How many rivers must I cross? I don't know...

幸せになりたくて川を渡る・・・

サブカテゴリの選び方

2014-11-26 23:44:07 | 音楽徒然
ブログランキングへ登録する際のサブカテゴリの選び方が分かりません。

ランキングにはそれほど固執しておりませぬ。

そもそも最初はランキングに参加するとなんかもらえるぞっていうのに釣られただけなのですがね。

基本的には80年代以降のUKインディーズ、ネオアコ、ギターポップを中心に、60年代UK、ジャズとボサノヴァとポップスの折衷のようなサウンド、ジャズとR&Bのあいのこのようなサウンド、一部の国産音楽を聴くという感じなのですがね。
どうにもサブカテゴリを選べずに仕方なく「音楽」としています。

何故か分かりませんが、PC内に画像があったアルバムなどの画像を羅列します。
こんなのが好きです。
サブカテゴリはどうしたらよいのかなあ・・・




























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それでも僕は水平対向エンジンが好きだ。 ~あるスバリストの独白

2014-11-24 23:37:25 | スバル


夏の間は毎週末釣りに行っていて愛車がほったらかしなので、禁漁に入ったら先ずは洗車。
ボディは勿論、車内も下回りも徹底的にきれいにする。
その次はエンジンオイルの交換。
それからもまだまだ油脂液類や各部品等の交換や整備、防錆処理など、ひと冬かけて週末毎にやっていくのが例年のパターンです。




先日、取り敢えずそろそろ交換時期に来ていると思い点火プラグを交換し始めた。
先ずは一番やりやすい右バンク(運転席側)の後ろ側から・・・と思ったら、イグニッションコイルの固定用ボルトの頭がなめられており外れない。
非常に困った。これはシャレにならん。
それにしてもいつなめてしまっただろう?記憶にはない。

何度か試してみたが全くボルトに工具が掛からない。
よっぽど酷くなめられているようだ。

出来ないものに取り掛かっていても時間が無駄に過ぎて行くだけなので、右バンクの前側の交換に取り掛かった。
すると、イグニッションコイルの固定ボルトが締まっていない。
緩んでいてコイル自体が手で触るとグラグラ揺れる。
「またかよ!」と思わず大声を上げてしまった。


僕は油脂液類や消耗部品などは頃合いを見て交換している。
自身で出来るものは週末に、単独作業はちょっと大変だなというものはディーラーやショップに作業を依頼する。
だから車検のタイミングでは一切整備をしない。
ただ通すだけ。
その時に車検に合格する状態ならそれでよい。
車検を受けた後の二年間は故障がないようにしてくれなどという考えは持っていない。
クルマは消耗部品の集合体だ。
走らせれば傷む。
定期的なメンテナンスは必要だし、メンテナンスフリーでOKなんて思っていない。
だから、通すだけという格安の車検で済ませているのだが、どうやらそこに問題がありそうだ。





以前、年間2万km以上走っていた頃は、車検を跨がずに自身で点火プラグを交換していた。
その時には、交換時にイグニッションコイルが緩んでいるなんてことは皆無だった。
ところが、年間1万km程度の走行しかしなくなり、車検後に自身でプラグ交換を行うようになると、毎回のように何処か一箇所のイグニッションコイルが緩んでいた。
適当な点検だなと思ったが、プラグ交換自体は可能だったので何も言わなかったが、車検時の点検の際に固定ボルトの頭をなめられたのは間違いないと考え、クレームの電話を入れた。

ところが回答はこうだった。
「車検時の点検ではプラグは外していません」
え?どういうことだ?点検整備のレポートにはプラグの点検箇所にレ点が入っているではないか。
そう問いただすと以下の通り。
「白金やイリジウムは長寿命なので点検の省略可能箇所となっていますので外さないんですよ。」

そんな説明はこれまで一切聞いていない。
なんていい加減なのだろう。
しかもその話自体がおかしなことだ。
白金は確かに長寿命だが、イリジウムに関しては長寿命を謳った一部の製品以外は通常のプラグと同等の寿命ではないか。
それを点検省略箇所なので外していないと言うのか。
なんだか言い逃れをしているように思えてならない。


