終戦後の日本人住民や日本人婦女子への朝鮮人や中国人による日本人住民への略奪・強姦・虐殺行為[
「麻山事件」、「小山克事件」、「葛根廟事件」、「牡丹江事件」、「敦化事件」、および「乙女の碑」も参照
ソ連軍占領下の地域では、ソ連兵や中国共産党軍、朝鮮人民義勇軍や朝鮮保安隊、および暴徒化した現地住民の朝鮮人による日本人住民への暴虐行為や拉致があった。
米田建三は、婦女子の強姦は有史以来、戦争には付き物とされるも、先の大戦での満州・朝鮮における日本人婦女子の強姦は度を越して凄まじいものであった。朝鮮人・朝鮮保安隊のレイプは残虐を極め、強姦・婦人の要求は「報い」として甘受できる被害とはとうてい言えるものではなく、ベルリン等ドイツ全土では200万人のドイツ女性がレイプされたと推定されるが、朝鮮人、朝鮮人の保安隊に犯される様はベルリン同様と述べている[3]。
上記の日本人婦女子の中國人と韓国人のこれらの行為に対し何らの抗議も損害賠償もせずまた責任追及もせず容認したからである。何故同胞が被害者だと容認するのか。領土問題しかり、金大中拉致のしゅけんしんがいこういもまたしかり、李承晩ライン問題亦またしかりだ。