前の記事に引き続き、『WWEの独裁者―ビンス・マクマホンとアメリカン・プロレスの真実』からタネを拝借。
ケビン・ナッシュ。日米で一大ブームを巻き起こしたnWoの中核メンバーとしても活躍、2メートルを超えるマット界の大型スーパースター。ナッシュが1993年、WWF(現・WWE)でディーゼルに変身し、そしてスターダムに到達する以前は、WCWで脇役の1人でした。その時分にグレートOZというギッミクをしていたわけですが、その発案者がダスティ・ローデスだそうです。1991年、WWF(現・WWE)からWCWに招聘されたローデスが考え出したアイディアで、OZの魔法使いをモチーフに創られました。
参考 Kevin Nash: The Early Years pt. 4
グレートOZの来日時には、「ワールドプロレスリング」にも出ていたと記憶しています。このギミックは、ズバリ失敗に終わる。
ちなみに、そのローデスは往時、世界最高峰の権威に輝くNWA世界ヘビー級王座にも君臨してます。たしか日本では実力がないがファンに人気があるから、またプロモーターのお気に入りだったので、チャンピオンになれたといわれていました。それらも含まれているでしょうが、彼自身がブッカーだったわけです。それと分かるのが、
〝ブッカーとしてのローデスの評判を聞きつけたのがクロケットだった。1970年代にフロリダを転戦していたローデスは、記憶に残る名勝負の筋書きを作った(P,104)〟
です。まさに自作自演。
ただ、NWA世界ヘビー級選手権のブックまで担当したとは明記されていません。
本題に戻り、1996年にWWF(現・WWE)にいたナッシュへWCWへの引き抜きの電話を最初にかけてきたのはダイヤモンド・ダラス・ペイジでした。ペイジはかつてのWCW時代のタッグパートナー。
ナッシュはビンス・マクマホン(WWEオーナー)が彼をサポートし、スターにしてくれたことに感謝しており、移籍する際には
〝手紙を携えてビンスのオフィスを尋ねると、彼は何も言わなかったが、納得したような表情を見せていた(P,209)〟
ということがあったそうです。
1996年7月7日、ハルク・ホーガンがナッシュ、スコット・ホールと結託し(nWoの誕生)、衝撃のヒール転向を果たします。当日のホーガンは他のレスラーたちから隠れ、
〝ホールもナッシュも新しいパートナーが誰なのか確証はなかったが、およその察しはついていた。ほかの連中も同じだった(P,213)〟
とあります。エリック・ビショフ(WCW副社長)はプラン通りに、ホーガンが演じるのか不安を感じていたそうです。
この上記2つのエピソードはホントですかねぇ。
ビジネスでは近しい関係だが、本音を話さず距離感のあるナッシュとホーガンだった。WWF(現・WWE)とWCWの視聴率戦争の最中の1998年8月8日。PPV「ロード・ワイルド」が終わった晩に危機感をつのらせたナッシュは、
〝ホーガンを引き留め、駐車していた車のバンパーに腰掛けて1時間ほど話し込んだ(P,282)〟
ナッシュは自分の意見を伝えた。
〝ホーガンが主役として影響力を行使し続ける限り、ほかのレスラーが育たず、WCWに新しい息吹を吹き込むこともできなかった(P,282)〟
しかし、この話し合いはホーガンの次の一言でご破算になる。
曰く
〝お前がのぞむことをやろうとすれば、俺が割を食うことになるぜ(P,282)〟
・・・ホーガン貪欲すぎ。
改革をのぞむ一方でナッシュは、ポール・ワイト(ビッグショー)に負けたくないからとPPVをドタキャン。心臓発作を起こしたというようなメッセージを留守電に残し、ビショフを激怒させました。
〝傍目には理解しにくいことだが、ビショフはナッシュにショーの構想に積極的に加わるよう指示した(P,288)〟
ホーガンの存在には手を出せないものの、ナッシュはWCWのシナリオに関わっています。ところが
〝ナッシュのシナリオは成果が上がらず(P,288)〟
WWF(現・WWE)に視聴率で惨敗した。
〝困惑したナッシュはほかのレスラーたちに一致団結して彼に協力するよう求めたが、気に入らない対戦を避けるために心臓発作を起こしたと平気で嘘をつき、バトン・ルージュのホテルの外で56歳の女性の体をまさぐった酔っ払いの親友ホールを誉めそやすような男に自分の将来を託すレスラーはいなかった(P,288)〟
多数のスーパースターを擁しながらも、混乱した魅力のないストーリーラインしか描けなく、視聴率と観客を集められなくなったWCWは2001年、WWF(現・WWE)にたった250万ドルで買収されてしまいます。
ナッシュにもWCW崩壊の責任はあったということです。
WCWに止めを刺したのはテッド・ターナーのタイム・ワーナー内での影響力の減少も関連しました。AOLと合併したタイム・ワーナーの新しい株主たちは、ターナーの退陣をのぞんだ。ターナーの30年間続いたプロレスへの温情は、新たな責任者により切り捨てられてしまうことになった。
この本は監修者注が本文を否定しているというヘンテコなものですが、そこら辺は関係なく、主役のビンス・マクマホン周辺のさまざまなエピソードが綴られた興味深い一冊です。