その後色々と調べてみたが、やはり格安車検をうたうところは点火プラグを外して点検するということはしないようだ。
したとしてもいずれか一箇所、一本のみらしい。
ということはだ、僕のレガシィもいずれか一本は外されていたのではないか?
その後のボルトの締め方が甘かったため緩んできたか、そもそもしっかり締まっていなかったのではないか?
それを僕自身のプラグ交換作業の際に気付いたということではないのか?
それがいちばん納得がいく話の流れだろう。

でも今となっては、その格安車検を行った整備工場は「外していない」と言い切るのだから「あんたのせいやろう」と文句を言ったところでどうにかなるものでもなかろう。


という一件があった。
実はちょうど左側のタペットシールからのオイル漏れが目立ってきたのでディーラーで交換してもらうことになっていた。
バンクは逆だけれども、入庫の際になんとかしてなめられたボルトを外して新しいボルトでしめといてもらおうと考えた。
整備士の方が使う精度の高い工具ならなんとかなるかもしれないと期待して。
新しいボルトで締めておいてくれれば、その後のプラグ交換は自分でやればいいことだ。
そんな具合で話がめでたしめでたしで終わればよかったのだが・・・


「右バンクのイグニッションコイルの固定ボルトですが・・・やはりこれはエンジンを降ろさないと外せません。。。」
だそうです。
エンジン脱着の費用は10万円以上らしく・・・
まいったなあ。

このタイミングでエンジンを降ろすのは勿体ない。
現在15万kmを走破。
20万km手前でオーバーホールしようと考えていたのにな。
取り敢えず20万kmでのオーバーホールは延期だな。
今このタイミングでエンジンを降ろすなら、エンジンマウントやエンジンを降ろさないと交換できないホース類、後ろ側のクランクシールなどを替えておいてもらおうか。
エンジンの前にタービンの方が弱って来ているし。
弱ったタービンでエンジンを元気にしても、タービンに死んでくれと言っているようなものかもしれないしな。
交換しようと思いながら延び延びになっていた燃料ポンプもまた先延ばしだなあ。
キャリパーやマスターシリンダーのオーバーホールも先延ばしだなあ。
ブッシュ打ち替えなんていつになることやら。
いっそサスアームごと交換の方がよいだろうか。


元をただせば、全てのことはこのクルマが水平対向エンジンだからいけないのだ。
直列エンジンならイグニッションコイルのボルトの頭をなめるなんてまずないよなあ。


それでも僕は、水平対向エンジンを嫌いになれません。いや、大好きです。
水平対向エンジン搭載車以外には乗りたくないです。
だからまだまだ頑張ります。





愛車プロフィール
平成15年式 レガシィB4(BE-D型 5速MT)
現在153,000km走行

エンジンやタービン、インタークーラーなど大物はノーマルのまま。
吸排気系のパーツ交換でEJ20のポテンシャルを最大限引き出すと同時に、長期間快調な走りを維持したいとの考えで、空気の入り口から出口までのパーツはトータルでバランスを考えながら交換。
その上でECUを現車合わせセッティング実施。

9万kmを超えたあたりから少しずつ以前の吹け上がりに陰りが見え始めたものの、セッティング時は最大ブースト1.2kでパワー310PS,トルク35kg。
現在は調子を維持する(延命かも)メンテナンス中心に実施。



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英詞の魅力と魔力 ~モリッシーの文学的素養

2014-11-23 23:46:38 | 80’S 以降UK

Strangeways,here we come

当時のモリッシーの心境を端的によく表していると思う。
鬱屈した日々を過ごしていた彼が、あれよあれよという間にスターダムにのし上がった。
恐らく自身でも身辺で起きていることを上手く理解できないことも多々あっただろうと思う。


先の記事で英米文学の原題に心を打たれた経験を書いたが、ひとかどの文学的素養を持ち、且つ言葉を紡ぐ才能のある方が書いたものには、それがポップ・ミュージックの歌詞であろうと僕は同様の感銘を受けた。
80年代のUKで活躍したThe Smiths の楽曲たちは、その中でも群を抜いて僕の心を打ったものが多くある。


冒頭の一文をタイトルに冠した The Smiths のスタジオ録音盤4枚目に当たるアルバム。
そこに収録されている曲の歌詞の一節に、僕は一抹の寂しさを抱きながらもぐっと胸に迫るものを感じた。

Stop me, oh, stop me
Stop me if you think that you've
Heard this one before
Stop me, oh, stop me
Stop me if you think that you've heard this one before

