Sakura De Prog!

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Patrizio Fariselli - ファリゼッリおじさんのピアノでミュージシャンになった

2013-12-05 | 公開投稿

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パトリツィオ・ファリゼッリおじさんのピアノでミュージシャンになった

そうです。RAI(伊公共放送)のこども番組L'albero Azzurro(青い木)の記念すべき、パトリツィオ・ファリゼッリの出演第一回のビデオです。

3:20あたりからご覧ください。

ビッグ・バードもどきの鳥ドドに、楽しく、しかし、かなりきちんと音楽の手ほどきをするファリゼッリおじさん。第一回目はリズムのてほどきです。

ピアノの演奏からして、十分な贅沢感いっぱいです。

そして、ファリゼッリおじさんはこの番組の音楽を手掛けていたのですが、この回から本人が音楽の先生として出演したのです。

93年当時、この番組を見て、ファリゼッリおじさんのおかげで音楽が大好きになり、現在プログレ・ミュージシャンに育った若者が沢山います。

若手プログレ・ミュージシャンが育つべく土壌と文化があったのですね。素晴らしい。

Il Gioco dello stacco - Presentazione del Maestro Fariselli - L'albero Azzurro

 

もうひとつ、ストラートスについてのファリゼッリの回答が印象的な部分を。

質問:ストラートスと同程度の能力を持った他のイタリア人シンガーはいましたか。<訳注:ストラートスはエジプト生まれのギリシャ人>

 ファリゼッリ:

もう能力とか、きれいな声や歌唱力とかの問題じゃないんだ。考える頭が大切なんだ。アイデアを駆使できる頭の能力が問題なんだ。

ストラートスは小さな遺産を沢山残していった。それが何かは聞かないでくれよ(笑)。彼の遺産は今でも生きていて、彼の残した道は世界中のシンガーが後を歩いている。彼のテクニックは当時すでに革命的だったのが、今の若いシンガーにとっては、基点となってるんだ。

 (20104月、ニューヨーク, Arts & Culture Interviewより)


David Jackson ディヴィッド・ジャクソンのもうひとつのライフワーク

2013-07-09 | 公開投稿

デイヴィッド・ジャクソン氏のもうひとつのライフ・ワーク

僕は1977年にVdGGを辞めた。当時うちは赤ちゃんだらけだったんだ。だから、でっかいトラックを買ってそれで移動してた。その後、僕は教師になるべく学校に戻り、どんどん障がいを持つこどもの教育に興味を持つようになったんだ。1990年に、教職の合間に、ちょうどSoundbeamを発見して、もう興味にどんぴしゃだったんだ。1960年にサックスに出会ったときと同じくらいの衝撃だったよ!

もう今年で、障がいを持つこどもの教育に携わって17年になるよ。Meldreth Manor School (SCOPE)で教えているんだ。ここの子どもたちは脳性小児まひのこどもたちで、いちばん教えることに喜びを感じるんだよ。本当に、教えることがそのまま僕の喜びなんだよ。

僕は毎年フェスティバルを開催してるんだ。そこでは、普通の生活では出会うことがまずない、障がいのないこどもたちと一緒に音楽を演奏するんだよ。初めて出会うこどもたちのために音楽を演奏するんだよ。他にも、障がいを持つこどもたちは成人のプロジェクトを多く抱えているんだ。このプロジェクトのためには、真剣な作品を沢山書いたよ。ちょっと自分でも誇らしいと思ってるんだ。

音楽と障がいを持った人たちへの取り組みはもうここ22年ずっと僕のライフワークになってるんだ。

 

イタリアでの演奏は、人生のスパイスってとこかな!

From MAT2020 June 2013

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