わたしの山日記 **山川陽一の環境レポート**

あの山あの峪、かつての美しい自然がすっかり変わってしまったのを見る度に胸が痛む。何とかしければいけないと思う。

46.林業に未来はあるか

2006-11-24 07:50:52 | Weblog
大分県日田郡、2002年サッカーワールドカップのときカメルーンの合宿地として一躍有名になったあの中津江村がある場所と言えば、「あ、そうか」とうなずく方も多いだろう。ここは、九州のヘソのようなところに位置する山奥で、原木の取扱量が日本一のスギの産地である。今春、森林ボランティアの仲間とそんな日田林業を訪ねて、山を案内してもらい、製材所を見学し、森林組合の組合長のお話を聞いた。
日田は面積の大半が山林で、そのまた大半が民有林である。山林の総面積は四万ヘクタールに及び、伐期を迎えたスギは需要があれば伐採するが、一部を除いて、もはやその後に植林されることはない。切ったスギを売っても、伐採跡に植林し育林するコストを賄うに足る収入が得られないからである。切りっぱなしで、再生産のサイクルを回すことが出来ないこんな状態は、もはや業と呼べる経営体とは言い難い。地場産業としての林業の将来に光が見えない現状に、見切りをつけた若者たちはみんな外に出て行くから、ますます悪循環が加速する。日田のスギは、秋田杉や京都の北山杉のような原木としてのブランドが確立されているわけではない苦しさがある。付加価値を高めるためにはじめたログハウス事業は、外国ものにシェアを押えられて、不調の林業を支えるにはまだまだ力不足である。また、1990年に設立された第三セクターの会社「トライウッド」では、Iターン、Uターン組も積極的に取り込み、若い山作業の従事者を育成し、植林・育林・伐採などの山仕事から木工品の製品化までを手がけて必死にがんばっているが、これとて、日田林業全体の活力源になるには道が遠い。
中国需要の急増などによる材木価格高騰の神風が吹いてくれることをひたすら待ち望む組合長の声には元気がなく、日本の林業の縮図を見るようで、その場を逃げ出したい思いに駆られたのだった。自主努力では如何ともし難い市場価格と生産コストとのギャップの大きさが、意欲を奪い去ってしまっているのだろう。

昨年、私たちは、ヤナセスギで有名な高知県の馬路村を訪ねた。同じ林業で生きてきた村であるが、そこには元気百倍の勢いがあった。馬路村は国有林が主体で、国有林野事業の縮小とともに林業からの退場を余儀なくされた。同じ林業の衰退であっても、民有林主体の日田とは事情がまったく異るが、彼らは、ユズ生産と独自のユズ製品の開発・販売に活路を見出して、それを全国ブランドにまで育て上げた。人口わずか1200人、陸の孤島のような過疎の村で、今や、ユズだけで年間30億円を超える収入をあげ、平成の大合併でも、合併話を断って日本で最後まで残る村になると公言してはばからない。

どんな斜陽産業でも、その中で独自な生き方を見つけて輝いている一団はある。材木価格が下落して採算ベースを大きく割り込んだ中でも、他の追従を許さない特徴を売り物にブランドを確立して生き残りを図ったり、過疎を味方につけて脱林業に成功した馬路村の人たちのようなケースもあるが、活路を見出せなかった大多数は、取り残された悲哀の中で苦難の道を歩んできた。
農業と並んで、国の一次産業の根幹を成す林業をどう再建するかは、わが国にとっての重大問題である。現在の窮状も、大本をただせば、戦後の材木需要の盛り上がりに端を発し、大量伐採、拡大造林、木材輸入の完全自由化へと誘導した一連の国策の失敗に行き着く。
まずは、雨風をしのげる程度のベースを国や地方自治体が提供しないと、国民は必死の自主努力で晴れる日を待つ心境にもならないのではないか、そんな感想を持った旅であった。


