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《追悼》橋田壽賀子さん「安楽死で死なせて下さい」と語った理由 「そろそろ、おさらばさせて下さい」という権利があってもいい

2021-04-06 16:41:54 | 日記

下記の記事は文春オンラインからの借用(コピー)です


橋田壽賀子さんインタビュー#1
「私は安楽死で逝きたい」。2016年12月号『文藝春秋』に掲載された1本の記事が大きな反響を呼んだ。原稿を寄せたのは、92歳の人気脚本家の橋田壽賀子さん。「おしん」「渡る世間は鬼ばかり」はじめ名作ドラマを生み出した脚本家がごく私的な思いから綴った記事は、本人の予想を超えて共感を呼び、その年の読者賞を獲得する。関心が高いが、口にするにはためらいのある「安楽死」について、ご本人が明言するに至った背景を伺った。
◆◆◆
私が安楽死を望むわけ

 人さまに迷惑をかける前に死にたい。それが私の望みです。
 家族がいれば、子どもや孫の成長を見届けたかったり、できるだけ生きていて欲しいと望まれることでしょう。けれども私は、夫に先立たれ、子どもはなく、親しい友人もいない。天涯孤独の身の上です。
 仕事は嫌というほどやったし、世界中の行きたい場所へ行きました。もうじゅうぶん生きて、やり残したこともなく、思いを残す相手もいません。
 いまはまだ自分で生活できていますが、足腰が立たなくなったらどうしましょう。行きたいところへ行けず、食べたいものを食べられなくなったら。いつの間にか認知症になって、何もわからなくなってしまったら。
 食事から下の世話まで人さまの手を借りるなら、そうなる前に死なせてもらいたい。これは、尊厳とプライドの問題です。死ぬときに、痛いのや苦しいのも嫌です。だからいつどうやって死ぬか、自分の意思で決めさせてもらいたい。それには安楽死しかありません。
 ヨーロッパのいくつかの国やアメリカのいくつかの州では、安楽死が合法です。だから日本でも認めてもらって、わざわざ外国へ行かなくてすむようになれば助かります。
 こんな願いは私だけだろうと思いながら『文藝春秋』(2016年12月号)に「私は安楽死で逝きたい」を寄稿したところ、読者の方々から賛同の声がたくさん寄せられました。「私も安楽死に賛成です」「頑張って、法制化の旗振り役になってください」と、声をかけられる機会も増えました。
 そんな大それたことはできませんけど、私と同じように考える人は思いのほか多いようです。そんな人たちが、安楽死という死に方をごく当たり前に選べるようになればいいな、と思います。ある程度の年齢になったら、「そろそろ、おさらばさせて下さい」と申し出る権利があっていいのではないですか?
誕生日ごとに「死に方」を考えよう
 当たり前の話ですが、人は誰でも死にます。しかも、いつ死ぬかわかりません。なのに死は忌むべきものとされ、死について語ろうとすれば「縁起でもない」と言われます。日本人は、死というものや自分の死に方に、無関心すぎるのではないでしょうか。『安楽死で死なせて下さい』(橋田壽賀子 著)
 私たち戦争を経験した世代の死生観は、その後の人たちとはまるで違います。人の死を身近に見すぎたせいで、死ぬことが怖くないんです。終戦のとき私は20歳で、勤労動員された学生でした。戦争中は「今日死ぬか、明日死ぬか」ばかり考えていました。ようやく戦争が終わったあとも「今日の食べ物をどうするか」で精一杯。青春などありませんでした。
 若い頃は直面していた死について、再び考えるようになったのは、90歳を目前にした頃でした。そして「死んでも公表しない。葬式も、故人を偲ぶ会もやらない」と決めて、周りの人に頼んであります。けれども、もっと早く準備しておけばよかったと思うんです。
 たとえば、自分が死んだときに臓器を提供するかどうか、15歳から意思表示ができるようになっています。同じように、20歳になったら毎年の誕生日ごとに、自分がどんな死に方をしたいか考えたらどうでしょうか。お誕生日は、ひとつ年を重ねたお祝いであると同時に、いつやってくるかわからない死に一年近づいたことを意味する日です。そこで、この一年生きてこられたありがたさを噛み締めつつ、死に方について考えるのもいいのでは? 去年「延命治療は一切拒否」と決めたとしても、そのあとで恋人ができたり家族が増えたから、今年は「少しでも延命の可能性があるなら、生かして欲しい」と変わったってかまわないのです。
 いますぐ安楽死したいと考えている私だって、今日はお医者さんに行ってきました。血液検査をして、お薬をもらってきました。いつ死んでもいいけど、生きているうちは元気でいたいからです。大型客船「飛鳥Ⅱ」の来年の世界一周クルーズに申し込んで、お金も払いました。身の回りのことを自分でできて、楽しみがあるうちは、もうちょっと生きていてもいいかな、と思っているんです。
 若いときから死に方について考えることは、生き方を見つめ直すことになるし、人生を豊かにしてくれるはずです。