Nothing's changed
I still love you, oh, I still love you
...Only slightly, only slightly less than I used to, my love


とても簡単な単語の羅列で読み解くのも何ら困難は伴わない。
受験英語で習う文法を知っていれば充分に理解できる。
A面の5曲目に当たる"Stop me if you think that you've heard this one before" の冒頭かつサビの一節だが、特に後半の"Nothing's changed..." 以降に、僕は言葉には出来ない寂しさを感じた。


「何も変わってないよ、僕は今もきみのことが好きさ。
 でもね、ほんのちょっと、ほんのちょっとだけ、前より好きじゃなくなっちゃたなあ・・・」

「何も変わらないのよ、私は今もあなたのことを愛しているわ。
 ただね、ほんの少し、ほんの少しだけ、愛は薄れたわ」

一人称を僕にするか私にするか、二人称をあなたにするかきみにするか、そして文体をどのような調子にするのか、どういう訳を当てるのが最適なのか僕にはわからない。
訳し方によっては若者が発する軽い恋愛のような印象にもなるし、重い感じの大人の恋愛のようにもなる。
でも、いずれにしろ日本語を宛てるとたいした感銘も受けない。
それが英文のままだとぐっと胸に突き刺さる。


"only slightly" を二度繰り返している。
このことにより、迷いながら、ためらいながら、そして言葉を慎重に選びながら心情を吐露している様子が伝わってくる。

"less than I used to"
「嘗て自分がそうであったよりも少し」というのが直訳だ。

この人の中に何かがあって、以前よりも愛の気持ちが薄れて行ったのだろう。
でもそれを英語であれ日本語であれ、直截的な表現をしたのでは相手を傷つけてしまう。
以前よりも愛は薄れたとはいえ、今尚愛している存在 "my love" なのだ。
その相手を気遣いながら躊躇して発している様が思い浮かぶ。
もしかしたら、その言葉を発したことによって、相手から自分への愛も薄まるかもしれないと不安を感じているのかもしれない。
そういうことを僕は上手に日本語で伝えられるだろうか。
いやそれは非常に難しい。
そんな僕が、もしこのモリッシーの書いた一節を翻訳した上で理解しても感銘は受けなかったように思う。
そもそも"than I used to" を上手に日本語にすることが困難なのだ。
だからこそ、ここは原文のまま理解したい。鑑賞したい。
僕は自分自身でそれが出来たと思っている。
出来たからこそこれほどまで感銘を受けたのだ。

このような感銘を与えてくれる歌詞がモリッシーが書いたThe Smiths の曲中には随所にある。
メロディに載せた言葉だから文字を宛てるなら「詞」なのだろうが、モリッシーが書いたものには僕は寧ろ「詩」の文字を宛てたくなる。
純粋に言葉だけ取り出して「詩」として鑑賞することも可能だとさえ思う。



僕は幼い頃より読書が好きだったし、文章を書くことも好きだった。
同様に音楽を聴くのも好きだったが、聴くときは常に歌われる言葉を気にしていた。
僕も次第に成長していくと、その言葉が耳触りになってきた。
日常の会話で使う言葉と同じ種類の言語がメロディにも載っている。
とうことは直ちにそれが理解できるということだ。
そうなると、これは高慢な感じでとても言い難いことなのだが、言葉を綴った方々の文学的なセンスがなさ過ぎて聴くに堪えない。
しょうもない言葉遊びや無理やり踏んだこじつけの韻、何処かで覚えてきた難解語を敢えて用いる、そもそも「詩」でも「詞」でもなく単なる文章やんかと思わせるものも多数。

いやでもそれは仕方ないことなのだ。
あくまでそれは音楽なのだから。
そのメロディラインの修飾のようなものなのだ。
あまり小難しい言葉を並べても逆に聴かれなくなることの方が多いのだろう。
作り手だってそれで商売しているわけだから、その辺りのことはよく考えて分かっているだろう。

やはり言葉の鑑賞のためには読書なのだ。
音楽は音楽として楽しめばよいことなのだ。
そう思い始めると、僕は国産の音楽は殆ど聴かなくなった。
それでもやはり僕は言葉が気になる。
英詞の曲を聴いてもそこで歌われている言葉は必ず確認する。
その作業をしてく中で、モリッシーは特別だと感じた。
他のアーティストの詞にも感銘を受けることはある。
しかし、モリッシーのそれに受ける感銘は、質も量も比較にならない。



