●さらに大岡川河口沿いを歩く。
すると案内地図に道慶地蔵尊というのがあったので、川の反対側へ橋を渡った。
橋の名前も道慶橋という
●祠の横には案内板があり道慶橋の由来が書いてある新聞記事の拡大版があった。
それによると・・・
『旅していた僧であった道慶禅師が立ち寄ったが、大岡川にはあまり橋はかかっておらず、この地域の住民は川を渡るのにいちいち渡し船を雇うか、腰まで水に浸かって歩いて渡らざるを得ないという話を聞かされた。
そこで、道慶禅師は一念発起し地蔵尊に祈りながら住民と共に工事を行い、3年後の万治元年(1658年)に橋を完成させたという。
両岸の住民たちはこの橋に道慶橋と名をつけ、道慶禅師が住んでいた庵があったところに地蔵尊をお祀りし菩提を弔い、これが現在の道慶地蔵尊であるとのこと』
ヨコハマ原付紀行より抜粋
●昔のお坊さんは橋の建設技術も知っていたのか!
+++++++++++++++++++++++++++
こんな本を書いてます。
↓ ↓ ↓
・イギリスは健全だ
・貧乏人は野菜を作ろう【上中下合本版】: 食と農は近いほど良い
・通信工学を習ってない人の為の通信工事入門 監視カメラ編
・情報工学を習っていない人の為の情報システム入門 統合編
・電気工学を習ってない人の為の電気工事入門 統合編
すると案内地図に道慶地蔵尊というのがあったので、川の反対側へ橋を渡った。
橋の名前も道慶橋という
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『旅していた僧であった道慶禅師が立ち寄ったが、大岡川にはあまり橋はかかっておらず、この地域の住民は川を渡るのにいちいち渡し船を雇うか、腰まで水に浸かって歩いて渡らざるを得ないという話を聞かされた。
そこで、道慶禅師は一念発起し地蔵尊に祈りながら住民と共に工事を行い、3年後の万治元年(1658年)に橋を完成させたという。
両岸の住民たちはこの橋に道慶橋と名をつけ、道慶禅師が住んでいた庵があったところに地蔵尊をお祀りし菩提を弔い、これが現在の道慶地蔵尊であるとのこと』
ヨコハマ原付紀行より抜粋
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