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「勉強中に包丁の刃先を母に」 「夜中のベランダで『虐待です!』と叫び声を…」 加熱する中学受験、“教育虐待”に悩む母たちの“叫び”

2021-07-08 15:30:00 | 日記

下記は文春オンラインからの借用(コピー)です

長女が塾に通い始めたのは、小学3年生の冬期講習のとき。私が普段から医療系の記事を書いていることから、医療マンガや医療本に囲まれて育った娘の夢は医者。『コウノドリ』の主人公、鴻鳥先生と同じ産婦人科医だ。
 ごく普通のサラリーマン家庭の子が医師を目指すことが身の程知らずなことも、ハードルがあまりに高いこともわかっている。でも子どもが夢を持ってくれたことが嬉しかった。学力はともかく体力と根性はある。挑戦してみてもいいんじゃないか。
 そう考えていたところ、たまたま隣駅の進学塾が「冬期講習無料」というキャンペーンをしていたため、あわてて入塾テストを受けさせ、ぎりぎりの点数で入塾を許可された。
夜遅くまで親子で宿題漬けに
 それにしても、公文もさせていなかったのに、自宅でのドリル学習だけで合格できるなんて。
「もしかしてうちの子、頭いい?」
 私の楽観的な思い込みが打ち砕かれるのに時間はまったくかからなかった。
 初めての塾通いで娘は洗礼を浴びまくった。講義の冒頭で行われる計算テストでは毎回ありえない点数を叩き出して帰ってきた。落ち込む暇もなく、連日続く講義に間に合うよう何とか宿題を終わらせなければならない。数列、順列、日暦算…。中学受験の特殊な算数と、漢字の先取学習に面食らいながら、夜遅くまで親子で宿題漬けになった。塾から子どもに渡される大量のテキストと宿題 (写真:著者提供)
 ちなみに娘の席の隣に座る男の子は、計算テストは常に満点で、冬期講習中、とにかくその子のレベルがいかに段違いかを娘から聞かされ続けた。当初はまだ「きっと公文組ね。うちはやってなかったししょうがない」と余裕を持って聞けたものの、年明け、冬期講習も終盤となり、相変わらず悲惨な点数をひっさげ帰ってくる娘にだんだん不安がよぎるようになった。
「あれ、なんでうちの子、こんなレベルで入塾できたんだろう…」
ネットの口コミを鵜呑みにして
 2月からは理社も加わり、平日週2回、本格的に塾通いが始まると、私の不安はさらに増した。娘の塾では成績順に3クラスに分かれていて、娘は最下位からスタート。もちろん、冬期講習中に一緒だった天才君はそのクラスにいない。私が失敗したのは、このときネットで塾の口コミを調べまくったことだ。「下位クラスの子は大抵下位クラスのまま卒業」、「上のクラスに行くなら入塾3カ月が勝負」。
 また、巷では中学受験のリアルを講師目線から描いた漫画『二月の勝者』が話題になっていた。それを読んだママ友から、「塾が手厚くフォローするのは上位層のみ。それ以外の子は塾の単なる“顧客”で、ただ塾代を払わせるために在籍させているんだって」と聞かされ、私はそれも鵜呑みにした。
「早く上のクラスに行かなければ」。そう思った私は、娘にとにかく勉強を強要した。下位コースと上位コースでは宿題の範囲も違うのだが、すべてやらせた。「この範囲までやる必要ないって先生言ってたよ」。娘がそう言おうものなら、「そんなんじゃ医者になんてなれないよ!」「上のクラスの子は全部やってるよ!」「どれだけ塾代払ってると思ってるの!」と、ネガティブなワードを並べ立て、怒鳴りつけた。だってこのままだと、我が子はただ塾にお金を払い続けるだけの生徒になってしまう。
もしかして、私がやっていることって教育虐待?
 ちなみに、旦那は子どもの勉強については完全に私任せ。毎晩帰宅が深夜のためそもそも平日は一切子どもに関われないから、こうしたやりとりが毎晩繰り広げられていることは知る由もない。旦那はあてにできないうえ、受験期を迎える子の母親の多くは、年齢的に大抵更年期かプレ更年期に突入しているものだ。ただでさえイライラしているのに、そこへきて子どもの塾のフォローも重なるとなると、イライラは頂点を迎える。私がまさにそうだった。
 そしてある晩のこと。夜遅くまで宿題をする娘のノートを覗いてみたら、あろうことか、算数の解答をそのまま書き写していた。怒りが振り切れた私は、娘のノートと鉛筆を取り上げ、バンと床に投げつけた。
 私にさんざん怒られ、疲れて寝入った娘の顔を見て思った。夜中の密室で子どもを怒鳴りつけて、追い詰めて、強制的に勉強をさせる。もしかして、私がやっていることって教育虐待? まだ4年生なのに。しかも、私が長女の勉強にかかりきりの間、幼い兄妹はずっと放置されたままなのだ。毎晩遅くまで机に向かい宿題をこなす(写真 著者提供)
 客観視できるだけの冷静さがかろうじて残っていた私は、不安になり、一足先に子どもが塾通いを始めていた高校時代の友人に相談してみた。私は彼女に、子どもの塾通いで我を失った自分を諫めてもらうつもりだった。ところが事態はもっとひどかった。
「将来は弁護士に」義両親からかけられた強い期待