I don't owe you anything, no
But you owe me something
Repay me now

Too freely on your lips
Words prematurely sad

Life is never kind
Life is never kind
Oh, but I know what will make you smile tonight

(I Don't Owe You Anything の一節)




Coyness is nice, and
Coyness can stop you
From saying all the things in
Life you'd like to

(Ask の一節)

Askのこの一節で"coyness"を用いるところなど心の底から敬服します。
特にこの曲はサウンドも美しいし、詞の中に文学少女らしき人物も登場するのでリンクを貼っておきます。



Ask / The Smiths (you tubeへ)

Ask Shyness is nice, and
Shyness can stop you
From doing all the things in life
You'd like to

Shyness is nice, and
Shyness can stop you
From doing all the things in life
You'd like to

So, if there's something you'd like to try
If there's something you'd like to try
ASK ME - I WON'T SAY "NO" - HOW COULD I ?

Coyness is nice, and
Coyness can stop you
From saying all the things in
Life you'd like to

So, if there's something you'd like to try
If there's something you'd like to try
ASK ME - I WON'T SAY "NO" - HOW COULD I ?

Spending warm Summer days indoors
Writing frightening verse
To a buck-toothed girl in Luxembourg

ASK ME, ASK ME, ASK ME
ASK ME, ASK ME, ASK ME

Because if it's not Love
Then it's the Bomb, the Bomb, the Bomb
the Bomb, the Bomb, the Bomb, the Bomb
That will bring us together

Nature is a language - can't you read ?
Nature is a language - can't you read ?

SO ... ASK ME, ASK ME, ASK ME
ASK ME, ASK ME, ASK ME

Because if it's not Love
Then it's the Bomb, the Bomb, the Bomb
the Bomb, the Bomb, the Bomb, the Bomb
That will bring us together

If it's not Love
Then it's the Bomb
Then it's the Bomb
That will bring us together

SO ... ASK ME, ASK ME, ASK ME
ASK ME, ASK ME, ASK ME
Oh, la ...


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幸せになりたくて川を渡る  ~ブログタイトルの由来

2014-11-23 01:48:26 | 音楽徒然



How many rivers must I cross? I don't know...
当ブログに冠したこのタイトル。
直訳すれば「幾つの川を渡らなければならないのか? 僕にはわからない」。
それを「幸せになりたくて川を渡る」としたのはすこし意訳が過ぎたかなと思うところもある。


このタイトルは、80年代から90年代にかけてUKで活動していたHurrah!というバンドの曲の一節から頂いた。
見ず知らずの誰かのブログを読む気になるかならないか、その要素としてブログタイトルは非常に重要なのは誰でもわかる。
だから当然のことながら僕は頭を悩ませた。

でも僕は本来なら日本語のタイトルを付けたかった。
延竿を使った日本古来よりの伝統的な釣りのスタイル。
竿一本、糸一本、鈎一本という最も簡素な仕掛けの釣り。
その仕掛けで和的な美や可憐さをもつ渓魚を釣るブログが中心になるのだから、横文字のタイトルを付けたとあっては、読んで頂く方が抱く釣りのスタイルのイメージが損なわれると考えたからだった。
更に言うなら、英語のタイトルなどややもすれば時代錯誤な流行歌のような印象を与えかねない。
それは既に20代の頃から、自身で曲作りをしていた頃から感じていたことだった。

しかし実際は違った。
これはいい。このタイトルにしよう。
それが結果的に日本語であれ英語であれ、迷うことなくそう思えたものをタイトルにしていた。


凄く手前味噌というか、過去の栄光を自慢するような言い方でとても恐縮なのだが、学生時代には英文小説を原書で読めるくらいには英語を理解できた。
当時は英文を読んで頭の中で翻訳するという作業などなくてもそのまま理解できた。
手に取るように登場人物の心情や情景、イメージが沸き上がってきた。
国産の流行歌に触れたとき、英語をよく知らない人が無理やり捻り出した英単語やそれらを用いた英文で付けたタイトルは、そのような雰囲気が濃厚に漂っていることはすぐに感じ取れたし、逆に英語をよく分かっていらっしゃるのだなと感じるタイトルにも出会った。

