいいね~
一緒に旅が出来るお姉さんがいてとってもうらやましいな~
さすがuranちゃん、
この看板の中身が理解できるなんて
鳥だから、環境関係かな?位にしか
わからないわ~
まさか、ゴミの事が書かれているなんて
北村韓屋村一周一時間半・・・私も行きたいです。
講堂、放送室前のレンガ校舎・・・ああ、行ってみたいなあ。
ユジンの家に住んでいたアジュモニは日本人の観光客にそうやって声をかけてくれるのですね。冬ソナを愛する人たちの心がわかるのでしょう
ユジンの家の階段もなくなり、タバコのシーンの電柱もなくなり、そして今はパク・ヨンハさんも亡き人なんて、寂しすぎます。
でも、いすうちゃんと同じく、このドラマはちっとも古い気がしません。何度見てもいいですね
私は、高校時代のユジンが好きですよ
iecちゃんはお姉さんと二人で
自由に歩けたんだね(凄いわ)
韓国にはとっても≪愛≫をもっているけど
ハングルも、読めないしゃべれないだから
自由行動なんって・・・
チングとその他大勢だったら太っ腹だけど
ユジンの家は北村韓屋村に近いの?
ぜんぜん知らなかった
そういうのって、やっぱ自分の足で歩いて
こそ覚えるんだよね~
そういう自由行動は
自由で行く韓国でないと無理だよね
いつかヴィラのみんなで行きたいね
uranオンニかっこいい
ハングルがわかる人って凄い
私も何度か挑戦したけど・・・
私もいつかiecちゃんみたく
1コトでいいからヨンヨンと
言葉を交わしてみたいよー
カササギがゴミを捨てる人間に注意しているのね。そういうマナーはできていない人が多いのかな。
冬ソナでユジンがサンヒョクのタバコを地面に捨てて足で踏みつける場面があったでしょ?
あれ?と思いましたよ。あんまり気にしない国なのかな。
でも、写真で見るかぎりは綺麗な町並みですよね。ハングルのできるチングと一緒に歩きたいです
今朝は随分早起きでしたね
今夜はもうお休みでしょうか?
流石です。
カササギはごみの不法投棄を注意していたんですね
このポスターのお陰でしょうか?
歩いていた所ではゴミが気になる所は見なかった様に思います。
ユジンの家の様変わりにはびっくりしましたが
持ち主さんも古くなったり、使い勝手が悪かったりすれば
建て変えもしたくなりますよね
時の流れには逆らえませんね。
北村韓屋村はそれほど広くはないので
ゆっくり歩いて回れば大丈夫だと思います
ソウルは治安も悪くないし、親切な人が多いです。
困った様子をしていると必ずと言って良いほど声を掛けて貰えます。
で有名な観光地を廻るのも良いですが
時間をかけて歩いてみるとでは見落としてしまいそうなことまで気付けて楽しいよ
いすうちゃんも来年はゆっくりと行けるかな?
中央高校は2002年の「冬ソナ」撮影時にはあった焼却炉が2006年にはすでにありませんでした。
今回は校庭が変わっていました。
人工芝が全面に敷かれていました。
校庭の向こう側は中等部でしょうか?校舎が増築されていました。
学校も個人の家も他人から見れば変わらずそのままであって欲しいと思うことも
そこに住んでいる人にとっては不便なことや不都合もあるんでしょうね?
世界的な流れがそうである様に
ソウルも場所が多くて愛煙家は大変です。
ice達がまだ20代前半のころまでは道にを捨てて靴で消している人を多く見かけましたよ。
流石に近年ではそういう人は見かけなくなりました。
ソウルもレストランやカフェではです。
明洞の食堂は喫煙可でしたので姉はホッとしてしていたら後ろの席からクレームが来ました。
喫煙者はどこへ行っても厳しくなってきましたね。