私の記憶と感性 そして 下書きのない日記 №52

多可が50 去れども半世紀の人生で この三百六十五段の湯けむり漂う
町に来てからの記憶と感性です

守り           それは 我々の 義務 ・・・

2015-09-04 15:25:00 | 日記

そして 責任 宣誓センセイの元に誓う心は 純粋あるのみ
海上自衛隊には 特別警備立入隊と言う特殊部隊が存在します それは 国からの特殊任務を背負い
死ぬ確率が120%の覚悟を持ち一般の海上自衛官には 出来ない部隊です 
以前 小渕総理大臣の時代に一般海上自衛官21名が任務中に命令が下りました
不審船を発見して海上保安庁から海上自衛隊に立入検査を頼む要請が入り命令を受けた若者達は
一瞬にして通じ様の任務では 無いと分かりました 相手は 北朝鮮の特殊工作船の疑いが大だったからです
そして 出動が始まった 隊員達は 完全に死を覚悟して戦闘体制と完全武装で波に揺れ自衛隊艦艇から不審船に
次から次へと飛び乗り立入検査任務を無事に完了させました
この時は 幸いにも北朝鮮の不審船には 違いが無かったのですが武装した工作員では 無く
日本へ亡命ボウメイをして来た一般朝鮮人でした
この時の隊員 若者達21人にその時の精神状態が分かる特殊なアンケ-トを指せた所21人が全員同じ精神状態で
任務だから覚悟は 決まっていると回答が出ました
この時に直接 隊員達に命令を下した 上官は 普通の若い隊員達の顔色が変わり顔が引き締り輝く様に
任務達成に向う態度に成り震え強張る隊員は 一人も居なく晴々とした態度で伸び伸びと突入をして行ったと語っています
又 この上官は 自衛官が100%全員が死を覚悟していないはずだ
そこで いくら宣誓を誓おうが戦いと特殊任務には 適材適所が有る訳だ今回は 北朝鮮の市民だったからでは無く
21人全員が同じ覚悟と精神で突入を果たし成功させてくれたが 此処に足を引っ張る 人間が一人でも居て相手に発砲されて
死人が出てしまう可能性やイザと成り不審船の中でパニックを起こしたりする人間も必ずあるはずだと
この上官は 海上自衛隊特別警備立入隊の発足に関わり特殊部隊の教官を務めます
一般自衛官では 無く120%死を覚悟して特殊任務専門の隊員達・・・

海上自衛官の皆さんが3年に一回 日本国内で注目されて隊員の家族達が笑顔でほころぶ日が観艦式です
1341年に英仏戦争で英国王子のエドワ-ド3世が自ら艦隊を従えて出陣の際に行われた
海軍による軍事パレ-ドが元らしいです
日本では 明治元年3月に明治天皇を迎えて大阪は 天保山沖で行われた
観兵式が今の観艦式だそうです 

 
昭和3年の観艦式 おそらく横浜沖だと思われます
私が思うに観艦式は 毎年 幅広く出来るだけの艦艇を集めて海と空で派手やかに行なうべきだと思います
抑止力の一つとして 日本は 国防費が年々と厳しく去れていますがこんなに防衛に関心が無い国民で国は
日本だけなんです だが防衛費は 年々と削られて行きますがオリジナル兵器レベルは アメリカの次と
言われて居ます 戦前から日本は 世界一の大かい物を創つて来ました
其処には 巨大な軍艦を動かすには 確実な技術が必要ですからね

海上自衛隊の過去の観艦式

回次 年.月.日 場所 艦艇隻数(トン数) 航空機 観閲官
 1 昭和 32.10.2(水) 東京湾 32隻(約38,500) 49機 内閣総理大臣 岸 信介
 2 昭和 35.11.2(水) 東京湾 43隻(約42,500) 47機 防衛庁長官 江崎 真澄
 3 昭和 36.11.2(水) 東京湾 32隻(約39,000) 29機 防衛庁長官 藤枝 泉介
 4 昭和 37.11.3(土) 大阪湾 48隻(約46,000) 31機 防衛政務次官 生田 宏一
 5 昭和 39.11.2(月) 東京湾 52隻(約52,000) 36機 防衛庁長官 小泉 純也
 6 昭和 40.11.3(水) 大阪湾 49隻(約49,000) 51機 防衛庁長官 松野 頼三
 7 昭和 41.11.3(木) 博多湾 37隻(約43,700) 56機 防衛庁長官 上林山栄吉
 8 昭和 42.11.5(日) 伊勢湾 43隻(約50,000) 75機 防衛庁長官 増田甲子七
 9 昭和 43.11.3(日) 東京湾 44隻(約54,000) 47機 内閣総理大臣 佐藤 栄作 
10 昭和 44.11.3(月) 大阪湾 50隻(約53,000) 51機 防衛庁長官 有田 喜一
11 昭和 45.11.3(火) 相模湾 45隻(約55,900) 48機 防衛庁長官 中曽根康弘
12 昭和 46.11.3(木) 佐世保沖 50隻(約55,000) 65機 防衛庁長官 西村 直巳
13 昭和 47.11.5(日) 相模湾 51隻(約75,000) 61機 防衛庁長官 増原 恵吉
14 昭和 48.9.16(日) 若狭湾 39隻(約55,000) 48機 防衛庁長官 山中 貞則
15 昭和 56.11.3(火) 相模湾 45隻(約93,600) 55機 内閣総理大臣 鈴木 善幸
16 昭和 59.11.4(日)
(自衛隊創立30周年記念) 相模湾 53隻(約118,300) 51機 防衛庁長官 加藤 紘一
17 昭和 62.11.3(火)
(海上自衛隊創立35周年記念) 相模湾 54隻(約127,300) 49機 内閣総理大臣 中曽根康弘
18 平成 1.11.5(日)
(自衛隊創立35周年記念) 相模湾 55隻(約143,100) 51機 内閣総理大臣 海部 俊樹
19 平成 4.10.11(日)
(海上自衛隊創立40周年記念) 相模湾 52隻(約149,500) 54機 内閣総理大臣 宮沢 喜一
20 平成 6.10.16(日)
(防衛庁・自衛隊創設40周年記念) 相模湾 45隻(約130,300) 52機 内閣総理大臣 村山 富市
21 平成 9.10.26(日) 相模湾 46隻(約159,100) 48機 内閣総理大臣 橋本龍太郎 
22 平成 12.10.29(日) 相模湾 63隻(約201,700) 61機 内閣総理大臣 森 喜郎 
23 平成 14.10.13(日)
(海上自衛隊創設50周年記念 国際観艦式) 東京湾羽田沖 隻(約) 機 内閣総理大臣 小泉 純一郎 
上記の、海上自衛隊創立は、海上保安庁・海上警備隊発足より起算。自衛隊創立は、防衛庁・自衛隊創設より起算。


s10683726@ybb.ne.jp

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