そのような感覚を持って小説の原書に触れていると、古今の英米作家の小説タイトルにハッとさせられることも多く、自身で曲のタイトルを考えていた時も、たまたま相応しいタイトルが英語であったというだけだ、陳腐なタイトルの流行歌ではないのだと、少し引っ掛かるものがありながらもそのまま用いていた。

具体的に例を上げて話をするならこういうことがある。
僕が最も胸を打たれた原題は、ヘミングウェイの「武器よさらば」のそれだ。
"A Farewell to Arms"
「A Farewell to...か。凄いな。」
ある意味原題そのままと言ってもよい邦題だが、「英語には"A Farewell to"という表現があるんだ。この感覚を日本語で表現するのは難しい」。そう感じた。
どうしてもその感覚を日本語では表現できなくて、僕はその後、自身で作った曲に "A Farewell to Knee"というタイトルを付けた。


"Tender is the Water" 最初はこれをブログタイトルにしようかとも考えた。
これも過去に自身で作った曲のタイトルだった。
スコット・フィツジェラルドの長編「夜はやさし」の原題"Tender is the night"にヒントを得た。
しかし、タイトルそのものはよくても、自身の中でこのタイトルを採用することには胸のつかえが取れなくて断念した。

"So gentle water,so close to me"というのも考えた。
しかし、長いだけで心に響くものはない。

「水と翠と○○と」というのも考えた。
しかしこれも「○○」に当てはめるのに相応しい語が見つからずに却下した。

なんとかして「水」という語をタイトルに入れたかったのだが、いっそ水から離れてみようかと考え、ならば単純明快に「鮭一の本流釣りブログ」にでもしようかと、半ば捨て鉢にもなってみた。
これだったら「ああ、本流釣りのブログなのだな」とひと目でわかる。
でもあまりにも芸がなさすぎる。



そんな思案に暮れていたときにふと思い出したのが、現在タイトルに冠している"How many rivers must I cross? I don't know..."だった。
「フラー!はね、ロックっぽいんだよ。だから鮭一さんの好みだと思うよ」。
数年前に某SNSの音楽コミュニティで知り合った女の子から音源を頂いた。





その後も気持ちが上向いているときのドライブなどでよく聴いていた。
ヴォーカルもコーラスも演奏もミックスダウンも、その全てが荒削りで稚拙だった。
だけどメロディラインや各々のギターのサウンドとフレーズは凄く心に響くものを感じたし、何より音楽に対する直向きなスピリットを強く感じた。
絵に描いた様なインディーズの音源であり、それこそ僕が大好きなものだった。

佳曲が多い一連の楽曲群において、どちらかと言えば "How many rivers" は平凡な出来上がりになっているように感じる。
タイトルやメロディラインを思うと、恐らく製作者の意図としては川が滔々と流れゆく様をイメージしていたのだろう、若しくはリスナーに想起させたかったのだろうと予想したくなる。
でも残念ながらそこまで昇華させらてはいないように感じる。

ではどうやったら "How many rivers" を雄大な川の流れのような曲に仕上げられるのだろう。
凄腕の敏腕プロデューサーが着いたら可能かもしれない。
でも、Hurrah! のメンバーとその時のレコーディングスタッフでは無理だったと思う。
壮大な曲に仕上げようとして無理だったのか、或いはそもそも無理だと分かっていながらやってみたのか。
はたまた逆に「このバンドでは無理だな」という感じを醸し出すことを思い描きながらの想定済みの作業だったのか。
真相は分からない。
とにかく僕はこの「無理だな」「力量不足だな」という感じも全て含めてこの "How many rivers" が好きだ。


色んなことが積み重なって僕にのしかかり、ついに心の病を発症してしまった数年前の僕は、それまでの仕事も貯えも趣味の品々も、思い描いていた人生の夢も失った。
でもひとつだけ失いたくないものがあった。
それが渓流釣りだった。

多くのものを失い、多くの人が去った。それは仕方ない。どうしようもない。
でも、渓流釣りだけは失いたくない。
それを失ったら生きていく意味がない、僕は真剣にそう思う。

