与国秀行
@yokuni77
#合唱コンクール #東田中学
幼子の如くあらざれば天の門は開かん。
これはキリスト教のイエスの言葉だけど、人は誰もが幼い頃は、まるで天使のように
天真爛漫で、明るく元気な心を持っている。
しかし人は、大人に成るにつれて、人生という問題集でつまずいて、
苦しんで、悩んで、幼い頃に持っていた天真爛漫な明るく元気な心を忘れていくことが多々ある。
その原因の一つに、大人になるにつれて、自我が芽生えて、
自分と他人を比較し始めることがあるだろう。
「自分よりもあの人は成功している」とか、
「同じくらいの年齢なのに、あの人は・・・」とか、
「それに比べて自分は・・・」、劣等感やら、優越感だ。
他人との比較なんて、絶対にしてはならない。
なぜなら人間は、誰かと比較すれば、“必ず”「自分はダメだ」ち落ち込むことができるし、
また「あんなのヤツは大したことがない」と、他人を見下す冷たい心を持てるのだから。
つまり他人との比較は、自らの心を地獄にする。
だから、人と比較してはならない。
西郷隆盛も次のように述べている。
「人を相手にせず、天を相手にせよ。
天を相手にして己を尽くし、人を咎めず、我が誠の足らざるを尋ぬべし。」
この言葉はつまり、「人を相手にしないで、常に天を相手にするように心がけよ。
天を相手にして自分の誠を尽くして、決して人を咎めるようなことをせず、
自分の真心の足らないことを反省せよ」という意味である。
敵は己の内にあり、そして相手にして比較するべき対象は、常に天なのだ。
人は誰もが幼い頃は、明るく元気で天真爛漫だけれども、しかし大人になって、
色々な人生の諸問題にぶつかっても、幼子の如く天真爛漫でありたいもんだ。
だから、もしも誰かに「羨ましい」という想いが出たら、
素直に「素晴らしい」という祝福の言葉を。
逆に、もしも誰かに「大したことない」という思いがでたら、
謙虚に「頑張れ!」という励ましの言葉を。
そして、その言葉が出せない自分がいたら、天を相手にせよ。
#合唱コンクール #東田中学
— 与国秀行 (@yokuni77) July 1, 2024
幼子の如くあらざれば天の門は開かん。
これはキリスト教のイエスの言葉だけど、人は誰もが幼い頃は、まるで天使のように天真爛漫で、明るく元気な心を持っている。… https://t.co/4lKGETzn1T pic.twitter.com/rBY8BtZ3IC