たまゆら夢見し。

気ままに思ったこと。少しだけ言葉に。

我が背子 大津皇子 35

2019-02-08 10:08:22 | 日記
大津、川嶋、高市と男3人揃ったため酒、肴をあてに語り始めた。

「え、そなた草壁に皇太子の地位をくれてやるまで言ったのか。」と高市はびっくりして言った。

「本来なら父上の長子は高市さまですよ。我には父天武天皇のような皆を安堵させるような信頼感はない。かといって天智天皇ような統率力もない。」と大津は言った。

川嶋も「父、天智も悩みながらだったらしい。鎌足を頼りに。だからと言って不比等が草壁の忠臣顔は気にくわないな。」と言い高市は「そんなに若い歳で天智、天武二人の天皇を追い越そうとするのが厚かましいのじゃ。」と笑った。

大津は「もしかして不比等は皇后の忠臣か。それなら納得がいく。天智天皇は皇后の父親であるし、皇后唯一の息子に不比等をあてがうのは心情的にわからないでもないわ。それじゃな。」と閃いたように言った。

高市「それでどうなるのじゃ。とがすかさず聞くと「我の廃太子。」と大津は言った。

「まさか、そうさせないための大津の立太子じゃ。考え過ぎと言うものじゃ。」と川嶋は言い「何のために先ほどの大乱で近江朝も我らも沢山の犠牲とともに血を流した。運命が変わり泣くものも数知れずいたのじゃ。そなたならと皆が納得し皇太子になった。それは忘れないでほしいぞ。」と高市は間髪を入れずに言った。

高市皇子は父の長子であったが、母が皇女でなく九州の豪族である宗方の娘、尼子娘であるため卑母とされ9才上であるが皇位継承は第3位の位置にいる。宗方氏は皇族ではないが由緒正しき家柄である。

川嶋とて父天武が近江朝を倒さなければもっと優遇された立場であったに違いない。

「そなたには巨勢太益須らもいる。巨勢太益須はそなたは若き日の父に似ていると申していた。わしが父と先の大乱で活躍した時はもう少し歳を召されていたし、近江朝から逃れるため吉野に隠遁された時のままの坊主頭であられたからのう。そんな時から皇后さまは父と連れ立ってご苦労なされた。皇后さまとて草壁のことは気にされるのは仕方のないことかもしれんな。」高市は遠い目で言った。