天職という言葉がある。おそらくこの言葉は、英語から来ていると推察する。理由は、日本の歴史を紐解けばわかる。江戸時代は士農工商の階級社会で職業選択の自由はなかった。それ以前の時代も食べるために職業選択などと悠長なことを言っていえる時代ではなかったのだ。
おそらく天職という言葉は西洋から来ているのではないか? 英語にはOCCUPATION(一般的な職業の意味)とVOCATION(天職的な職業の意味)という二つ単語がある。そしてその天職という概念は、キリスト教から来ていると推察する。キリスト教では神父や牧師の聖職者になる際に、召し(CALLING)を受けと表現する。つまり天から与えられた職業ということだ。
明治以降に進化した日本の天職の概念は、本人が選んだ職業に並々ならぬ情熱があり、且つその職業における才能が群を抜いている場合などに用いる。例としてはイチロウ選手や大谷選手と野球を思い浮かべてもいいかもしれない。
しかし、現実はイチロウ選手や大谷選手のような天職を得られる人は稀だし、日ごとの糧を得るために普通に働いている人も立派な社会人だ。でもなぜか、日本には天職的な仕事をしている人や一つ仕事をやり遂げることを美談として捉えられる風潮がある。そして転職を繰り返す人は好ましくない社会人にように捉えられてします。
5月は、多くの若者が職場になじめず苦しむ。天職だと思って入った会社と現実とのギャップなのか、一つのことをやり遂げられない自分に苦しむのか?
天職だなんて思わなくて良い。世界には沢山に職業があるし、色々経験してみる人生の方が楽しくて成長できるかもしれない。缶コーヒーのCMにもあったように、大切なのは、どんな仕事でも誰か貢献していることを意識し忘れないことではないか。
「天職かどうかわからないけど、子どもは好き。」そうそう、それで充分。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます