4月に訪れて以来、ず~~~っと写真整理が進まずアップできずにいましたが、2ヶ月遅れでようやくアップ
司馬遼太郎も〝街道をゆく〟で訪れた白河の関です。
関と言っても江戸時代の関所をイメージしてはダメな様で、そもそもは平安の世、坂上田村麻呂時代に北方征服のための陣地跡、前線基地だったようですね!
周辺の地形を見ると東西は山に仕切られ、南北は見通しが良い比較的広い空間が続いています。
北方人との会戦を意識しての場所選定だったのかな?とも思えます。
北方征服が進むごとに陣地は北上し、この白河の地は役目を終えたようで。。。
その後、関所は〝境の明神〟へとその役割を譲っています。
司馬遼太郎も言っていますが、京の都人にとっては〝白河の関〟が多くの歌に詠まれることとなる、どこか哀愁を帯びた憧れの地だったようで。。。
江戸期になってからも、松尾芭蕉がここを目的地の一つとして訪れています。
ただ現地に立つと、歴史的な味わい深さを感じ取るのは難しく、司馬遼太郎の街道をゆくや文献等々を読んでから訪ねた方が色々な見方が出来て面白いかもしれませんね