私の記憶と感性 そして 下書きのない日記 №52

多可が50 去れども半世紀の人生で この三百六十五段の湯けむり漂う
町に来てからの記憶と感性です

★発砲の日         誰しも 何の 理由 でも ・・・

2015-09-04 18:16:54 | 日記

戦いなんか避けたい者です我々自衛官でも誰しもです
ただ それを分かっては 頂けない戦後の現代日本人ですかね
イャ戦前の国民、先人の皆様も同じ気持ちで居ました
そもそも日本人、大和民族は 戦いに備え堅く礼儀を重んじて話し合いを持つ民族でしたから
しかし 礼儀を正さない相手には 必要以外に感状も出しませんだが何故戦いを選び先人達が散って逝ったのですか
彼方がたの可愛いお孫さん 彼方がたのお子さんがゲイムや携帯電話で遊べるのは 彼方がたが日本国の国土を
守ったのですか平和を知る 戦後70年で教わった事は 何ですか平和が有るから悲惨な不幸を考えられるのでは・・・
外国の人々が戦後 日本人は 平和ボケだけでは 無く人間の基本を無くして終ったと自ら世界に一つしか存在しない
3300年の大和の国、四季を持ち海に囲まれた ジパングを・・・
我々ポ-ランド人は 日本に助けられた歴史を大事にして居ますよ国は 侵略により2度無くなりましたが再建の道は
誰しも忘れては 居ませんでした 我が国の先人達の教えを守り活きて来たからですよ
戦争で焼け野原に去れて原爆を2発も投下されて沖縄、硫黄島ポ-ランドでは 日本の勉強が盛んな国ですから
若い日本人よりも正しい歴史と日本人の素敵な人間性は ポ-ランドの大学生の方が良く知っていますよ
いくら復興とインフラ整備に国民が一丸イチガンと成りまとまりの有る日本人でも国が無くなり日本本土から虐殺を
避ける為に逃げ出して 又 同じ場所に日本と言う旗は 建てられませんよ島国なんですから陸続きのヨ-ロッパや
大陸と違いますからねだから3300年も続いて来た 国 大和民族ですよ

簡単な事です憲法では 侵略から国は 絶対に守れません・・・
戦後 日本は 憲法で平和を保って来た何て言いますが
先人達の抑止力ですよ 陸、海、空の自衛官の皆さんが海外でどれだけ日本の印象を良くして暮れているか
分かっていますか世界最大の潜水艦で何ヶ月も海に潜り日本の警備をしてくれている
海上自衛官の気持ちが分かりますか・・・
イラクのサマワで尽してくれた 自衛官キャンプに迫撃弾が撃ち込まれていた 事実を日本国民は 何人知っていますか
それでも喜ばれて任務を完了させて来る 自衛官の皆さんが居るのですよある部族長が日本国自衛隊に手を出した者は
我々 部族で裁くので・どうかと・・・
今 我々の国に自衛隊が必要な事を分かって来ている国民だからと部族長は 我々は 戦いにイラクへは 来ていません
あくまでも命令は イラク復興支援ですから安心して下さい・・・
当時 イラクに自衛隊を支援に行かすなら丸腰で兵器は 持たせるなと馬鹿議員が沢山居ました
もし 自衛隊が応戦でもして戦いに成ったら如何するんだ 誰が責任を取るのだ 私だよ総理大臣の小泉だよ何か文句が
有るのかい人生は 色々だからね~と当時の小泉節をパクリましたが
あの時の隊長 今は 議員と成り正論を国民にぶつけてくれるヒゲの隊長は 自衛官ですから当然 任務遂行です
だが武器を持たない 良いでしょう機関銃、小銃、その他の武器を分解、バラしてイラクに行く積もり立ったと今だから
話せますよ丸腰で部下を今まで戦場たった 国に連れて行く指揮官が何所に居ますか・・・

今の現代日本人若者が戦争に巻き込まれる
自衛官が発砲して戦争に成ったら如何するの
何も 誰も 感じんな事は 言っていません今の日本がどれだけ海外で自衛隊が幅広く支援活動をしてくれているか勿論
その国の為ですよだがその国が良く成れば周りの国も見習います最後は 日本にあらゆる感謝と平和の礎が出来ますよ
その自衛官の皆さんに撃たれても良いから日本を守り海外で真面目に支援して来いですか
此れは 海上保安庁の皆さんにも言える 事ですよ


