***ちっちゃなちっちゃな首相だ"(-""-)"***
6時起床、天気は雨・・・・
朝食は巻き寿司、ワカメスープ、野菜ジュース。
6時40分スクールガードに行く。小雨が降っていて傘をさして出かける。朝練の見送りはできなかった。harukaさん元気に登校する。とても元気だ。途中雨がやみ7時35分スクールガード終了。帰宅して踏み台昇降100回を済ませる。
長男は今日40回目の誕生日、娘のためにきちんと体調管理をして長生きしてくださいね。
首相「スマホ持っていない」 衆院予算委
2019/2/12 22:00
「民主政権は悪夢」 岡田氏の撤回要求、首相は拒否
- 2019/2/12 17:00 (2019/2/12 20:58更新)
岡田氏は民主党政権で副総理や外相を務めた。予算委での質問後、記者団に「野党を頭から否定する言い方はいかがなものか。ちっちゃな首相だ」と批判した。自由党の小沢一郎共同代表も記者会見で、首相の「悪夢」発言について「彼にとってはそうだろう。もう一度、悪夢を見てもらえばいい」と反発した。首相は10日の党大会で2007年参院選を振り返り「わが党の敗北で政治は安定を失い、あの悪夢のような民主党政権が誕生した」と述べた。「決められない政治。経済は失速し、後退し、低迷した。あの時代に戻すわけにいかない」とも語った。立民の枝野幸男代表は11日の全国幹事長会議で「あの時代はむしろ自殺者が減るなど良くなった部分もある」と反論した。第2次安倍政権で老後や子育ての不安が強まっていると指摘し「悪い夢ではなく現実が悪くなっている」と述べた。
2月10日のblogにも書いたけれど本当にちっちゃな男だね。何かあると前政権の民主党を引き合いに出す。政権を投げ出し自民党が負けたのは安倍のせいだ。その時のトラウマが恐怖心をうみ、何かと批判するのだろうね。もう少し大人になりなよ(さだむさん)
民主党政権前の、自民党政権も悪夢だった安倍晋三首相がかつての民主党政権を「悪夢」とこき下ろしたことが話題となっている。
自民党が10日に都内で開いた党大会。首相は春の統一地方選と夏の参院選での勝利を呼び掛ける中でこう述べた。
“12年前の亥年の参院選でわが党は惨敗した。当時、総裁だった私の責任だ。片時たりとも忘れたときはない。政治は安定を失い悪夢のような民主党政権が誕生した。あの時代に戻すわけにはいかない。厳しい戦いだが、まなじりを決して戦い抜く先頭に立つ決意だ”(THE SANKEI NEWSより)
2009年から2012年にかけての民主党政権がボロボロだったのは言うまでもない。しかし、思い起こせば民主党政権が誕生したのは2007年から2009年にかけての自公政権がボロボロだったからだ。これではまずい、と思った国民が誕生させたのが民主党政権である。第一次安倍政権だった2007年、数多くの疑惑を取りざたされた農水大臣が自殺。後任の大臣にも数えきれないほどの政治とカネの問題が指摘され、たった2ヶ月で辞任に追い込まれた。そんな中で行われた参院選で自民党は大敗。民主党に第一党の座を奪われ、体調不良を理由に安倍首相は退陣を決めた。当時は「消えた年金」に代表されるように、今と同じく政治による役人統治の問題も指摘された。その後の福田政権、麻生政権も支持率の回復はかなわず、いずれも1年という短命に終わった。そして、2009年の衆院選で民主党は大勝し、政権の座を奪ったのである。安倍首相が2007年の参院選で敗北してから、麻生政権まで支持率低迷を余儀なくされたのは、小沢一郎氏率いる民主党が「ねじれの弱点」をついて政権を攻撃し続けたからだ。自衛隊によるインド洋での給油活動、日銀同意人事、ガソリン暫定税率……。数的優位に立つ参院での「拒否権」を駆使し、政治がまったく前に進まなくなった。