《追悼》橋田壽賀子さんが語っていた“最期の迎え方”「私は家族がいなかったから、ホームドラマがたくさん書けた」
橋田壽賀子さんインタビュー#2

「若いときから死に方について考えることは、生き方を見つめ直すことになるし、人生を豊かにしてくれるはずです」。安楽死で死にたいという92歳の橋田壽賀子さんは、若い世代に向けてこんな提案をしている。少子化と超高齢化が加速度的に進む社会で、死をまっすぐ見つめることで見えてくるものとは何か。橋田さんの具体的な提案をさらに伺う。
◆◆◆
子供は親に頼るな、親は子供に期待するな
 私は家族がいなかったから、ホームドラマがたくさん書けたと思っています。かりに息子などいて「お母さんはこんなこと考えてたのか」なんて思われたら、好きなように書けないじゃありませんか。手加減したりカッコつけたドラマが、面白いはずありません。親も夫も子供もいないから、誰にも遠慮せず本音が書けるのです。
 かりに親が健在だったら、私はこう言います。
「老後の世話をするのは嫌だから、自分のお金でちゃんと自分の始末をしてほしい。その代わり、遺産は一銭も要らないわ」
 冷たいですか? でも、もしも子どもがいたならば、
「自分の最期は自分で準備するから、あなたに面倒を見てもらうつもりはない。自分で稼いだお金は全部使って死ぬから、遺すつもりもない」
 と告げたでしょう。
 世の中の親は我が子のために節約を重ね、少しでも財産を遺そうとします。しかし私は反対です。私の知人の女性は、旦那さんを亡くしたあと、お姑さんの面倒を見ながら息子と娘を育てました。息子のお嫁さんも娘も働いていたので、幼い孫たちをよく預かっていました。そうやって家族の世話をすることが、彼女の生き甲斐でした。いつも私に、
「壽賀子さんは可哀そうだ。子どもがいないから」
 と言いました。子どもがいなくてよかったと思っている私には、彼女こそこき使われて可哀そうに見えたのですが、何も言わずにいました。やがて彼女は、長男一家と一緒に暮らすつもりで3階建ての二世帯住宅を建てました。ところがそのあとになって、お嫁さんが「一緒に住むのは嫌だ」と言い出したのです。
広い二世帯住宅で迎えた結末とは…『安楽死で死なせて下さい』(著:橋田壽賀子)
「息子も娘も会いに来てくれない。孫だって、あんなに面倒見てやったのに、ちっとも寄り付かない」
 とこぼすようになった彼女を、
「子どもや孫が可愛くてやってあげたんだから、いいじゃない。あとの人生は自分の好きなことをしなさいよ」
 と慰めたものです。しかし家族に尽くすだけの人生を送ってきた彼女には、別の生き甲斐が見つかりませんでした。そのうち、
「壽賀子さんは、独りを覚悟しているからいいね」
 と言うようになり、80歳をすぎたばかりなのに、広い二世帯住宅で孤独死しました。成人した我が子は、新しい家族と新しい生活を築くのが当たり前です。彼女は、期待をかけすぎてしまったのでしょう。
 口では「子どもの世話になんか、なりたくないですよ」と言う人が多いですが、みなさん心の中では期待しているんじゃないですか。けれども、裏切られた期待は、恨みに変わることがあります。期待さえしなければ、思いがけず感謝が生まれる場合もあるのです。「お金を遺してあげるから、老後は面倒見てね」と見返りを求めるくらいなら、最初からそのお金で介護の人を雇うべきです。
 子供もまた、親に頼らず、親のお金を当てにしないこと。最近の男はマザコンが多いくせに、親の老後の面倒を見ようとしません。「お金は遺して欲しいけど、世話はしたくない」なんて、もってのほかです。
 大切なのは、親が元気なうちによく相談をして、老後や最期の迎え方についてどう考え、葬式や墓をどうしたいと思っているのか、知っておくことです。よく話し合っておかないとお互いに誤解が生まれ、それが恨み節へと変わるのです。



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