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たまゆら夢見し。

気ままに思ったこと。少しだけ言葉に。

我が背子 大津皇子 山辺皇女25

2019-08-22 22:33:01 | 日記
天武天皇、大津さまのお父上が倒れられた。

大津さまは「日頃のお疲れが出てしまわれたのであろう。直ぐに良くなられる。」と仰言っていたけれど

夏が近づくにつれ「あんなにも雄々しい巨躯を病は奪っていくのか」と嘆いてしまわれた。

皇太子という立場で大津さまは天皇の代理行為も増えられたけれども、私を連れお父上のお見舞いを欠かさずにされていた。

皇位継承を…でなく、本当に大津さまは心からご心配され、

早く父上にお戻りにいただけなければ、あの母上には痛いところばかり突かれ困っておりますと

病の痛みを和ませるように帳からおふたりの笑い声がもれるほどに。

笑い声につられ皇后もおいでになられた。

「今日は賑やかですこと、陛下。」と皇后も嬉しそうに笑っておいでだった。

天皇、皇后両陛下はご存知か、その頃父、天智天皇に謀反の疑いから吉野へお逃げになられるような

急雲を告げるような事態だったらしいから覚えておいでではないかもしれないけれど…

天皇から発せられるこの独特の匂い…痩せかた…

父、天智天皇と同じ病とわかってしまった。

秋を迎えるのは難しい…

天皇、皇后が「大津に話があります。」と仰せになられ私は退室しようとすると

「山辺にも聞いてほしい。」と天皇が仰せになられた。

「朕はもう長くない。朕は大津に皇位を継承することを望む。朕は大津、そなたに譲位する。山辺は皇后となり大津を支えるように。」と天皇が仰せになられた。

私はやはり天智天皇の皇女…

「私には荷が重く出過ぎたこと。どうぞ皇后が今のままでおられますように。」と咄嗟に申し上げたわ。




我が背子 大津皇子 山辺皇女24

2019-08-18 18:45:00 | 日記
大津さまが伊勢におられるというのに大津さまの舎人のシラサギが私のもとを訪れた。

「シラサギ…大津さまに何かあったのか。」

「いえ、山辺皇女さまが如何お過ごしなのか、一度戻って欲しいと。社殿の修理にはもう少し時間がかかることも伝えて欲しいと。」

「そうか。そなたも疲れたであろう。言伝だけでそなたのような舎人を遣わせ申し訳ない。」と言うと
シラサギは慌て「それだけではありませぬ。」と言うので
「大名児殿のところにも行かねばならぬからか。」と私が笑って言うと「違います。山辺皇女さまにこれを預かってきたのでございます。」とシラサギは桐箱を差し出した。

桐箱を開けると白く輝く珠の首飾りであった。

「これは。」とシラサギに訊ねると「大津さまと斎王さまから皇女さまにとのことで、斎王大伯さまからは白絹の衣のお礼とお伝えするようにとのことでした。大津妃、我が義妹に、と確かに伝えるようにと仰せになられました。」と言った。

「有り難く…有り難くお受けするとお伝え出来るか。」と私は心が震えて泣き声になりそうであった。

あの眩しいほどのお二人に譲り受けたこの美しい白い珠の首飾りに…あの美しい大伯さまに初めて大津さまの妃とお認め頂いたように思えて…

「シラサギ、伊勢に戻るか。」

「はい。」

「大伯皇女さまに、山辺は有り難くお受けしたこと、山辺の宝にいたしますとお伝え願うがよろしいか。
大津さまには、山辺は息災なく過ごしておると、お二人のお気持ちにただ感謝しかないと伝えてくれるか。」

「御意にございます。」とシラサギは言いこの館を後にした。

シラサギは大名児のもとに参ったのかもしれぬ。しかし、そんなことはどうでもよくあの美しい大伯さまと白い珠というかたちであるがこころが通ったようで嬉しかった。

しばらくして大津さまが戻られた。

伊勢にお行きなるよりも朗らかな笑顔が多かった。

本当に幸せな時間が季節とともに流れた。

しかししばらくして天武天皇陛下がお倒れになられ、ことが早急に悲しみへと向かっていくとは知らずに…誰も予期しないまま。

否、不比等は待っていたやに知れぬ。

我が背子 大津皇子 山辺皇女23

2019-08-12 08:07:39 | 日記
伊勢に旅たれ数日して大津さまがおられないと寂しく思うようになってしまった。

皇太子という重責にある方だからまたこの大和に戻られる…

そんなことは冷静に考えれば至極当たり前なのに…

香具山に連なるこの丘に立ち、この大和を見渡す。

大津さまがいないこの大和に私はどう立っていればいいの。

でも大津さまは伊勢で大伯の姉上さまにお会いになられ、きっと私にも見せない表情で大伯の姉上さまを見つめておられる…

見たこともないくせに、でも鮮やかにこのまぶたに浮かぶ…

死がまるで生の向こうにある隣り合わせだと知らしめてくれるように。

少し冷たい秋風が衣の間をすり抜けていく。

大和に大津さまがお出でになられる時大伯の姉上さまはこんなに狂おしくなられているのかしら。

否、神妻で斎王にあらされる姉上さまは私などに嫉妬はなさらない。

大津さまと離れておられる時間は修練として大津さまのお幸せをお祈りしておられるのだろう。

姉弟であるけれど禁忌とは思わない。

特別な眩しい存在。

何故か…近江京で見たことのあるまだ大伯さまがまだ十歳を過ぎられた頃のお姿をお見かけしたことがある…

幼き大津さまをしっかりとお守りし、凛とし幼顔にもこれから咲く美しく花のように全ての美しさを持ち合わせおいであったことを幼心にも忘れられない。

大津さまも、そのような姉上さまのもとで道作を連れ快活にされていた。

見目麗しい皇子…その頃から私は大津さまに憧れていた。


我が背子 大津皇子 山辺皇女22

2019-07-31 05:45:01 | 日記
災害からの国難から皆が立ち直り、租、庸、調、田を減じるなど朝廷からの施しともいえる政策のお陰で
人心も落ち着いて普段と変わらない安穏とした生活が戻ってきた。