世間一般で多くの人が考える幸せな生活は、もう僕には送ることはできないだろう。
それは悲しいことだけれども仕方がない。
ただ仕方ないと諦めるのではなく、少しでも上昇していけるように前を向いていたい。
そのような慎ましい人生の中のささやかな幸せでいい。
それを僕に感じさせてくれる渓流釣りだけは奪われたくない。
野山に囲まれた清廉な流れの中で美しく可憐な渓魚たちに出会う。
僕にとっては非常に贅沢でとても幸せな時間なのだ。
幸せになりたくて僕は渓魚に会いに川に降り立つのだ。
もしかしたら、何度も降り立つうちにいつもよりは少しだけ余計に幸せな気持ちになれることがあるかもしれない。

"How many rivers must I cross? I don't know..."
そんな思いで、Hurrah!の"how many rivers"からタイトルを頂いた。





「フラー!はね、ロックっぽいんだよ。だから鮭一さんの好みだと思うよ」。

「ロックっぽい?僕はべつにロックは好きではないのだがなあ・・・」などと思いながら焼いてくれたCDを再生し始めた。
「ああ、確かにロックっぽいというのは分かる気がする。単純にカッコいいなあ」と聴き始めて間もなく感じた。


勿論それまでにもHurrah!というバンド名は音楽誌でよく目にしており既知のバンドではあった。
ただ、音源を入手することが出来ずに未聴のままだった。
ネオアコ筋でよく語られるバンドではあったが、「単純にカッコいいなあ」と感じたようにロック的な雰囲気が色濃く漂う。
そのためかこれはネオモッズ筋でも語られて良いのではないかなと感じた。

エフェクト処理で楽器の素の音が分からなくなるというようなサウンドではなく、グレッチやリッケンバッカーの音も聴こえる。
ギターのサウンドやフレーズは間違いなくロック的なものだけど、何故かこのバンドにはとてもポップな感覚も感じる。
それが何故なのか、どうしてなのか、長い間分からなかったが、最近になって漸くうまく説明できるようになった。

かなり無理があるのだが、例えるなら初期のビートルズのようなものなのだ。
ここで僕が言っている初期ビートルズとは、革ジャンとリーゼントでロックンロールを演奏していた頃から、丸襟スーツとマシュルームカットにしながらも尚ロックンロールを演奏していた頃のことを指している。
両バンドともサウンドもフレーズもロックなのだが、演奏しているミュージシャン、ソングライターには抜群のポップセンスが備わっている。
それが分かったとき、ネオモッズ筋で語られてもいいのではないかなと感じたことにも納得がいった。

自分で書いておきながら比べるのもどうかと思うのだが、ビートルズの場合はそのセンスがあまりにも稀有なものだったということだろう。
Hurrah!については残念ながらそこまでのセンスはなかったということになるのだろう(勿論運や巡り合わせというのもあるが)。
確かに演奏やレコードとしてのプロダクション的には稚拙な部分も多くある。
しかし楽曲そのものやメロディのセンスはかなり優れていると感じるし、ロック的なサウンドとフレーズの中で絶妙にポップ感覚が備わっている。
活動そのものは80年代前半から行なっていたということだが、キッチンウェアからのアルバムとしての音源のリリースは1987年と他のネオアコ勢に比べると少し時期が遅いという不運もある。
見た目によるものなのか、何処か地味な印象を与えかねない。
結局1991年に解散してしまい、僕もずっと音源を探していたが入手できないままだった。



"Hurrah!"の音源は、2009年に入手できた。
先ほど書いたように、某SNSの音楽コミュニティで知り合った女の子から提供して頂いた。
僕はその後身辺で色々と面白くないことが起きて疎遠になってしまった。
「今頃どうしているのかなあ・・・」と思っていた頃、久しぶりにその女の子からメールが届いた。

「今更のようにね、ブログやってんだよ。ほとんど釣りネタだったけど、これから暫く禁漁だからさ、その間は音楽ネタでも書いて行くつもりだよ。だからたまに見に来てね。」と伝えた。


見に来てくれるといいなと思いながら僕は今これを書いている。
あのとき彼女に音源をもらえなかったら、恐らく今も僕はHurrah! を未聴のままだろう。
ありがとう、JA嬢。


Hurrah! " How many rivers"  you tubeへ




How Many Rivers


How many rivers must I cross
I don't know
How many rivers must I cross
I don't know

Talk about your days
I hope are too narrow
To the �・‰. a better day I'll go
Oh and the load I carry
Makes me slow
We'll bring the burden's truth
We're watch it grow

(chorus)

