女々しいと言われるとおもいますが、もう一回だけカイの思い出を!
何しろ私が退職をして13カ月常にいっしょにいた相棒なので。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/76/66/74521ca2f60c0aa0327642c970721378.jpg)
カイの発病を知ったのは昨年7月でした。6月に旅行をするのに
ホテルへ預けたあとつれにいったら、ホテルからカイは後右足が
ヘンですよと言われたことがきっかけでした。
しかし、それまでも足の裏など切り傷をしたりしていましたので
さほどの気にもせず、月末にクリニックにいきました。
レントゲンの結果「骨肉腫」と診断されました。つまり骨のガンです。
お医者さんいわく「このまま放置すれば3カ月くらいで痛みがひどく
なり、モルヒネを痛み止めに注射、そしてよりひどくなれば安楽死、
それでなければ患部の後足を股関節から切断、再発するかどうか
は不明」とのことでした。
そして判断は私にまかされました。しばらく考えさせてくださいとその
場を去り、2,3日考えました。実はその前の5月に子どもたちとある
所へ遊びに行ったとき、カイより大型のピレネー犬が後足切断で3本
足でピョンピョンと歩いていたのを思い出していたのです。
ただ、その犬は若犬でした。カイは老犬、果たしてこの年になって3本
足で再生できるか、また全身麻酔に耐えられるかなど迷いに迷ったす
え、「このままに」というのが私の苦渋の決断でした。
お医者さんにもこのことを告げ、私は介護の決意をしました。
もしもの時まで少しでも快適に過ごさせてやりたいと思い、今までかた
くなに設置していなかったエアコンを居間に設置、24時間カイは居間で
生活をしました。(それまでは日中は外の犬小屋で夜は玄関内)
また、お医者さんからの紹介でネットで薬を買ってのませ一縷の望みを
願いました。お医者さんは痛みがひどくなると食欲がおちるといわれ、朝
晩の食事の食べ方に細心の注意もはらいました。夏が過ぎて秋、足こそ
引きづってきましたが、食欲は衰えず、11月には足がむくれたように肥大
し始めました。そのために台車を改造し、カイの運搬車をつくり朝晩の散歩
に使用しました。昨年の冬は雪が降らずに助かりました。
居間はカイの部屋と化し、においはする、毛はいっぱいとお客様には失礼
したと思います。子ども達や孫達は何にも言いませんでした。
年が明けても食欲はありましたが、レントゲンをとると患部の足の大たい骨
は骨折、散歩も排泄のみの最小限にとどめました。
ただ、2、3カ月といわれたのが、半年、7カ月とすぎ、このまま後足だけで
転移はしないのではと思うほどの状態でしたが、4月になり、前足をなめる
ようになり、転移を知りました。
亡くなる1週間前くらいまでは、つらそうですが、自力で排泄もしてました。
前日は食欲がなくなり、大好きなあんぱんもだめ、水は寝たままでしか飲
まないようになり、いよいよお医者さんのいわれた状態かと覚悟をしました。
あとは、前日に書いたとおりです。
カイは私に安楽死の苦渋の決断をさせないように、その前に逝ったのです。
長くなりましたが、我が家の犬はカイが二代目です。初代は柴犬テツで8年
しかいませんでした。様子がおかしくなった時、お医者も近くになくて、また
私は車を持っていないこともあり、お医者へいくのが延び延びにしていた矢
先に亡くなった苦い経験をしています。
幸いにもカイは、ほんの近くにクリニックが開設されたことも幸いでした。
親切でたよりになるお医者さんでした。危篤の時には往診もしてもらいました。
その上、悔やみの花束まで送っていただきました。
感謝するのみです。ひまわりクリニック様、先生、奥様、看護士さんありがとう
ございました。
最後に、もし私が天国?に召された時、テツとカイに「我が家にきて良かったか
どうか」できるものなら聞いてみたいとおもいます。