ケビン・ナッシュ。日米で一大ブームを巻き起こしたnWoの中核メンバーとしても活躍、2メートルを超えるマット界の大型スーパースター。ナッシュが1993年、WWF(現・WWE)でディーゼルに変身し、そしてスターダムに到達する以前は、WCWで脇役の1人でした。その時分にグレートOZというギッミクをしていたわけですが、その発案者がダスティ・ローデスだそうです。1991年、WWF(現・WWE)からWCWに招聘されたローデスが考え出したアイディアで、OZの魔法使いをモチーフに創られました。
参考 Kevin Nash: The Early Years pt. 4
グレートOZの来日時には、「ワールドプロレスリング」にも出ていたと記憶しています。このギミックは、ズバリ失敗に終わる。
ちなみに、そのローデスは往時、世界最高峰の権威に輝くNWA世界ヘビー級王座にも君臨してます。たしか日本では実力がないがファンに人気があるから、またプロモーターのお気に入りだったので、チャンピオンになれたといわれていました。それらも含まれているでしょうが、彼自身がブッカーだったわけです。それと分かるのが、
〝ブッカーとしてのローデスの評判を聞きつけたのがクロケットだった。1970年代にフロリダを転戦していたローデスは、記憶に残る名勝負の筋書きを作った(P,104)〟
です。まさに自作自演。
ただ、NWA世界ヘビー級選手権のブックまで担当したとは明記されていません。
本題に戻り、1996年にWWF(現・WWE)にいたナッシュへWCWへの引き抜きの電話を最初にかけてきたのはダイヤモンド・ダラス・ペイジでした。ペイジはかつてのWCW時代のタッグパートナー。
ナッシュはビンス・マクマホン(WWEオーナー)が彼をサポートし、スターにしてくれたことに感謝しており、移籍する際には
〝手紙を携えてビンスのオフィスを尋ねると、彼は何も言わなかったが、納得したような表情を見せていた(P,209)〟
ということがあったそうです。
1996年7月7日、ハルク・ホーガンがナッシュ、スコット・ホールと結託し(nWoの誕生)、衝撃のヒール転向を果たします。当日のホーガンは他のレスラーたちから隠れ、
〝ホールもナッシュも新しいパートナーが誰なのか確証はなかったが、およその察しはついていた。ほかの連中も同じだった(P,213)〟
とあります。エリック・ビショフ(WCW副社長)はプラン通りに、ホーガンが演じるのか不安を感じていたそうです。
この上記2つのエピソードはホントですかねぇ。
ビジネスでは近しい関係だが、本音を話さず距離感のあるナッシュとホーガンだった。WWF(現・WWE)とWCWの視聴率戦争の最中の1998年8月8日。PPV「ロード・ワイルド」が終わった晩に危機感をつのらせたナッシュは、
〝ホーガンを引き留め、駐車していた車のバンパーに腰掛けて1時間ほど話し込んだ(P,282)〟
ナッシュは自分の意見を伝えた。
〝ホーガンが主役として影響力を行使し続ける限り、ほかのレスラーが育たず、WCWに新しい息吹を吹き込むこともできなかった(P,282)〟
しかし、この話し合いはホーガンの次の一言でご破算になる。
曰く
〝お前がのぞむことをやろうとすれば、俺が割を食うことになるぜ(P,282)〟
・・・ホーガン貪欲すぎ。
改革をのぞむ一方でナッシュは、ポール・ワイト(ビッグショー)に負けたくないからとPPVをドタキャン。心臓発作を起こしたというようなメッセージを留守電に残し、ビショフを激怒させました。
〝傍目には理解しにくいことだが、ビショフはナッシュにショーの構想に積極的に加わるよう指示した(P,288)〟
ホーガンの存在には手を出せないものの、ナッシュはWCWのシナリオに関わっています。ところが
〝ナッシュのシナリオは成果が上がらず(P,288)〟
WWF(現・WWE)に視聴率で惨敗した。
〝困惑したナッシュはほかのレスラーたちに一致団結して彼に協力するよう求めたが、気に入らない対戦を避けるために心臓発作を起こしたと平気で嘘をつき、バトン・ルージュのホテルの外で56歳の女性の体をまさぐった酔っ払いの親友ホールを誉めそやすような男に自分の将来を託すレスラーはいなかった(P,288)〟
多数のスーパースターを擁しながらも、混乱した魅力のないストーリーラインしか描けなく、視聴率と観客を集められなくなったWCWは2001年、WWF(現・WWE)にたった250万ドルで買収されてしまいます。
ナッシュにもWCW崩壊の責任はあったということです。
WCWに止めを刺したのはテッド・ターナーのタイム・ワーナー内での影響力の減少も関連しました。AOLと合併したタイム・ワーナーの新しい株主たちは、ターナーの退陣をのぞんだ。ターナーの30年間続いたプロレスへの温情は、新たな責任者により切り捨てられてしまうことになった。
この本は監修者注が本文を否定しているというヘンテコなものですが、そこら辺は関係なく、主役のビンス・マクマホン周辺のさまざまなエピソードが綴られた興味深い一冊です。
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