警察予備隊第一連隊 これが現在の自衛隊で1954年 昭和27年7月1日に発足

朝鮮戦争と警察予備隊

葛原和三

1950(昭和25)年6月25日、突如開始された北朝鮮軍の侵攻に米極東軍は大きな衝撃を
受けた。8月、北朝鮮軍が圧迫を続けていた釜山橋頭堡には、在日米陸軍から3個師団が
投入され、唯一残った第7師団も仁川上陸に参加させたため、9月中旬から日本には軍隊
と呼べるものが存在しなかったのである。
この軍事的空白を埋めるため米軍事顧問団の指導下に創設された警察予備隊は、防衛力
の確保を求められていた一方で、当初は英語で“Constabulary”(警察軍)軽装備の警察部隊
として誕生したのであった。しかし、朝鮮半島における中国軍の
参戦によって日本に対する脅威が増大すると、これに対抗するため米極東軍は、警察予備
隊の性格を防衛部隊へと大きく変化させていったのである。
米軍と警察予備隊との関係については、増田弘『自衛隊の誕生』などに詳しいが、
本稿はこれらの先行研究ではほとんど取り上げられてこなかった 米軍事顧問団が警察予備隊
の防衛力の形成、特に教育訓練等に及ぼした影響を取り上げ、復帰した旧軍人を主体に米軍
の軍事思想をどのように受容したかを焦点として考察するものである。

!私は あくまでも戦争反対論者ですから 只 強力な抑止力と毅然キゼンな態度と日本人が必要だと想います

★この作品は 投稿してから5ヶ月がたち観覧人数が二位に成りました 有り難う御座います

s10683726@ybb.ne.jp

 

守り           それは 我々の 義務 ・・・

2015-09-04 15:25:00 | 日記

そして 責任 宣誓センセイの元に誓う心は 純粋あるのみ
海上自衛隊には 特別警備立入隊と言う特殊部隊が存在します それは 国からの特殊任務を背負い
死ぬ確率が120%の覚悟を持ち一般の海上自衛官には 出来ない部隊です 
以前 小渕総理大臣の時代に一般海上自衛官21名が任務中に命令が下りました
不審船を発見して海上保安庁から海上自衛隊に立入検査を頼む要請が入り命令を受けた若者達は
一瞬にして通じ様の任務では 無いと分かりました 相手は 北朝鮮の特殊工作船の疑いが大だったからです
そして 出動が始まった 隊員達は 完全に死を覚悟して戦闘体制と完全武装で波に揺れ自衛隊艦艇から不審船に
次から次へと飛び乗り立入検査任務を無事に完了させました
この時は 幸いにも北朝鮮の不審船には 違いが無かったのですが武装した工作員では 無く
日本へ亡命ボウメイをして来た一般朝鮮人でした
この時の隊員 若者達21人にその時の精神状態が分かる特殊なアンケ-トを指せた所21人が全員同じ精神状態で
任務だから覚悟は 決まっていると回答が出ました
この時に直接 隊員達に命令を下した 上官は 普通の若い隊員達の顔色が変わり顔が引き締り輝く様に
任務達成に向う態度に成り震え強張る隊員は 一人も居なく晴々とした態度で伸び伸びと突入をして行ったと語っています
又 この上官は 自衛官が100%全員が死を覚悟していないはずだ
そこで いくら宣誓を誓おうが戦いと特殊任務には 適材適所が有る訳だ今回は 北朝鮮の市民だったからでは無く
21人全員が同じ覚悟と精神で突入を果たし成功させてくれたが 此処に足を引っ張る 人間が一人でも居て相手に発砲されて
死人が出てしまう可能性やイザと成り不審船の中でパニックを起こしたりする人間も必ずあるはずだと
この上官は 海上自衛隊特別警備立入隊の発足に関わり特殊部隊の教官を務めます
一般自衛官では 無く120%死を覚悟して特殊任務専門の隊員達・・・