Where are those freaks
Who had me down
They won't believe their eyes
When they see where I'm bound
Where the sun shines
Where the sun's so high
Walk on their fingers
Watch how �・‰ rise

How many rivers must I cross
I don't know

These eyes have seen through god
These lips have tasted love
And those been far away
But the hope has always stayed

(chorus)

I'll make you pause when people stand
And shake these hands
I'll make you pause when people stand
And shake these hands

How many rivers must I cross
I don't know

A sequel to "How many rivers must I cross? I don't know..."  ~鮭一のブログ 続編

2014-11-09 22:55:53 | プロフィール

2014年の春に、今更のようにブログを始めた。
もともと幼い頃から読書も文章を書くことも好きだったため、世間でブログというものが流布し始めた頃から自分も始めたいという思いは抱いてた。

でも僕のブログなんて誰が読むのか、読んで楽しいのか、そもそもブログに書くネタすらないというつまらない毎日を送っていたため実行に移すことはしなかった。

でも、ある友人に言われた。
「人生何があるか分かんないんだしさ、70歳を過ぎて芥川賞を獲る人だっているのよ。書くことが好きなら書いた方がいいわ。書いて欲しいなあ。」

その言葉を僕に投げかけてくれた当人は、現在の僕のブログの熱心な読者になってくれたわけではない。
「たまに覗く」くらいのものだということだ。
それもそうだろう。内容が非常に限定的だ。ほぼ釣りのことしか書いていない。






べつに多くの方に読んで頂きたいと切望しているわけではない。
渓流釣りや鮭科魚類が好きな方に読んで頂ければいいと考えている。
その中でも、さらっと釣行先や釣果を記し、幾つかの画像を添付したほんの1~2分程度で読めるブログが好きな方は、恐らく僕のブログは好まないだろう。

僕が読みたいブログ、読み応えがあると感じるブログ、それは何故その日の釣行先にその川を選んだのか、どのような読みや狙いでその川のそのポイントに降り立ったのかということから、その川の成り立ちや特有の傾向、流域周辺の特徴、その流れに棲む渓魚たちの特徴、そのような要素が具に記されたブログなのだ。
川の名称や具体的なポイントは勿論伏せて頂いて構わない。いや寧ろ伏せておいて欲しい。
その上で、狙い通り掛けた渓魚との遣り取りの様子、その日の使用タックルやそれを選定した理由、そういった事柄も書いて頂ければ有り難いことこの上ない。

だから僕もそのような釣行記を2014年のシーズンは書いてきた。
その場を与えてくれたOCNブログ人のサービスが2014年11月末をもって終了する。
ここgooブログへの引越ツールを提供してくれるなど、ユーザーにとっては手間を省かせてくれる取り計らいがあったため、今後は場所をこちらに移す。

ただ、2014年の渓流釣りシーズンは基本的にもう終了した。
釣りネタでの更新は殆ど見込めない。

今でも音楽や読書は好きだ。
そしてクルマも。
暫くはそういった内容でのブログが続くことになると思う。

これから宜しくお願いします。
以下はOCNブログ人のプロフィール欄から転記した鮭一の自己紹介です。





~第1章

鮭一の肖像

色々なモノ、色々なコト、色々なオンナを好きになりましたが、
現在も鮭一の許に残っているものは多くはありません。
そんな鮭一の好きなモノとコトをどうぞ。


◎渓流釣りと鮭科魚類

これがなければ生きてはいけない。

その他の趣味がなくても何とかなる。

でも鮭一から渓流釣りを取ったら死にます。


幼少期より鮭科魚類を好む。

前世は鮭だと思うくらい鮭が好き。

そのくせ鮭が好んで食べる甲殻類は好きではない。

鮭科魚類との出会いを求めて渓流に降り立つ。

パーマークの鮮やかな美しい個体

逞しい体駆と精悍な顔つきの個体

素晴らしい1匹と出会いたい。

1匹でいい。

数釣りは好まない。



鮭一の最大寸レコード

アマゴ:45cm (岐阜県 南飛騨 益田川)

ヤマメ:45cm ( 日本国 本州 ダムに注ぐ某河川)


イワナ:45cm ( 岐阜県 南飛騨 益田川)

ニジマス:46cm (岐阜県 奥飛騨 高原川)


ブラウントラウト:46cm (岐阜県 恵那 上村川)