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45.高度文明の行き着く先

2006-11-17 07:11:51 | Weblog
過去、人間は、地球の資源は無限であるという大前提の下に社会システムを構築してきた。しかし、近年の科学技術の長足の進歩と、それに伴う経済成長、世界人口の爆発的増加は、森林資源の急減と地下資源の枯渇をもたらし、地球資源が有限であることを浮き彫りにした。
森林資源について考えてみると、世界の原生林の80%がこの30年の間に伐採されて消えていった。これを復元するには1000年の年月を要する。
地下資源はどうであろうか。もし、現在のペースで採掘が続くと仮定すると、石油の埋蔵量はあと33年、天然ガスは45年しかもたないと推定されている。30年前にもあと30年と言われた石油の推定埋蔵量は、探査技術と採掘技術の進歩で今なおその数字は変っていない、だから、これから先も安泰だという安易な説を唱える人もいるが、多少の延引はあっても枯渇は時間の問題であることに違いはない。億の歳月をかけて蓄積されてきたものが、再生産の見通しの無いまま、高々数百年間の人間の行為で掘り尽くされようとしている。
国連の生物多様性条約国際会議事務局の報告によると、地球規模での資源の需要は、地球が資源を再生産する能力をすでに20%超過しており、2000年までの30年間で、川や湖の生物は半減し、海や陸の生物は30%減少したという。その原因は、過大な開発とそれに伴う地球温暖化である。この延長線上にあるものは、人類自身の破滅以外のなにものでもない。
それにもかかわらず、地球資源の最大消費国であるアメリカは、京都議定書の批准を拒否し、自由経済による多消費型社会の構造を改める気配はないし、新興の中国やインドも、先進諸国のあとを追って成長路線をまい進している。
日本は、京都議定書を批准し、また、2010年に予定されている国連の第10回生物多様性国際会議の開催国として名乗り出てもいるが、会議の開催や条約の批准とは裏腹に、それに値する実際行動を伴っていないのは、悲しむべき事実である。
片や、発展途上国の人口の爆発は悲劇的で、国連の調査によれば、現在65億人の世界人口は2050年には90億人を超えると予想されている。世界人口の加速度的増加が始まったのは、人間が地下資源エネルギーを利用し始めた産業革命以降のことである。産業革命以前の世界人口は6億人であったから、わずか約300年の間に10倍になった。

いま、アメリカも、日本も、中国も、北朝鮮の核開発の愚を正すことに躍起であるが、実は、自らも環境面で人類滅亡の引き金を引きつつあることの愚に気付いていない。経済成長最優先で回ってきた近現代社会は、いずれ近い将来、神話が崩壊し、過ちが実証されるときが必ず来る。しかし、それを歴史が証明したときは、すでに手遅れである。
地球環境の問題は、クールビズなどというきれいごとで済むほど安易なものではない。為政者は、事態はもっと深刻なのだということを国民の前にさらけ出して、行動に移すときに来ている。
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44.実感する地球温暖化

2006-11-10 07:00:01 | Weblog
気温が25℃を超えると夏日、30℃を越えると真夏日、35℃を超えると酷暑日と呼ぶ。つい20-30年前くらいまでは、酷暑日などという分類の必要性は想像できなかったのだが、いまや東京で37-38℃の日も珍しいことではなく、誰も驚かなくなった。2004年7月には東京で39.5℃を記録している。
最近東京近郊の山の中に分け入ると、棕櫚の幼木が目に付く。庭木としての棕櫚以外は、自生の棕櫚は南の地方のものであるはずなのに、どうしたことだろう。
私が子供のころは、冬の朝、目を覚ますと、窓ガラスが結露で結氷し、氷の花を咲かせていた。そんな朝は、必ず都心の我が家からもクッキリと富士山を遠望することが出来た。寒風に、大人の手はひび割れし、こどもたちはあかぎれで真っ赤な手と真っ赤なほっぺたをしていた。近年は、手袋やマフラーが邪魔になるほどの暖冬が多い。
そのころの桜の花の開花は4月の声を聞いてからで、小学校の入学式の日は、桜の花に囲まれていた印象が強い。今は、4月に入るともう葉桜で、3月中に桜が開花してしまうのが普通になった。確実に1-2週間は季節が繰り上がっている。
定性的な話ばかりしたが、それらを実証できるデータがここにある。
気象庁の調べによると、過去50年間に桜は4.3日、梅は5.4日、椿は9.4日開花時期が早くなった。
過去百年、世界の平均気温は0.7℃上昇し、日本は1.0℃上昇した。その間、東京は2.9℃の異常上昇を示している。そのうち1.9℃は都市化によるヒートアイランド現象によるものと推測されている。
北海道大学の調査では、過去30年間にヒマラヤ全体の氷河湖の面積が1.5倍に増えたと報告されている。

地球は今、1万2千年前の氷河期を境に間氷期に向かっているから、潜在傾向として温暖化の方向であることは間違いない。人工が介入できない宇宙規模の現象として生じるこの寒暖のサイクルは如何ともし難いが、その変化は、悠久の宇宙の流れと等しく緩慢である。ひとりの人間が生きている間の変化は微々たるもので、実感できるほどのものではない。その間に現存する生物が変化に適応する時間的余裕を与えており、人為による温暖化現象とは明確に区別して考える必要がある。
IPPC(気温変動に関する政府間パネル)のレポートによれば、2100年までに、地球の平均気温は1.4℃から5.8℃上昇すると予想している。その原因は、化石燃料の燃焼や、森林破壊など人為によってもたらされる温室効果ガスの増大である。これは、産業革命以降に起きた現象で、第二次世界大戦後は加速度的に上昇速度を早めている。NASAの最新の発表によれば、特に、この30年間は10年当たり0.2度と急上昇した。あと2-3度気温が上昇すれば、海面は25メートも上昇し「私たちが知っている地球と別の惑星になってしまう」と科学者たちは心配している。このトレンドが続いたとき、地球に現存する生物(人間を含む)はその急激な変化に適応できないで、破局の道を歩まざるを得ない。

