化粧品の成分おたく さえぽんの日記 (2017年7月化粧品成分検定1級【上級スペシャリスト認定】所得しました)

毒判定 1~3 ①★の時天然エキス等CAS有
天然×天然素材合成☆彡
or
天然×石油合成?成分名だけでは不明★①

日常とはかけ離れた所にある、私の心を支えたオアシスなのかもしれません。

2018年02月25日 20時45分14秒 | 回想

叔母のお葬式で親族との歴史を改めて回想した。

父方の兄弟は5人
父は次男だった。
父の兄になる長男が本家の叔父
10年以上前に他界した。
90迄生きた祖母より早い死だった。

今日はこの叔父の連れ添いの叔母のお葬式だった。

私は学生時代迄、父の実家である本家に、

毎年、両親に連れられて行っていた。

毎年、盆と正月は
大祖母、大祖父、
祖母、祖父、
叔父、叔母、いとこ姉弟の待つ
御殿場の本家に親戚一同が集まった。

他界した叔母はいつでも、よく来たな。
と親戚一同を歓迎し、優しく出迎えて、振る舞ってくれた。
最後に言葉を交わしたのは四年前かな……

体調を崩していると聞いていたが、父の葬儀に来てくれた。
この時は、私の目には元気に写った。

ここ数年は体調を崩され、冠婚葬祭でも会っていなかった。
昨年から入院していたそうです。

話は変わって、私は学生時代や、若い頃に度々先輩等に
「良くその環境でぐれずにまともに育ったね」と言われる事があった。

私の両親は親族は大切にしたが、
家庭は崩壊していた。(半分は成り立っていた❔)
私が生まれてすぐ、3人ともばらばらに過ごしてきた。
両親と1人娘がばらばらに。

娘の私から見たら、家庭をもってはいけない自由人の両親。

私は母の妹の家庭で育てられた。
とても良い環境だった。
父方、母方、の親族はそんな状態をわかった上で私にはとても優しかった。

父方の祖母は全ての孫に優しかったが、両親の事もあり、私には気遣ってくれていた。
時に私の父や母にものを申せた存在は、父の兄の叔父と祖母だけだった。
但し叔父がもの申すと、父と喧嘩になる。
幼い私は、父と叔父がひどく争った事を2度ほど見た記憶が残る。
それを仲裁する父の妹や弟(叔母や叔父)の家族だった。

この頃、
私の養育に関わるお金は主に母の収入
で養われていた。

1度も一緒に暮らしたことのない父。
長年愛人と暮らしていた
私が学校を出た頃、父に
「自分の事は自分でやれ、親子であっても金が絡めば他人だ。金の事は一切頼るなよ。」
と言われていた。

一方母は男並に収入を経ていたが、
その分気性が強く、
お金で人を顎で使うタイプだった。
正直ふたりとも余分には関わりたくなかった。

だから私は早く自立した。
若い頃は仕事をかけもちして、とにかく良く働いてきたと思う。

働きだしてから、冠婚葬祭で仕事を休むことが人より多かった。
母が行きたくない冠婚葬祭は全て私にまわってくる。
そんな状態を愚痴る私に、
「その環境でよくまともに育ったね☺️」
と職場の仲間や先輩に言われた。
「そうかもね」
と軽く返していた。

私を育ててくれた、育ての両親
父方の親族を悲しませる人間にはなれない。

そんな思いが強かった。

私は恵まれてる事にしていた。
両親がふたりづついるなんて凄い特権。
おばあちゃんや、多くの叔父と叔母やいとこ衆

多くの人に見守られながら、
父と母との漫画のような関係の仲裁役。
そんな母と父を見送ったのは6年前、4年前

今は、いとこ達もそれぞれが家庭を持っている。
私はいとこの中でも年長組
私達年長組とは20才以上年の離れたいとこ達も家庭を持つ年代に。

冠婚葬祭には親族一同、仲良く近況報告をしている。

漫画のような両親だったが、親族を大切にする事を教えてくれた。

感謝している。
でも父は、自分の粗を指摘されたくないとう身勝手な言い分で私が成人すると、
「もう余分に親戚付き合いをするな。」
と私に言うのだ。

そんなこともあり、冠婚葬祭が無い時期に、暫く足が遠のいていた頃、
父方の叔母から連絡をもらった。
父からの言葉を伝えると「そんなこと関係無いよ、今度の正月遊びにおいで。お婆ちゃんも待ってるから」と父の言葉を止めてくれた。

育ての親も同様だった。
身勝手に「付き合うな」と言う父
勿論私は従う気も無く、
叔母に「全く勝手で嫌になる」
愚痴を言うと
「親は関係無いからあんたが来たければいつでも来ればいいよ」
と言ってくれた。
そして親代わりに息子へのお祝いを大学の卒業まで孫と同じにやってくれた。

親族はとても温かい存在だった。
感謝している。

私は一人っ子
息子も一人っ子

息子にも親戚を大切にしてほしいと伝えている。

子供の頃から冠婚葬祭には一緒に行く機械があった。
息子は、それらの意味をわかってくれているようです。

親戚付き合いとは、
日常とはかけ離れた所にある、私の心を支えたオアシスなのかもしれません。

そして本家の嫁だった叔母は、何十年もの間、年々人数が増える親族を快く出迎え続けてくれた。
叔母を見送りながら、凄い事だなぁ。と改めて思いました。
私の心のオアシスは富士山の麓に固まっている。