死ぬまでの目標は、パーマークが鮮やかに残った居着きのアマゴの40cm オーバーを獲ることです。

釣りのスタイルは、本流延竿餌釣り派です。

愛竿
ダイワ 琥珀本流エアマスター メタルチューン105M
ダイワ 琥珀本流エアマスター100MV
ダイワ 琥珀本流ハイパードリフト スーパーヤマメ95MR
ダイワ 琥珀本流ハイパードリフト サツキ75SC
シマノ スーパーゲーム 刀NI MH90
シマノ スーパーゲーム パワースペックH 83-90
シマノ スーパーゲーム ベイシスMH 75-80



鮭が大好きな鮭一は、自分の住む街にも鮭が遡上する川があるといいなと思っていました。
でもあるとき気付きました。
自分の住む街ではないけど、岐阜県には長良川があるじゃないかと。

郡上辺りの渓流域に棲息するアマゴという鮭科魚類がいます。
彼らの一部は幼魚の頃、秋に降海します。

そして翌春、母なる長良川を遡上します。
さつきの花の咲く頃に再び郡上辺りに現れます。

我々はそれをサツキマスと呼んでいます。
40cmほどに成長した銀色の魚体は鮭のミニチュアを思わせます。

一部の学者はそれを「nagara-salmon」と呼びます。


まだまだ鮭科魚類の話は出来ます。
というか、全く足らない。

このように、鮭科魚類の話を始めると、
とどまるところを知らぬ勢いで話し続けますのでご注意ください。


因みに釣りは渓流以外はやりません。
興味ありません。
鮭科魚類が釣れないので。
たまに誘われて行く程度です。

渓流釣りをやる人の多くは鮎釣りもやりますが、
僕は鮎釣りはやりません。


~第2章

それ以外の好きなコト、モノ

◎読書

小説以外は殆ど読みません。
海外文学を楽しむことが多いように感じます。

印象深い小説は沢山ありましたが名称を挙げるなら以下の通りです。

・スコット・フィツジェラルド
『グレート・ギャツビー』(The Great Gatsby)
『冬の夢』(Winter dreams)

・アーネスト・ヘミングウェイ
『武器よさらば』(A Farewell to Arms)

・トルーマン・カポーティ
『草の竪琴』(The Grass Harp)
『ティファニーで朝食を』(Breakfast at Tifany's)

・村上春樹
『ノルウェイの森』
『1973年のピンボール』

その他、ジョン・アップダイク、サリンジャー、カミュなど
ジョージ・オーウェルを読んでから、
それまでの英国文学に対するアレルギーはなくなりましたが、
未だに『嵐が丘』と『ジェーン・エア』のよさは分かりません。


◎音楽

60年代英国音楽
the Beatles , Small Faces , Geogie Fame

80年代UKインディー・ネオアコ・ギターポップ
Pale Fountains , Shack ,
Go-Betweens , Trashcan Sinatras ,
Fairground Attraction ,
The Smiths , Style Council,
Everything But The Girl

その他ネオモッズなど、この時代の音楽は大好きです

70年代はシンガーソングライター、ソフトロックなど
あまり詳しくないです。


自作曲を宅録したり、ストリートでアコギを掻き鳴らしていたのは遠い昔の話…
でも、今でもビンテージギターは大好きです。

国内の音楽はフリッパーズ・ギターとスピッツと山下達郎
意外にアイドル歌謡やなんちゃってAORなボーカルものも好きだったりする



◎旅

学生時代は鉄道旅行
北海道と北斗星が大好きで、
周遊券を使って2週間くらいかけて道内を巡ること数回。


その後はクルマによる旅
当てもなく走り続け眠たくなったらそこで寝る。

出来れば高速道路より一般道を好む。
青森から多治見まで一般道走破もやる。
というか、2回ほどやったことがある。
新潟くらいなら迷うことなく一般道で往復。
ただし時間的に許される場合のみ。


クルマのメンテもDIYで出来ることはやる。
愛車はH15年式 スバル レガシィB4(BE5D) 5速MT
若気の致すところでスーパーファインチューニングを実施。
エンジン本体やタービンはノーマルのまま、
吸排気系とROMチューン現車合わせでMAX310PS 36kg

しかしながら現在15万㎞走破
そろそろエンジンOHしたいなあ。


~エピローグ

実生活は、不運・不遇が続いております。