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積極的幻視(4)

2019年08月04日 08時54分15秒 | Weblog
積極的幻視(4)

 私たちがものを「見る」あるいは「見える」ということはどういうことでしょうか。

 たとえば、目の前に「花」(視覚の対象物)があるとします。花は光を反射して、その光が私たちの「眼球」に差し込んできます。網膜に「花」の映像が映ります。

 これで「眼」という受信装置が、対象物「花」をキャッチしたのですが、ただしこの段階ではまだ「見えた」とはならないのです。

 対象物を網膜でキャッチしたあと、さらにその情報を「脳」に送り込み、頭の中で「情報処理」しなければならないのです。このことを、「認識」といってます。

 ここまでいってはじめて「見えた!」となるのです。

 このことについて詳しく説明されたのはブッダなので、ブッダの用語を使えば、簡単に説明できます。

 視覚に関していえば、

「色」(視覚の対象)→「眼」→「眼識」というふうな図式で「認知」とか「認識」というものがうまれます。

 それは視覚だけではなく、聴覚・嗅覚・味覚・触覚でとらえたものや、「かたち」のないものを「概念」として感じ取ったものを認識してしまう(例:「森」「芸能界」「教育界」「政界」など具体的な「かたち」をもたないものを「ある」と感じる)ことも説明してくれています。

 まとめると、認識の対象となるものが

 ・「六境」・・・「色・声・香・味・触・法」

 それを受信する装置(感覚器官)が

 ・「六根」・・・「眼・耳・鼻・舌・身・意」

 六境(感覚の対象物)と六根(感覚器官)でとらえたものを「認識」させる作用が

 ・「六識」・・・「眼識・耳識・鼻識・舌識・身識・意識」

 です。

 「六識」という作用があって初めて、私たちは「見えた」「聞こえた」「いい香りだ」「おいしい」・・・。などと感じ取ることができるのです。
 ここまではいいでしょう。

 ここで、肝心なことがあります。私たちの通常の認識の過程は上記のとおりですが、ところが、たとえ対象物がなくても私たちは「もの」を認識してしまうことがあるのです。

 たとえばそこに「花」という物体がない。だから網膜に「花」の映像は映ってはいない。にもかかわらずなんらかの刺激によって「眼識」が働けば、「花」が見えてしまうのです。「眼識」が働くと、逆に網膜に花が映っているかのように、そしてその対象物が目の前にあるかのように錯覚してしまうのです。

 これを、催眠関係の言葉で「積極的幻視」と言っているのです。

 でもこれは何も、催眠だとか非日常の状態だけにかぎることではないのです。

 むしろ、私たちの脳は常に、無意識のうちにこのような作業をしています。
 だからブッダは「人間はつねに妄想を見ている」というのです。

 ここからが肝心なところですが、長くなりましたので次回に回します。

 次回は「目撃証言は必ずしも100%あてになるわけではない-「見えたもの」と「事実」は同じとはいえない」

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