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前編・幸福の科学「霊的世界の本当の話」は

2010年03月16日 23時27分27秒 | 幸福の科学 宗教 宇宙 UFO 霊(スピリチャル)

幸福の科学「霊的世界の本当の話」

宗教的入門の話です。

前編        
「幸福の科学」新刊の「霊的世界の本当の話」は宗教的入門の話です。
幸福の科学の基礎知識を勉強し直すのも良いし、初めての方に差し上げたり、宗教について話すのにちょうどよいテキストです。

宗教学者に「神と悪魔」という題を出して、論文でも話でもいいから答えろと言って答えたら大したものですね。
宗教学者は、いろいろな所で文献を引用してくるのが精一杯で、神と悪魔を実態としてつかんでいたら大したものです。
そういう意味で『霊的世界のほんとうの話』の極めつけの話が「神と悪魔」です。

あの世に天使はたくさんいます。
幸福の科学の世界観は、霊的な存在について、段階と多様性の存在を認めています。
世界宗教を見るとメジャーは主として一神教です。
それ以外は偽者という考え方がありますね。
それがキリスト教、イスラム教、ユダヤ教の実体です。
たまたま近代では(一神教が)先進国に広がり、進んだ宗教として考えられています。
そのため、多神教的な宗教は遅れていると思われています。
例えば、多神教を信仰しているインドです。日本も古事記や日本書紀で神様がたくさんいるので遅れていると思われている。
幸福の科学の霊界観は、神様と呼べる霊格の高い存在が、天使、菩薩、如来、大天使と、いろんな種類の方々がいて、それぞれ霊言を下ろして存在証明をなしているのです。
それぞれの宗教で「ウチの神こそ本物だ」と主張するが、その理由は、数多くいる天使、如来、菩薩の誰かがその教祖を指導していて、我こそが神様だといっているので一神教になっているだけの話です。新宗教でも一神教はたくさんあります。本当の意味は、他の宗教が、すべて間違っているのではなく、たまたま誰が指導しているかということの違いだけなのです。
そういうふうにこの世で(一神教に)なりがちなのは、多神教にすると教団の方針が混乱しやすく違う人(高級霊)が違うことをいうとブレやすいため
なのです

神様同士が喧嘩するので一人に絞る傾向があります。それが一神教の発生原因です。
いろんなところで、その民族の神々がいて、新しい宗教が生まれたのです。
その中でメジャーな神々(地球では10人の9次元霊)が何千年かたって広がっていく時に世界宗教となり、他の宗教を排除するようになります。それが宗教的紛争の原因になっています。
幸福の科学は、そういう世界観を明らかにした地球で始めての先進宗教です。
もう一つ違っているところは、神様は神学的にも哲学的にも宗教的にも、はるかな崇高な次元の存在で、見ることも聞くことも触ることもできない抽象的な存在、届かない存在だという捕らえ方をしやすいですね。
ただ、悟りを高め、よく眼を凝らして見ると、一神教といわれる世界宗教のキリスト教をみても、神様は人格神ですよ。イエスが「わが父」と呼んだように、明らかに喜怒哀楽があり人間的な神です。旧約聖書にも笑ったり怒ったりする神様が出てる。
イスラム教も「われ以外神なし」というのも、抽象的な、この世に生まれることのない無限の存在
としての神様として、よいしょして持ち上げることはあっても、教えや指導原理を見るかぎり、過去世において、一定の指導者として成績を上げた宗教家や政治指導者ですね、エジプトの王様などが神格化されて神様になっていくのです。
数千年の間にそうなっていくのですよ。
キリスト教も、アダムとイブが作られたのは4000年前なので、これはどう言い繕っても、この世的には通用しない。
神様がアダムとイヴを粘土でつくったとしても、もっと古い地層から人間は出てくるので,どう誤魔化しても、それは信じられない。
神様といわれているものの正体は ここ数千年くらいに現れた光の指導霊、光の天使,菩薩,如来といわれた方が,この世に生まれて一定の信仰を集めた人なのです。
もしくはあの世に帰って信仰を集めた人ですね。
生長の家の大神は、観世音菩薩とかいろんなことをいっていたが、幸福の科学の霊言集が出て、生長の家の大神は天御中主神であるとわかりましたね、彼らは最初は喜んでいたが,認めると幸福の科学に吸収されるので、暫くして保身を謀り否定し始めましたね。
歴史的に見ればコーランくらいの時代に作られたのが日本書紀です。その時の神が宇宙創成の神かといえばそうではなく、当時神格化していた神ですね。
古式ゆかしい神様だったが、だんだん話しているうちに現代的に造詣が深くなってきた。魂の兄弟がいろんなところで活躍しているのだろう。
霊的世界のほんとうの姿を幸福の科学は明確に描き出している。
これで今まで分からなかった霊界構造、神の正体、悪魔の正体、宗教紛争の原因など隠されていたことが分かってきた。
キリスト教対イスラム教の対立図式も、キリスト教で言っている神様とマホメットと微妙にズレている。
キリスト教を下地にしてイスラム教ができたが、似ているところも違っているところもあるね。

