It loves such me. 

等身大の來伊羅☆に触れてほしくて・・・  

名脇役

2005年12月20日 | マスコミ


控え室でご飯を食べてたら、ニュースで「名脇役俳優、死去」とテロップが出た。

「藤木 悠さん74歳」の文字と写真。

この時期は、人が亡くなるのが多いなぁ・・と思う程度で見ていたら

もう少し若りし頃の藤木さんの写真を見て、はっとした。

私は、この人に子供の頃、一度だけだったがお会いしたことがありました。

説明すると、またまた長くなってしまうけど、断念せず読んで下さいませ。(汗)

いつ頃だったかな・・・

幼い時からは、人見知りしない性格だったけど、

小学校に入学して、今までの環境と一転、戸惑いが生まれて、

今では信じられない話だと思うけど、みんなの前で話すことや、

友達の輪にうまく入る事ができずに、

一人で本を読んだり絵を書いていた事が多かった小学低学年。

それを心配した母親が、「冬の学校」と称して大人は大学生だけで、

あとは公募した面識がないもの同士の小学生数十名を連れて、

新潟の十日町までスキーツアーに出かけるといった企画に、

私の断りもなしに応募してみたりしたけど、

初めてのスキーツアーと親と離れて寝泊りする事が重なり

軽いパニックを起こし、

帰ってくるまで胃がキリキリと痛む旅行を我慢して、過ぎさせられたりもしたけど効果もなしで、

しばらく大人しい小学生のままでいた。

子供向けの雑誌を読んでる時に、劇団のオーディションの広告が目についた。

それまでにスポット・ライトにあたる世界に全く興味なかったけど

自分でもどこかで変化をつけたかったのかもしれない。

なけなしの小遣いから、郵便切手を1000円だったか800円分だったか忘れたが、

履歴書と一緒に同封してオーディションに応募してしまったの。

数日後、劇団から返事が届き、

「第一審査通りました。」と印刷された便箋が自宅に届いたんだ。

子供心に何も知らない私は素直に嬉しかったんだ。

その当時、どうやって自分で行き方を調べたのか、

飯田橋まで電車で行き、その劇団のあるビルに、

親に内緒で独りでオーディションに行ってしまった。

記憶がおぼろげなのだが、セリフが書いてある紙を2枚渡さた。

書いてある内容は、

ある男の子に告白する4,5行くらいのそのセリフを言い方を変えて言って下さい。とあった。

ひとつは、(照れた感じで)二つめは(少し怒った感じで)の様な事が書いてあったと思う。

一列に並んで、審査員の前でそのセリフを言う為に順番を待っていた。

頭の中で何度も練習してるうちに、自分の番になった。

審査員に ぺこりとお辞儀をして、渡された内容のセリフを声を出して言ってみた。

「次は、怒った感じで言ってみて」と審査員にすかさず言われ、

ちょっと慌てた私は、一呼吸おいてからセリフを言った。

「うんうん・・・いいよ いいよ。 あなた、なかなか上手だねぇ~」

と、少し関心した様に言ってくれた男性が、藤木 悠さんだったんです。

見た目は怖い雰囲気だったが、

感想を言ってくれた彼の言葉はとても優しかったのを覚えています。

その後、別の審査員の方に歩き方や歌などを聞いてもらって帰宅した。

友達の輪に自分から入ろうとしなかった自分が、独りで飯田橋まで来て

知らない大人や数人の前でセリフや歌を披露するなんて・・・

ちょっと帰りの電車の中でそう思いながら、緊張が解けて眠りこけてた。

明日に続く・・・