「決められない政治」は民主党がもたらしたものだが、当時の国民は政権のせいだと理解した。しかし、自民党は同じことを民主党政権でもやったのだ。民主党ほど露骨でなかったにしろ、巧みな「国会対策」で政権運営を邪魔した。もちろん、鳩山首相や菅首相によるめちゃくちゃな言動等もあったが、少なくとも自民党は経験の浅い民主党の政権運営に協力するどころか、邪魔することしかしなかった。その結果が、首相のセリフにある「政治は安定を失い」なのである。政党なのだから、その政党のトップなのだから選挙で勝とうというのは当然のことである。党内の士気を高めるために多少、相手を挑発することも許されるだろう。ただ、相手をただ、貶めるだけではこの国の政治がいつまでたっても進歩しない。安倍首相もいつかは退任する。自分が退任した後、またかつての悪夢を再現しないためにどうすればいいか、考えてこそ、戦後最長の内閣を担う(であろう)宰相の責務ではないだろうか。
小沢氏が国民民主党と組み、再び表舞台に立とうとしている。再び政治が2007年に戻ることだけは御免こうむりたい。
池江、東京へ前向く 「治療して、さらに強くなる」
「東京」へ向け、順調にトレーニングを積んでいた池江を突然の病が襲った。昨年末の産経新聞の取材に、「自分の限界を超える」と誓った18歳は、思いもしなかった“ハードル”の出現にもしっかりと前を向いた。「治療に専念し、一日でも早く、さらに強くなった姿を見せられるよう頑張っていきたい」-。
アジア大会で6冠を達成し、100メートルバタフライでは世界ランキング1位に輝くなど昨季、池江は飛躍した。昨年10月にはリオデジャネイロ五輪金メダルのサラ・ショーストロム(スウェーデン)との合同練習も実現。今回の豪州合宿前には「持久力もスプリント力も強化したい。五輪の金、銀メダリストも参加するので、良い刺激をもらって帰ってきたい」と意気込んでいた。
しかし、今後は治療に専念する。4月の日本選手権を断念するため、五輪代表選考を兼ねる7月の世界選手権(韓国)にも出場はできない。これまでの例からすると、来年4月の日本選手権で標準記録を突破し、2位以内に入ることが五輪代表入りの条件。日本水連は「特別な猶予は考えていない。(標準)タイムを切ることと順位が求められる」と明言する。
元競泳選手で、都内の病院に勤務する血液内科医の男性医師(48)は「白血病の種類にもよるが、一般的に(治るまでに)最短でも7~9カ月かかる。治療中は絶対に運動ができないため、筋力も著しく低下する」と指摘。世界最高レベルの技術を持つ池江にとって、五輪に向けて一層の筋力アップが課題だっただけに影響は多大だ。
それでも、わずか3年で個人5種目の日本記録を計29度も更新した天才スイマー。困難を克服し、笑顔でスタート台に立つ日を信じている。(西沢綾里)
がんばれ!応援します(さだむさん)
10時ローソン横集合、今日は六丁目のアルキング会です。さだむさんは銀行に用があるのでNHさんにその旨伝えて当座の現金を手に入れる。ユーカリが丘駅で待ち合わせ上野に向かう。
不忍池でユリカモメと戯れ湯島天神に向かう。
梅が2分ほど咲いている。絵馬を見させてもらった、いろいろなことが書いてある。切実なものもあった。
湯島天神から神田明神に向かう。ずっと下り坂だった。
野村胡堂の銭形平次の碑があった。
sanさんの母上のお住まいになった辺りは神田明神下、神田明神の境内からsanさんのお母さんの実家の洗濯物干し場にいる母上に手を振って連絡を取り合ったらしい。sanさんは江戸っ子だ。江戸っ子だってねぇ神田の生まれよ寿司食いねぇ・・・
神田明神から昌平講経由
神田藪蕎麦に向かう途中甘酒を頂く。
藪蕎麦は残念ながら本日休業。
いせ源のお店。本日の鮟鱇が展示してあった。
美味しそうだったけれど一人1万円かかりそうなので断念・・・・