詩の作るためのヒントや方法を探すために、「詩の読みかた詩の作りかた」を読んだのですが、やはり「詩とは何か」の定義から書かれているように、「作りかた」よりも、「読みかた」、のほうにページをさいている理論書のような気がします。詩作のための本ではなかった。
それでも、詩についての考えを深めることができたので、そのへんをまとめてみます。この本はアマゾンの検索では出てきませんでした。絶版なのでしょうか。
中桐雅夫さんの詩集のリンクを貼っておきます。
「中桐雅夫詩集」 「会社の人事 中桐雅夫詩集」 詩集を読んだ感想のサイト へのリンクも。
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P60 【比喩とイメージ】
のところで、エズラ・パウンドの「地下鉄の駅で」を紹介されています。
人ごみから不意に現われた顔のまぼろし
濡れた、黒い大枝にくっついた花びら
この詩句を創りだすのにパウンドは1年かかったそうです。そのあいだに試した他の比喩も掲載されています。
1年間も、一瞬見た景色を定着させるために呻吟した、というのはやはり詩人です。
詩をつくるために、詩のことを考え続ける――それが詩人なのでしょう。
パウンドがこの比喩を選んだ理由が書かれてあります。
「しかし、もとの詩では、ある新しい意外な比較こそまさにパウンドがわれわれに与えているものだということに気づく。濡れた黒い大枝にくっついた花びら、薄暗い背景にみえる白い顔――この比較は想像力の飛躍、驚きのショックを具体的に表現している。――(略)――その驚きのショックが、われわれをこの詩の意味へと導くのである。ある新しい、意外な解釈こそまさに、パウンドの新しい、意外な比較が与えてくれるものだ」
P65 【イメージとはなにか】
C・D・ルイスの言葉
「イメージとは、読者の想像力に訴えるような仕方で、詩人の想像力によって描かれたことばの絵のことである」
ここで中桐さんは、「イメージは絵のようなもの、つまり視覚に訴えるだけかといえば、そうではありません。五感全部に訴えるのです。視覚に訴えるイメージがもっとも多いですが、聴覚や、嗅覚、触覚にさえ訴えるのです」といい、例として杉山平一さんの「夜学生」をあげます。
夜陰ふかい校舎にひびく
師のゐない教室のさんざめき
あゝ 元気な夜学の少年たちよ
――(略)――
…………
きみ達の希望こそかなへられるべきだ
覚えたばかりの英語読本(リイダア)を
声たからかに暗誦せよ
スプリング ハズ カム
ウインタア イズ オオバア
この最後の声がわれわれの聴覚に「希望」として訴えかけてくるのです。
感情の深さがなければ、いいイメージは生まれない、と書かれています。(P68)
そして味覚では――佐藤春夫の「秋刀魚の歌」を。
さんま さんま
そが上に青き蜜柑の酸をしたたらせて
――(部分)――
「青き蜜柑の酸」の視覚と味覚のイメージです。
また、石川啄木の「ココアのひと匙」も味覚のイメージの例として載せておられます。
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P71 「イメージは現代詩においてきわめて重要な役割を演じておりますが、詩人が『イメージのためのイメージ』を追うようになると、危険です。今日、そのような詩がすくなくありませんが、われわれは『イマージュの乱用と過剰は、心眼にとって、調子と不似合いな混雑を来たす。ちらちらしすぎると、かえって何も見分けにくくなる』とヴァレリイが注意していることを忘れてはならない、と思います」
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明日もこの続きの、【イメージと想像力】の章です。
それでも、詩についての考えを深めることができたので、そのへんをまとめてみます。この本はアマゾンの検索では出てきませんでした。絶版なのでしょうか。
中桐雅夫さんの詩集のリンクを貼っておきます。
「中桐雅夫詩集」 「会社の人事 中桐雅夫詩集」 詩集を読んだ感想のサイト へのリンクも。
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P60 【比喩とイメージ】
のところで、エズラ・パウンドの「地下鉄の駅で」を紹介されています。
人ごみから不意に現われた顔のまぼろし
濡れた、黒い大枝にくっついた花びら
この詩句を創りだすのにパウンドは1年かかったそうです。そのあいだに試した他の比喩も掲載されています。
1年間も、一瞬見た景色を定着させるために呻吟した、というのはやはり詩人です。
詩をつくるために、詩のことを考え続ける――それが詩人なのでしょう。
パウンドがこの比喩を選んだ理由が書かれてあります。
「しかし、もとの詩では、ある新しい意外な比較こそまさにパウンドがわれわれに与えているものだということに気づく。濡れた黒い大枝にくっついた花びら、薄暗い背景にみえる白い顔――この比較は想像力の飛躍、驚きのショックを具体的に表現している。――(略)――その驚きのショックが、われわれをこの詩の意味へと導くのである。ある新しい、意外な解釈こそまさに、パウンドの新しい、意外な比較が与えてくれるものだ」
P65 【イメージとはなにか】
C・D・ルイスの言葉
「イメージとは、読者の想像力に訴えるような仕方で、詩人の想像力によって描かれたことばの絵のことである」
ここで中桐さんは、「イメージは絵のようなもの、つまり視覚に訴えるだけかといえば、そうではありません。五感全部に訴えるのです。視覚に訴えるイメージがもっとも多いですが、聴覚や、嗅覚、触覚にさえ訴えるのです」といい、例として杉山平一さんの「夜学生」をあげます。
夜陰ふかい校舎にひびく
師のゐない教室のさんざめき
あゝ 元気な夜学の少年たちよ
――(略)――
…………
きみ達の希望こそかなへられるべきだ
覚えたばかりの英語読本(リイダア)を
声たからかに暗誦せよ
スプリング ハズ カム
ウインタア イズ オオバア
この最後の声がわれわれの聴覚に「希望」として訴えかけてくるのです。
感情の深さがなければ、いいイメージは生まれない、と書かれています。(P68)
そして味覚では――佐藤春夫の「秋刀魚の歌」を。
さんま さんま
そが上に青き蜜柑の酸をしたたらせて
――(部分)――
「青き蜜柑の酸」の視覚と味覚のイメージです。
また、石川啄木の「ココアのひと匙」も味覚のイメージの例として載せておられます。
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P71 「イメージは現代詩においてきわめて重要な役割を演じておりますが、詩人が『イメージのためのイメージ』を追うようになると、危険です。今日、そのような詩がすくなくありませんが、われわれは『イマージュの乱用と過剰は、心眼にとって、調子と不似合いな混雑を来たす。ちらちらしすぎると、かえって何も見分けにくくなる』とヴァレリイが注意していることを忘れてはならない、と思います」
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明日もこの続きの、【イメージと想像力】の章です。