たまゆら夢見し。

気ままに思ったこと。少しだけ言葉に。

我が背子 大津皇子45

2019-03-15 03:18:53 | 日記
大津が伊勢を後にししばらくして、人心も落ち着いたと判断した天武天皇皇后両陛下は大津皇子をはじめとする皇子らを引き連れ吉野離宮の行啓した。
吉野は言わずと知れた天智天皇の疑惑や計略から難を逃れるため天武が皇后である鸕野讃良だけを妻として逃げた場所であった。
二人は昔を懐かしみ、特に皇后は天武を独り占め出来た場所であるため感慨深いものがあった。

天武はこの場所から東国の豪族たちを巻き込んで壬申の大乱を経て天皇になった。
天武朝となった原点を皇子達に見せ、大津を中心とした我が皇統を揺るぎないものとしたいという思いもあった。
最近、不比等の出現で浮ついている草壁を牽制したい狙いもあった。

皇后も「同腹、異腹を超え我が息子達である皇子を等しく思っている。」と宣誓した。正直同腹の皇子の皇統でなっていく、皇后の座は斎王の大伯に引き継げたらそれで良いと思っていた。ただ心配なのは大津に子がいないことであった。大津は妃の山辺皇女と大名児しか側室を持っていないがもうそろそろ…大伯は傷つくかもしれないが…とも思っていた。大伯ならばとも思うし、万が一には草壁である。阿部の皇女とは皇女も皇子もいた。しっかり者の阿部なら草壁も大丈夫であろうし、大津も万が一、子をなさなかった場合弟に譲位することは何の躊躇いもないであろうと考えていた。

あと数年後に皇后はこの二人の息子である皇子らを見送ることになるとは露とも考えてはいなかった。
それほど、大津に安定していたものを感じていたし、血の引換に草壁もいた。

吉野の離宮に吹きそそぐ風に心地良さを感じていた。

大津もここはお二人の安息の場所であったことを実感しつつ、優しかった天智天皇を思い出していた。
皇位を巡りどんな策略を内に秘めていたかはわからないが孫として姉上とともに可愛がっていただいた。
今、もし草壁とそのような状態になるのはないと思うが、草壁が民を思いやってくれるかどうかである。もちろん姉上を渡すつもりはない。我が事を起こすとしたらその事だけである。どこまでも姉上なのだ、我はと心の中で苦笑していた。

「大津、斎宮さまは息災であったか」と草壁が声をかけてきた。
高市皇子らは空気がつかめない皇子よのうと眉をひそめてしまった。
「あぁ、今が花とばかりにお美しいお姿であった。」と大津は本当の事を言いつつ草壁に意地悪を言った。
「それはまたお会いしたいものだ。」と草壁も答えたが「天皇の御裁可なくしてはなあ、叶わないであろう。」と大津はにやりと笑った。




我が背子 大津皇子 44

2019-03-05 09:37:07 | 日記
伊勢神宮の社殿の修理も滞りなく終わった。

道作も土岐から無事に帰ってきた。

また斎王である姉上と別れなくてはならない…そのことだけが大津の心に重荷を感じさせた。

姉上の仰言られた奇跡…道作も乳母もいない時にお聞きしたいと思ったが姉上と一緒の時間だとお聞する必要はないように思ったのも事実だった。

「大津、早いものですね。月半ばもいてくれると思っていたから、ゆっくりできると思っていましたが明朝出立なのですね。」と大伯が寂しそうに語りかけてきた。
「姉上…毎日が楽しゅうございました。いずれ奇跡を我は待っていればいいだけのこと。そうでしたね、姉上。」と大津は寂しさを振り払うように言った。

大伯は、すこしためらい「そうよ、我が背子。」と言った。
いま、いつもなら大津と仰言られるところをわざわざ「我が背子」と。
大津は胸が高まるのと同時に大伯を見つめた。
大伯が確かにそう仰言ったことに間違いはないと、確認したかった。

そんな大津を大伯は見つめていた。そして何度か頷いていた。

「貴女の胸に飾られたこの白い珠を…貴女の肌の美しさには到底敵わないこの連なった珠をどうぞ私と思って…会えない日々はどうか…」
「ええ。もちろんよ。」と大伯は大津を見つめた。

「今日の日ほど生きていてよかったと思った日はありません。貴女から引き離された日からの時間…今日のような形で報われたのなら私は、本当に…」と大津は言葉を詰まらせた。

「明日から会えない日をどうか無事に過ごして、大津。貴方だけしか我を許せるものはいないの。貴方がしあわせでないと我もしあわせでないの…前はそう思っていても自分だけと思っていたから、絶望が故に病を患ったけれど…今なら心からそう…心から思うわ。」と大伯の慈悲を浮かべた美しい瞳から涙が溢れていた。