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皇后雅子さまはご快復傾向にある──近頃の雅子さまのご様子を形容する際に、しばしば見られる言葉だ。しかし、全国戦没者追悼式のその日、そんな姿に陰りが見えた。満身創痍の中でのご出席だったが、周囲は緊迫に包まれた。
「その日の雅子さまには、いつになく弱々しい印象を受けたんです。普段は沿道にいる一人ひとりと目を合わせるようにして力強い笑顔を見せられます。ですが、その日は目を泳がせながら、落ち着きのないご表情。お帰りの際にはお車の窓を開けることもなく、速度も落とさず赤坂御所へと入ってしまわれた。雅子さまは特に出迎えの人に気を配る方ですから、たいへん驚きました」
8月15日、日本武道館(東京・千代田区)で全国戦没者追悼式が行われた。降りしきる雨の中で、天皇皇后両陛下をひと目見ようと駆けつけた人は、そう肩を落とした。雅子さまの“異変”について、ある宮内庁関係者は「実はご兆候があった」と話す。
「ご快復傾向にある雅子さまですが、いまもまだ療養中の身。特に、コロナ禍でお出ましも少なくメリハリのない日々を送られる近頃は、ご体調を心配する声もありました。最近は特に、ご養蚕作業で皇居に出かけられるときに、15分ほど遅れることがしばしばあった。“体調の思わしくないときの行動パターン”だと、不安視されていました」
加えて、今後予定される「お引っ越し」の影響もある。
「天皇ご一家は9月にはお住まいの赤坂御所から皇居へと引っ越される予定で、その準備は大詰めを迎えているようです。職員らで荷物を運んでいるようですが、最終的なチェックは雅子さまが担当されているそう。その作業が連日続き、大きな負担となっているのかもしれません」(別の宮内庁関係者)
この8月中旬は日本列島に前線が停滞し、寒暖差が激しく体調を崩しやすい気候であったことに加え、「雅子さまは低気圧のときに不調を起こしやすい」(皇室記者)とされる。そんな中でのご臨席だったのだ。
「終戦記念日は、上皇陛下がかつて示された、皇室にとって“忘れてはならない4つの日”の1つでもある重要な日。それだけに、両陛下は追悼式には万難を排して出席するという、強い思いがおありです。雅子さまは長い式典の最中、気を張っておられた面もあったでしょう。終盤に、プツリと緊張の糸が切れたように感じました」(別の皇室記者)
“事件”は式典の終盤に起きた。
体を支えるように手をつかれた
式典での雅子さまの動きは完璧だった。天皇陛下と壇上へ向かう際の歩幅は同じ。黙祷のお辞儀のタイミングまで揃えられていた。「皇后として場数を踏まれ、堂々としたご様子だった」(前出・皇室記者)といわれるほどだ。しかし、そんなお姿とは裏腹に、隠しきれない不調も見られた。
「祭壇の中央で陛下と並んで黙祷を捧げられる間、雅子さまのお体が左右にふらふらと揺れていたのです。“雅子さまは無理をされているのではないか”と不安になりました」(前出・皇室記者)
そして、式典開始から約1時間後、両陛下のご退席のとき。席から立ち上がられ、陛下と一緒に「標柱」に向かってお辞儀をされた瞬間、雅子さまがお体を支えるように、椅子の背もたれに手をつかれたのだ。
「立ちくらみを起こされたのでしょうか、体勢を崩され、何かにつかまろうとされたように見えました。お体を起こす際にも陛下とはだいぶ時間を空け、ゆっくりとされていて、お体に何かあったのではと緊張が走りました」(前出・皇室記者)
その後、お車で日本武道館を後にされた雅子さまが、冒頭のように窓を開けることなく進まれたのは、疲労困憊であられたか、何か異変を感じられたかの証左ではないだろうか。
「コロナ禍でご体調も整わない中、満身創痍でのご出席だったのでしょう。ですが、大事な追悼式に“自分が欠席するわけにはいかない”と、責任感の強い雅子さまはお考えになったのだと思います。深刻なご体調でも国民を思い、皇后としての務めを果たそうと懸命に出席されたからこその“ふらつき”だったように感じます」(皇室関係者)
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