アッラー(指導霊団)が、とっても美しい言葉を話すところもあれば、世俗的な言葉で話すこともあって、実際は指導霊団が40人くらいいてイスラムを指導していたことが分かっているんですよ。
天上界は数多く天使がいるので、新しい大きな宗教を創る時には、神々が集合していることが多いんですよ。
そういうことが(幸福の科学によって)人類史上初めてはっきりした姿で見えるようになってきたのです。(ただ)これには抵抗があって、神様は姿を隠す傾向があり、丑寅の金神とか天理教の天理の尊とか言って本当の名前をなかなか明かさない神様がいる。
八百神の誰かだろうが。それで各宗派がやっているが、彼らはそれぞれの分野で耕すことが出来れば、それはそれなりに真理が広がると緩く考えているからです。
この世の人間がこれ以外は全部偽ものだとやりすぎると迫害を生んだり戦いを始めたりする原因となる。要するに人間の心の狭さがこの世的な衝突を生むことが多い。
しかし、幸福の科学の真理が広がることで、霊界の姿が見えて、諸宗教が文化的に矛盾したりぶつかっている理由がわかってきました。このように世界中の民族と宗教が理解すると寛容になることもできる。
地上の人に、神様にも格の差があるということを知りなさいということです。
個性が違っても霊格としては同じというのもあって、霊界の上に行くほど数が少なくなり、ピラミッド型にはなっている。
巷の小さな宗教、300人くらいの小さな宗教なら、六次元(富士山の六合目)くらいの神様が指導しているか、裏側(霊界の裏世界)の龍神だとか、天狗や仙人が指導していることもある。
表側の本流型の宗教の場合は、霊能力も使うが、基本的には教えがあって、その基本教義を伝道して広げていこうとする傾向をもっている。
信仰と伝道というスタイルが基本形でこれで教えを広げていくスタイルが表側の神様の一つの特徴ですよ。
これが映画『仏陀再誕』のテーマでもある。
二人の宗教家が出てきて、どちらが本当の仏陀かという競走だが、
説いている法そのもので違いを見極める部分が出てくる。
法そのものの中に人類を救う普遍的なものが入っているか
どうかが、一つの分かれ目です。
現世の自分達の利益のためにやっているS会SにょえんM光と、時代を超えて、多くの人を指導する原理が説かれているかの違いが邪教と幸福の科学の違いです。
こうした法そのものの戦いで、真実はどちらにあるかがこの映画に説かれている。
先日の試写会では、「『仏陀再誕』ではなくて、弥勒菩薩の再誕ではないのか」と一般の方が
言っていたらしいですね。兜率天に住んでいる弥勒菩薩が下生してくるというお経があるが、それはたぶん砂漠地帯(インドのはずれからバーミヤンのほう)で発生してきたお経でしょう。
その思想は、仏陀滅後、仏教の分派がいっぱいできて、独自に成立していったお経の一つです。
マイトリーとは慈悲という言葉です。
弥勒信仰そのものは、北伝仏教、シルクロードから中国、朝鮮半島をへて日本に伝えられたのです。
「我こそは弥勒の生まれ変わり」という人は、過去何度も出ていますよ。
中国でも布袋様とか、何とかの乱とかの革命家が「我こそは世を立て直す
弥勒である」というように使っていますね。
幸福の科学が調べたところによると、インドのアジャンタ村には『仏陀再誕』の
伝説が残っています。それが主としてスリランカやタイやビルマ、南伝仏教に
伝わっているのです。
「2500年後に東の方に生まれ変わる」という教えが残っていて、そのルーツはアジャンタ村にあることははっきりしている。
仏教遺跡を守っていた人たちが言い伝えていたということです。余談ですがその村に地元インドの方の寄進で幸福の科学の精舎が建立されます。
そのように仏陀再誕と弥勒と両方あることはある。
弥勒信仰のほう、弥勒が救済仏として現れるのは、かなり希望的観測もある。
何でもかんでも未来仏ということで出てているものもあるがアジャンタ村に
残っている思想は、もう少し明確。2500年後と年限が区切られていて、現実性がある。
56億年後というのは、天文学的数字で、そのころ地球が存在するかどうかわからない。
こういうインド的法螺はあまり相手にしないほうがいい。
要するに菩薩である弥勒が、救世主的な立場で生まれ変わってくるという
信仰があったということです。

マイトリー(慈悲)という意味なので、菩薩が次に如来になるという意味合いを持っていた。これに対して仏教学者の渡辺照宏は、降兜率天弥勒下生経を称して、「弥勒は若くして亡くなって、それを仏陀が惜しんだのだろう。
それで慰めも含んで、来世はきっと仏になって生まれ変わり、後の世に多くの人を救うようになるだろうと仏陀が言ったのだろう」と書いていました。
あくまでも(弥勒は)菩薩。菩薩が次は如来になるよと。弟子の菩薩達がいずれ、未来には仏になる予言をいっぱい仏陀は授けている。
仏陀自身の生まれ変わりと弟子の生まれ変わりは違います。
私が皆様方に、「皆様方は菩薩です。来世にはいずれ如来になる」
と約束することは空手形としては簡単ですね。それを56億年以内には、言えば、嘘を言ったことにはならないでしょう。

「夢の未来」様より
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