幸福の科学高知 なかまのぶろぐ ばくちゃんの記事より一部転載、させていただいた記事です
http://blog.goo.ne.jp/rokochifukyosho/e/840a5d9c415c9ded13f6970ec6753352
神話の国日本の、絶対平和主義からのイノベーションと『未来の法』
2017-10-04
ああ、またしても衆院選報道は、定番の、「選挙をにらんでの政局」に変わってきました。
後にご紹介する大川隆法幸福の科学グループ総裁著『未来の法』にあるように、
日本人は自分たちの歴史に自信を持つべきだと思うのです。
恐らくは、先の大戦以降の歴史教育の中で、長く厚い歴史を持つこの国の本質を見失ったのだと思うんですね。
だから浅薄な価値観で、判断しようとするのではないでしょうか?
私は国粋主義者でもありませんし、信仰する幸福の科学とて国粋主義的な教団ではありません。
全世界100カ国に教団支部を持つ、国際的宗教ですので、発祥地とは言え、日本のみが尊いという価値観でないです。
私は地理や気象やものつくりが好きなので、その方面から日本の歴史を見る限り、
「これは5大文明に入らんといかんぜョ!」と思っているだけであり、心底、日本人であることを誇りに思っているのです。
しかしだからと言って、他国の人を見下したりしていませんし、
「自国を誇る=他国を見下す」というのは、日本には古来よりなかった価値観です。
これはお隣の国、朝鮮半島に根強い価値観であり、
その方面からの恣意的な影響を受けた考えではないかと私は考えております。
日本は自国を誇るのに、他国を見下す必要などないと思います。
それだけの厚みと遺跡があり、それは今現在の日本人への影響を見るに、「教訓」というものも含まれていると考えます。
韓国では歴史捏造が行われているようですが、そのようなものは長く語られることはないと思います。
なぜならば、フィクションには、教訓が生まれる余地がないので、語り継ぐ価値がないからです。
さて縄文土器や神津島の黒曜石などから推測される縄文文明の範囲は、樺太南部から沖縄本島、
そして朝鮮半島に及び、その間、武具が遺跡から出て来ないことから、絶対的な平和社会であったことが推測されます。
そしてさらに大きな特徴として、「時代が変化しても、文明の質が変化しない。」というものがあります。
つまり、1万年と言われる期間、ほとんど変化なく、進歩もなかったのが縄文文明です。
これと似たのがエジプト文明で、壁画などから推測するに、「過去ほどレベルが高い」と思われるのですね。
つまりエジプト文明は、だんだんと文明の質が落ちて行った文明です。
ということから、縄文もエジプトも、過去の高度な現文明を引き継いだ、「継承文明」の可能性が高いと言えます。
さて、縄文時代の後は弥生時代とも言われますが、その頃には、全国で古墳が造られてもいて、
別名「古墳時代」とも言われることもあります。
古墳は墳墓、つまり「墓」であったことがはっきりしています。
これは大きな意味を持ちます。
そしてその規模ですが、例えば最大級の仁徳天皇陵古墳は、面積だけなら
エジプトのクフ王のピラミッドより大きいので、ピラミッドが墳墓であるかは
まだ研究の余地ありとは言え、世界最大の墳墓は日本にあるということになります。
これは、「古代日本には、それだけの大規模な施設を造るだけの、経済的、富の集中があった。」
という絶対的な証拠になります。
大事なことは、この古墳が、日本のみならず、朝鮮半島にも造られているということです。
古墳は墳墓ですので、「同じ墓がある」ということは、「死生観が同じ」ということを意味します。
つまり、「宗教が同じ」ということです。
つまり、縄文時代を終え、弥生古墳時代において、「日本全国と朝鮮半島は、宗教が同じであった」
つまり、「神話が同じであった」ということで、
「国(当時、国というものがあったらですけど)が同じであった」ということになるわけですね。
私が習った時代の日本の古代の歴史では、
「かつて朝鮮半島南部に任那(みまな)と呼ばれる日本府があった」と言われていましたが、
今ではどうやら教えられていないとのことですけれども、「転覆しない舟」を持つ
縄文時代の驚くべき航海術から推測しても、また縄文遺跡や古墳にしても、
「朝鮮半島南部に任那があった」ということの方が、むしろ自然なのですね。
http://blog.goo.ne.jp/sakurasakuya7/e/033b10a5224397b63bad5b4dfa236d8f
そして古代日本においては、1万年単位で絶対平和主義だった縄文時代が終わり、
弥生時代が始まって、いつの間にか奈良を中心に、天皇のいる国家へと変貌しています。
私たちは日本の歴史として、ここから公的には学んできたのですが、その間のことが
「神話」として伝承されているだけで、「神話なら教えるにあたわず」という、
唯物的な教育の結果、日本人は民族としての大きな心のよりどころを失ったのだと思います。
しかし、ここを取り戻さない限り、日本人は「日本を取り戻すことができないのだ。」と私は考えます。
では「神話の時代」に、日本に何があったのでしょうか?
それは時代を限定し、日本を取り巻く東アジア社会を含めた眼で見れば、遺跡や痕跡だけでも推測できるのです。
ただし、常識で考えられているような、「東アジアにひっそりと存在した島国ではない」ということを
前提にしなければ、絶対に真実は見えてきません。
「前時代である縄文日本は、超海洋大国であった」という、歴史における確認作業が必要です。
そういった視点で見たならば、縄文時代が約3000年前に収束したとして、その時東アジアでは何が起こっていたか?
そう、中国では、「国家」が形成され始めていたのです。
夏・殷・周などの王朝です。
それらは、匈奴(きょうど・モンゴル人)の侵攻に備え成立したと思われますが、当時日本において、
「国家」という概念や組織がなかったとしたら、軍事的にも経済的にも太刀打ちできないはずで、
1万年に及ぶ、絶対的、慢性的な平和ボケ状態であったろう縄文日本にとっては、
それはまさに「国難」と呼ぶにふさわしいものではなかったかと推測されるわけです。
だとすれば、古代日本において、九州がまず軍事大国化したのもうなずけます。
そしてそのような古代の危機の時代、九州高千穂の地域らに、
天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)や天照大神が生まれ、新時代の日本構築のために
国つくりに尽力なさったのではないでしょうか?
ということで文字数制限が近いので、本日のコラムはこれまでですが、
大川隆法幸福の科学グループ総裁経典『未来の法』の一部を抜粋をお届けいたします。
(ばく)続きhttp://blog.goo.ne.jp/rokochifukyosho/e/840a5d9c415c9ded13f6970ec6753352
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