70の瞳

笑いあり涙あり、36人の子どもたちが生活する児童養護施設「さんあい」の出来事や子どもと職員の声をお聞きください。

「神を愛する」って?

2019-02-24 13:48:28 | 愛すべき子どもたち

さんあいの法人理念は、「神を愛し、人を愛し、土を愛す」というキリスト教の三愛主義です。しかしこの「三愛主義」を子どもたちに理解してもらうのには、ある種の解説が必要になります。特に「神を愛す」ということは、子どもたちだけでなく私たち日本人にはすんなり入ってこないのではないでしょうか?

見えない存在、会話できない存在をどうして愛することができるのでしょうか? 或いは、罰が当たるから愛さないといけない? 「そもそもそんな人間に災いを下す神なんか無視すればいいじゃん!」と思ってしまいますね。その通り、まったくの正論です。

それでは解説です。 そもそも聖書には、「まず神様が、私たちを愛しておられる。」ということが書かれています。ですので、私たちが愛したから、その見返りに私たちを愛しているという事ではありません。すべての人は、神様に愛される権利を平等にもっています。さんあいの子どもたち一人ひとりにも平等に与えられています。 だから私たちは誰でも神様に思いっきり甘えることができるのです。

でも、甘えるのには相手との関係が必要ですね。相手を信頼していなければ甘えられません。さんあいの子どもたちにを見ていると、上手に職員に甘えられる子とそうでない子がいます。甘え上手な子は、職員を信頼しています。だから素の自分で甘えてきます。甘えられない子は、職員との距離があり信頼関係が不十分と言えます。

「神を愛す」とは、砕いて言うと「神に信頼する」あるいは「神を信じる」という意味です。もっと砕いて言うと「神に甘える」と言ってもいいかもしれません。実は、キリスト教の神髄とは、神様を信頼し甘えることなのです。

「過適応」という言葉があります。さんあいに一時保護されるこの中には、当然のことですが突然の入所で職員や回りの子を信頼できていません。そのために良い子を演じるのです。入所してきても不安な様子を見せず、職員に対し気持ちの良いあいさつや返事をすることは「過適応」の可能性があります。ですから素の自分を出して、泣いたり職員に反抗することは甘えの第一歩、信頼関係の第一歩と言えます。

神様との信頼関係も同じです。かしこまって良い子を演じる必要はありません。信頼して素のままで前に出ていけばいいのです。どんな人間でも神様は受け入れ愛していると繰り返し繰り返し聖書は教えます。



私たちは、神の子どもです。甘えながら大きな口を開けて食べ物を貰えばいいです。

 

 




 


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