詩を書きたい

どうすれば、人に共感してもらえる詩、が書けるのか――そのヒントと詩作方法を探します。

「詩の読みかた詩の作りかた」を読む 3

2014-05-10 | 詩について
 お早うございます。
 じつは、配信予約でこの10日の記事を書いたのですが、他のサイトを見たりしている時に、データが消去されてしまいました。ちょっとがっくりしています。

 それで、思い出して書きます。

「詩の読みかた詩の作りかた」は実作向きの本ではありませんでした。そこで、今回で、まとめるのは最後にします。来週からは「詩の作り方」(黒田三郎 明治書院1969)を読みます。そこから詩を作るときのヒントを探ります。

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【詩の難解性について】の章がおもしろかったので、要約します。

P143
「つまり、読者からあなたの詩は難解だといわれた場合、詩人はどう感じるだろうか、あるいは、どう反論するだろうか、ということです。
 この点はすでに多くの詩人が反論しています。すなわち、詩人は元来、何かを他人に伝達しようと思って書くのではないから、一時的に理解されないことは問題ではなく、また、理解されないからといって、よりやさしい詩を書こうと思うわけではない、ということです」

 そして、C・D・ルイスはこういっています。
「われわれは、理解されるために書くのではない。われわれは理解するために書くのだ。しかし、詩作品が作者の経験の意味を、彼に説明するのに成功していればいるほど、また、想像力によってわがものとすることのできた他人の経験の意味を、うまく説明していればいるほど、その詩はますます確実に、結局は、理解されるのであろう」

 つまり、わかりやすくいうと――詩は他人に理解されるために書くのではないけれど、自分の経験の意味をちゃんと説明できていれば理解されるし、他人の経験の意味も説明できていれば理解される。

 ただ、難しいことがあります。

 作者は、自分の経験の意味を詩を書くなかでわかるから、です。詩を作ることで、自分が発見したものが何かわかってくる、からです。
 それで難しいのですね。




 鮎川信夫さんはこの「難解性」についてこういっています。
1 難解だから大衆と無縁だとは思わない。重要な作品なら必ず理解される。
2 わかりやすさを条件にするなら、詩は、歌謡や唱歌のようになってしまう。
3 戦時中、難解、虚無、退廃の詩がなかったことの意味を考えよう。


 これは、ぼくの考えですが――
 戦争中大政翼賛的詩が書かれたことへの批判と反省が、戦後詩を生み出した。
 そのなかで個人の思想性を過大に評価する傾向が、表現の難解性に繋がった。


P147にはこう解説してあります。
1 西欧の詩歌の歴史───象徴主義 → 表現主義 → 超現実主義
2 時代によって、詩論、スタイルが変化してきた。
3 日本の詩もその影響を受けた。

P148
多分に詩人の単なるポーズ或は詩のスタイルとして引きつがれているというところに、現代詩の無用な難解性が生まれてきている……こうした難解さは決して『どうにもならない詩の真実』から生まれてきたものではなくて、多くの場合、正確に書こうとしても書きえない自分の技術の未熟さをカモフラージュするためか怠惰から生まれてきているのです。大体表現の未熟は認識の未成熟を意味するのですから、彼らが書く朦朧として不正確な作品自体の中では、まだ、詩の主題そのものが明瞭に、かつ究極的に意識されてはいないのです……これこそ現代詩の重大な病患といわなければならないでしょう



 これは1980年に書かれた言葉です。あれから30年経ちました。現代詩は隆盛期を過ぎたようです。それでも、詩を読みたい人はいるでしょう。
 小説に純文学と大衆小説があるように、難しい詩も、わかりやすい詩もあっていいと思うのです。

 難解な詩も、「難しいのは、なぜ?」と考える楽しみを見い出せばいいのかもしれません。
 詩は自由で、どう書いてもいいものであってほしいものです。



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 では、また、12日に。




 

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