海上自衛官の皆さんが3年に一回 日本国内で注目されて隊員の家族達が笑顔でほころぶ日が観艦式です
1341年に英仏戦争で英国王子のエドワ-ド3世が自ら艦隊を従えて出陣の際に行われた
海軍による軍事パレ-ドが元らしいです
日本では 明治元年3月に明治天皇を迎えて大阪は 天保山沖で行われた
観兵式が今の観艦式だそうです 

 
昭和3年の観艦式 おそらく横浜沖だと思われます
私が思うに観艦式は 毎年 幅広く出来るだけの艦艇を集めて海と空で派手やかに行なうべきだと思います
抑止力の一つとして 日本は 国防費が年々と厳しく去れていますがこんなに防衛に関心が無い国民で国は
日本だけなんです だが防衛費は 年々と削られて行きますがオリジナル兵器レベルは アメリカの次と
言われて居ます 戦前から日本は 世界一の大かい物を創つて来ました
其処には 巨大な軍艦を動かすには 確実な技術が必要ですからね

海上自衛隊の過去の観艦式

回次 年.月.日 場所 艦艇隻数(トン数) 航空機 観閲官
 1 昭和 32.10.2(水) 東京湾 32隻(約38,500) 49機 内閣総理大臣 岸 信介
 2 昭和 35.11.2(水) 東京湾 43隻(約42,500) 47機 防衛庁長官 江崎 真澄
 3 昭和 36.11.2(水) 東京湾 32隻(約39,000) 29機 防衛庁長官 藤枝 泉介
 4 昭和 37.11.3(土) 大阪湾 48隻(約46,000) 31機 防衛政務次官 生田 宏一
 5 昭和 39.11.2(月) 東京湾 52隻(約52,000) 36機 防衛庁長官 小泉 純也
 6 昭和 40.11.3(水) 大阪湾 49隻(約49,000) 51機 防衛庁長官 松野 頼三
 7 昭和 41.11.3(木) 博多湾 37隻(約43,700) 56機 防衛庁長官 上林山栄吉
 8 昭和 42.11.5(日) 伊勢湾 43隻(約50,000) 75機 防衛庁長官 増田甲子七
 9 昭和 43.11.3(日) 東京湾 44隻(約54,000) 47機 内閣総理大臣 佐藤 栄作 
10 昭和 44.11.3(月) 大阪湾 50隻(約53,000) 51機 防衛庁長官 有田 喜一
11 昭和 45.11.3(火) 相模湾 45隻(約55,900) 48機 防衛庁長官 中曽根康弘
12 昭和 46.11.3(木) 佐世保沖 50隻(約55,000) 65機 防衛庁長官 西村 直巳
13 昭和 47.11.5(日) 相模湾 51隻(約75,000) 61機 防衛庁長官 増原 恵吉
14 昭和 48.9.16(日) 若狭湾 39隻(約55,000) 48機 防衛庁長官 山中 貞則
15 昭和 56.11.3(火) 相模湾 45隻(約93,600) 55機 内閣総理大臣 鈴木 善幸
16 昭和 59.11.4(日)
(自衛隊創立30周年記念) 相模湾 53隻(約118,300) 51機 防衛庁長官 加藤 紘一
17 昭和 62.11.3(火)
(海上自衛隊創立35周年記念) 相模湾 54隻(約127,300) 49機 内閣総理大臣 中曽根康弘
18 平成 1.11.5(日)
(自衛隊創立35周年記念) 相模湾 55隻(約143,100) 51機 内閣総理大臣 海部 俊樹
19 平成 4.10.11(日)
(海上自衛隊創立40周年記念) 相模湾 52隻(約149,500) 54機 内閣総理大臣 宮沢 喜一
20 平成 6.10.16(日)
(防衛庁・自衛隊創設40周年記念) 相模湾 45隻(約130,300) 52機 内閣総理大臣 村山 富市
21 平成 9.10.26(日) 相模湾 46隻(約159,100) 48機 内閣総理大臣 橋本龍太郎 
22 平成 12.10.29(日) 相模湾 63隻(約201,700) 61機 内閣総理大臣 森 喜郎 
23 平成 14.10.13(日)
(海上自衛隊創設50周年記念 国際観艦式) 東京湾羽田沖 隻(約) 機 内閣総理大臣 小泉 純一郎 
上記の、海上自衛隊創立は、海上保安庁・海上警備隊発足より起算。自衛隊創立は、防衛庁・自衛隊創設より起算。


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