この政策に真正面から取り組まれたのは大津さま。

しかし、藤原の不比等が後ろにいると噂される草壁皇子が真っ向から反対されたとのこと…

最善の道を思案された大津さまに比べ暗愚なこと。

せめて、民らが食、住が安定して、民らの活気がないことにこの国が、皇位というものが全くのお飾りになるのがわからないなんて…草壁さまは本当に御不幸としか言えないわ。

不比等も本当にわからなかったのかしら。暗いわ…あまりにも。

大津さまの政敵と警戒していたのは、私の近江朝での不比等の父、鎌足に寄せる祖父天智天皇の絶大な信頼を不比等ももっているからと信じていたから。

あまりに大津さまが明るく、不比等など怖くないと安心していた当時が悔やまれる…ことになるなど…

もう少し警戒を続けておくべきだったと後悔しているわ…今となっては。

人心も落ち着いたということで伊勢神宮の修復に出向くようにと大津さまは勅命を受け伊勢に旅立ちられることになった。

「大津さま、お気をつけて。」と私が言うと、大津さまは人目もはばからず抱きしめて「修復次第帰る…許しておくれ。」と仰言ったわ…

やはり、姉上さま、大伯さまにお会い出来ることが大津さまにとって幸せであり、お喜びなのね…

寂しさよりも大津さまのことを私は私のためにも理解出来ていないことに気づいたの。

大津さまは、母上、大田皇女を早くに亡くされ、大伯さまに慰められ、支え合い生きてこられた。

寂しさ、悲しさを一緒に理解してくれたのは姉上さまの大伯さまだけだったのかもしれない。

道作殿、川嶋の兄上もいたけれど、特別な思いで一緒に寂しさを分かり合えたのは大伯さまだけ…

特別な御姉弟なのだわ…この御二人に特別な感情があって当たり前のこと…

そう思うと私は「大津さま。姉上さまも御心細くあられたかもしれませぬ。どうぞお支えしてあげてください。姉上さまをお慰めしてさしあげてください。社殿の修復がお済みになられてもどうか、姉上さまのお気持ちを一番にお考えくださいますように。」と大津さまに申し上げると…

少し大津さまは驚いておられたけれど直ぐに「山辺も無事に我を待っていておくれ。ここで。」と仰言ったわ。

「大津さまもどうかご無事で…私は必ずここにおりますから。」と申し上げると、わかったと仰言ったふうに頷きになられ馬上の人となられ伊勢へ旅立たれたわ。


我が背子 大津皇子 山辺皇女21

2019-07-19 12:17:58 | 日記
「山辺皇女さま。お初にお目にかかります。石川の郎女、大名児でございます。」と言った。

「山辺じゃ。大名児殿、同じく大津さまに寵をいただくもの。そのように伏さなくともよいから。」

「いいえ、皇女であらされるあなたさまと私などのようなものが同じくには…」

「そのようなことは我が好まぬゆえと言えばわかってくれるか。」

「恐れ多くも有り難く…ここに大津さまはいらっしゃいませぬが。」と大名児は切長の瞳を伏しながら言った。

「ええ、大津さまは朝政にて…我が屋敷では村人が無事に帰った。ここ語沢田の舎で何かできることがあればと来た。薬師、工人も連れて来た故に。」

「山辺皇女さま有り難く存じまする。
先日空から石が降りました。
怪我をしたものと屋根が壊れてしまった家屋で再びこちらに戻っているものがおります。
お力添えいただけないでしょうか。」と大名児は言った。

「わかった。直ぐに薬師、工人に案内をしておくれ。」と私がいうと薬師、工人らは語沢田の舎の舎人らに案内されて行った。

「そなたも怪我をしたと聞いたが大丈夫なのか。」と聞くと

「大津さまに救われました。私は何もなく…大津さまの方が深手を負われたと道作殿に叱られてしまいました。」と大名児は恥ずかしそうに言った。

「道作殿に叱られては怖かったであろう。」と笑い言うと

「ええ、でも私がいけないのでございます。心配になり宮中近くまで来たのはよいものの大津さまの行方が分からず立ち尽くしていると急に屋根瓦が崩れ落ちて、そこを大津さまが庇ってくださり、一緒に下敷きになり助けていただいたのでございます。大津さまは大丈夫と仰言っておられましたが…ご存知であらされますか。」

「そなたは傷を見てはおらぬのか。」

「はい、そなたが気にすることはない。山辺皇女さまに手当てを頼むから…と。仰せになり…」

あの方らしいわ。傷を見せれば大名児はいたたまれないだろうのご配慮。

「もう心配はいらぬ。幸い傷による熱もなく快い方向じゃ。大津さまが助けてくださったそのお命は、困っている民に使ってあげておくれ。大津さまもお喜びになられましょう。」

少しでも大津さまの意向に沿うよう大名児殿に知ってもらいたかったの一心だったわ。