はんしろう の消音カセットテープ

徒然では決してない日常のなか、少し、書いてみます。

考える。

2012-07-12 01:25:05 | Weblog
7月10日付 朝日新聞朝刊掲載「声」欄の記事を読んで。



この記事の続く後半部分、爽やかさを感じた。

まさに「ハチドリのひとしずく」だな、と思う。「喜捨」。
社会の荒波にまだ揉まれていない子どもが取る行動は純粋であって、
それは行いと願いと結果がイコールで結ばれる、単純ながらも深い「心」だろう。
社会人として、完成された人として、自分の位置を定めようとする大人。
より大きなものを得てオトナ化していくはずが、
バイアスやノイズによって、行いと願いと結果の結びつきを信じられなくなる不思議。
この闇に行き止まりはあるのだろうか。「心」は取り戻せるのだろうか。

「明日は我が身」。
「長い棒に短い棒 支えあったら、人になる。支えることで、人を知り、支えられて、人となる。
 長い棒に短い棒 支えあったら、人になる。支えるから、人なんだ。支えられるから、人なんだ。」(♪ACCM)
立場を変えて、視点を変えて。自分だったらどうするか、どうなるか。

「失われた20年」で失ったものを探しに出よう。おそらく、らせん階段を降りていけば拾えるさ。
上ばかりを見て走ってきたのだから。


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