今、人々は、口でこそ21世紀は環境の時代と言い、“持続可能な開発”を唱えるが、実質的行動はほとんど伴っていない。日本が京都議定書で約束した地球温暖化ガス排出量6%減(2008-2012年)も、残された時間はわずかしかないのに、今日現在8%増というとんでもない数字になっている。それにもかかわらず、国をあげて大騒ぎする風も無い。超大国のアメリカや中国は、京都議定書自体に背を向けてはばからない。結局のところ、人間は、破局がわが身の目前に迫らないと行動できない、自己中心の愚かな動物なのだろうか。
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43.自然と人間

2006-11-03 07:13:20 | Weblog
“自然と人間の暮らしを考える”フォーラムインを標榜して、全国各地で開催されてきた「フォーラムイン」の集会が、今年、勝沼・八ヶ岳の20周年記念集会を機に幕を閉じた。この集まりは、私たち日本山岳会の自然保護委員の仲間である蜂谷緑さんが主宰して20年前に始まった。毎年一回、日本各地の山麓の村落や町を主会場にして、その地にかかわりのある歴史や文化を語り、自然保護を論じ、音楽や演劇を鑑賞し、そしてゆかりの山や森で遊ぶ。単なる山登りの集まりでもないし、単なる音楽会や演劇のイベントでもない。大上段に自然保護を振りかざしたシンポジウムでもない。参加する人たちも、山登りをする人だけというわけではなく、かつて、この集まりに参加してファンになった人や、彼女の関係するいろいろな団体や個人的なつながりの人たち、その友人など、まったく種々雑多である。メインのテーマも、その時々で、播隆上人だったり、武田久吉だったり、宮澤賢治や柳田國男だったりするのだが、どれもこれも、にわか造りのものではなく、彼女が長年暖め続けてきたものをテーマアップしたものである。彼女自身は決して表面に出ないが、登山界だけでなく、文学、演劇、音楽など、幅広い領域に見識と人脈がある彼女が、一年がかりで周到な準備をして当日を迎えるから、毎回、参加した人たちは心から楽しい時間をすごすことが出来る。こんな集まりが消えてなくなってしまうのを残念がっているのは、私だけではなく、彼女とこの集まりをよく知っている人たちの共通の気持ちであろう。

自然保護というと、えてして、一木一草手をつけてはいけない、開発は絶対ダメという極論に振れがちであるが、そう叫ぶのは、ある意味で簡単なことである。叫んで物事が解決すればいいが、叫んだだけでは何の解決にもならない。人類が地球上に人間社会を築きあげてしまった以上、自然と人間のかかわりの中で、どこに調和点を見出すかの作業こそが自然保護活動に携わるわれわれに与えられた命題である。
その作業は、自然と人間の関係を足して2で割るといった類のものではない。自然と人間の両方に愛情の目を向けながら、しっかりスタンスを固めて方向性を出していくというやっかいな作業である。その解は、しばしば、自然と人間が織り成す歴史的なかかわりの中にヒントが隠されているように思われる。
正面きって自然だけを論じるのではなく、自然の中でその恩恵を受けながら営まれてきた人間の暮らしとそこで培われてきた文化に目を向けよう、こんなことを20年前に標榜して、このテーマを追求し続けてきた蜂谷さんの慧眼にいまさらながら感心する。
今流に言えば、地球環境を守るため「保護と利用のバランスをどうとるのか」「自然との共存をどう実現するか」といったことなのだろうが、彼女なりの視点から “自然と人間の暮らしを考える”という平易な言葉で呼びかけ、問題を投げかけ続けてきた。この言葉の中に隠された本質的な問題は、フォーラムインが幕を閉じても、自分たちの永遠の課題として持ち続けていかなければならないものだと考えている。

(追記)
蜂谷緑さんは、山岳雑誌「アルプ」の仲間で、ご主人は中央公論や婦人公論の編集者でありアルプの執筆者のひとりでもあった近藤信行さん(現山梨県立文学館館長)である。著書には、彼女が青春の一時期、疎開先として過ごした安曇野時代を綴った「常念の見える町」などがある。彼女と接していていつも教えられることは、人間年齢ではない、熱い気持ちを持ち続けることがいかに大事かということである。
彼女は表面に出ることが嫌いなひとだから、もし本文を事前に見せたら、「あら、私そんな大層なこと考えていないわよ。弔辞みたいなことやめてよ。」と一言の下に却下されてしまうにちがいない。
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