 首都圏郊外在住の友人、加奈子(仮名、44歳)は、今年小学5年生になる耕太君(仮名)と、銀行員の旦那と3人暮らしだ。旦那の父親は弁護士で、孫の耕太君こそは弁護士になってもらいたいと、妊娠中から、かなり強い期待を義両親にかけられていた。
 耕太君が地元の超進学塾に通うようになったのは小学校2年生最後の春休み。あまり勉強が好きではない息子の場合、早めに塾通いを始めたほうが得策と加奈子は考えたのだという。初めての春期講習で出された宿題は、難易度もさることながら、宿題のボリュームが半端なかった。加奈子は耕太君に付きっ切りで、毎日6時間かけ、翌日の授業の宿題を終わらせた。
「小学2年生の子に与えるには尋常じゃない量だった。でも、この量の多さこそ、宿題をやり切れる子だけがこの塾で生き残れるという、塾側からのメッセージに違いないって、思ったの。もちろん息子は途中で何度も泣き出したけど、有無を言わせず取り組ませたわ」
 まだ2年生の耕太君にとって、これは相当なストレスだった。
「春期講習も終わる頃だったと思う。ついに息子が家を飛び出したの」
「虐待だから警察に通報する!」と受話器を取り上げ…
 その日は日曜日で、明日の塾に備え朝から宿題をしているときだった。息子が突然、靴を履いて家を飛び出したのだ。2時間たっても帰ってこない。彼女の自宅のすぐ前は、大型トラックが頻繁に往来する国道が走っている。交通事故にでも遭わないかと心配になりだしたころ、ふらっと耕太君が帰ってきた。どこに行っていたか加奈子が問い詰めると、「〇〇スーパー。駐車場の前に自動販売機があるから、下にお金がおちていないか探していた」。お金があれば電車にのってもっと遠くまで行ける、耕太君はそう思ったらしい。
 耕太君の抵抗は家出だけにとどまらなかった。宿題を強要し続ける加奈子にブチ切れ、夜中のベランダに出て「虐待です!」とわざと近所に聞こえるように叫び声をあげたこともあった。耕太君自ら、「これは虐待だから警察に通報する!」と受話器を取り上げ、本当に110を押し出したときもあった。「耕太が“1”を押したところで、あわてて受話器を取り上げガチャンって切ったけどね」と加奈子。
 あるときは勉強中に突然キッチンから包丁を取り出し、加奈子のほうに刃先を向けてきたこともあった。その後、家出は複数回続いたという。
生まれたときから息子の𠮟り役は私
 それにしても、昔から常に一歩引いて、冷静で落ち着いていた加奈子が、なぜここまで耕太君を追い詰めてしまうのだろう。
「夫は毎晩帰りが遅く、育児には無関心。生まれたときから息子の𠮟り役は私で、まだ耕太が小さいときは叩くことも日常だった。小学生になって塾が始まるとますます私への負担がかかってきて、一生懸命勉強のフォローはするんだけど、耕太の成績はなかなか上がらない。年齢的な疲れとイライラもあって、どうしようもなかった」
 こう語る加奈子は、一枚の写真を送ってくれた。それは、側面がベッコリ凹んだ黒いサーモスの水筒。耕太君のものだ。塾の宿題になかなか取り掛からないのにキレた加奈子が耕太君に当たらないように投げたら、机に命中し凹んでしまったのだという。ベッコリ凹んだ耕太君の黒い水筒
成績は思うように上がらないけど「今は一切ノータッチ」
 これらのエピソードは、いずれも耕太君が入塾して1年の間に起きたこと。加奈子にとって、子どもの塾通いという初めての経験のなかで、子どもへの期待と現実、そして「塾の宿題は絶対」という思い込みに翻弄された1年間だったという。
 でも今は違うようだ。
「さすがに親子関係が崩壊すると思って、塾に相談したら、宿題には手を出さなくていいと言われて。今は一切ノータッチ。とりあえず宿題は自分でするようになったから、私は何も言わないし、何も見ない。成績は思うように上がらないけど、あえて言うなら“無”の境地」。
 来春、耕太君は受験を迎える。
 子どもの伸びしろを信じ負荷をかけるのと、教育虐待の違いってどこにあるんだろう。その差が紙一重だからこそ、気づいたらそっち側にいっていた、ということは容易に起こりうるのかもしれない。
「勉強して中途半端な学校」と「のびのび通える学校」
 今回、話を聞かせてくれたもう一人の教育熱心な母親は、最近、子どもの進路を大きく方向転換した。
「私も、ほかのママたちと一緒で、やっぱり娘が塾に入ってからは怒ってばかりいました。でも、怒鳴り続けるうちに気づいたんです。このまま親子関係がどんどん悪化してまで勉強させて中途半端な学校にいかせるのと、親子がいつも仲良く、娘がのびのび楽しそうに通える学校に行くのと、どっちがいいかって。それで思い切って大手の進学塾から個別指導塾に変えて、娘は大好きなダンスができる部活動が盛んな中学校を目指すことにしました。この境地に至るまで、本当に葛藤したし、何度も何度もパパと話し合いました」
 娘の受験まであと2年半。どうせなら、いつか今を振り返ったとき、「あのとき挑戦してよかった」と、娘にとっていい思い出になっていてほしい。それにはきっと私が親として成長し、いかに娘を尊重できるかが鍵なんだろう。頭ではわかっているのだけど。

内田 朋子
うちだ ともこ
医療ライター



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