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積極的幻視(5)冤罪を生む危険性

2019年08月04日 16時43分21秒 | Weblog
 前回は、花はなくても「花」が見える。つまり「六境」(対象)がなくても「六識」は生ずる。というお話しでしたが、付け足しがあります

 「六根」(受信装置)が何もとらえていないはずなのに「六識」が生じる。ということもあります。

 よく聞く例に、事故・病気等の結果、脚の膝から下を切断してしまった人が「足の指先がかゆい」とうったえる等の報告があります。「足の指先」はもうないはずなのに、そこに「かゆみ」を感じたり「痛み」を感じたりするのです。

 これが、「六根」にかかわらず「六識」が生ずる例のひとつです。

 つまり「六識」は、私たちの感覚器官とか外界の事物とは無関係に成立することすらあります。ですから実際に「六境」-「六根」-「六識」がそろっていたとしても、私たちの「認識」というものはあやしいものです。

 1.そこに実際に「花」がある。(境)
 2.「花」が網膜に映る(根でとらえる)
 3.「花」が見えたと認識(識)

 このようにして認識するわけですが、3の(眼識)は、私たちの個々人の頭の中でつくりあげられたものです。したがって、それはをそのまま反映したものとはいえません。

 AさんとBさんでは「見え方」が違うし、それを「見た」時点の条件(体調、気分、先入観、好き嫌い・・・)により、「見え方」が異なるのです。

 同じ人の同じ行動を数人が見た場合、それぞれの人がそれぞれに「眼識」をこしらえているので、「見えた」ものはそれぞれ異なります。

 だから、「私は犯人を見た」「確かにこの人が被害者を刺しました」などと証言する人がいたとしても、その証言が100%正しいとは限らないのです。防犯カメラが録画したものを再生するのとはわけが違うのです。

 その証言は「嘘」ではないかもしれません。証言者が「見た」ままを言っているからです。そのように「見えた」というのは「嘘」ではなくても、それは「事実とは異なる」場合があります。

 その人の思い込みというのは、

 ・実は一瞬しか見なかったので本当はよく確認できていなかった、
 ・現場が薄暗かったので、本当はよく見えていなかった
 ・被告人の顔(写真等)を見たら、あまりいい印象を持たなかった
 ・被告としてあげられた人が、自分が嫌っている民族、エリア、グループに属する人だった
 ・その後の報道や警察の聞き込み捜査の過程で「刷り込み」が起こり、目撃者の無意識が被告を「悪人だ」と思い込んでしまうようになった
 ・その他・・・

  等の条件が、「眼識」に影響をあたえます。

 その結果「あの人が犯人です。私は確かに見ました」となります。

 このようにみれば、この証言は参考にすることはできますが、その証言を100%信用して「事実」だと認定すると「冤罪」を生む危険性があるのです。
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