この記事は、2014年1月6日の投稿記事です。
おじいちゃんの思い
長いけれど、ぜひ読んで、
身近な若い方と重ねて想像してみてくださいね。
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今日は仕事始めでした。
最初にいらしたお客様は90歳近い方。はっきりしっかりされてます。
仕事の話が終わったとき、唐突に
『わたしは海軍特攻隊にいたんですよ。』
と。
特攻隊の自慢話とか?!
一瞬鼻白む思いがよぎったのを裏切り。
『特攻隊の飛行機は、テレビじゃ、金属製の飛行機でしょ。あれはうそなんですよ。
実際は木製。木製なんです。
羽根は絹。
絹の上に塗料を塗ってね、その上にもう一枚絹を重ねる。
絹ですよ。
人が踏むとバリっと破けるから、乗り込むときの足場の踏んづけるところだけジュラルミンを貼ってね。
金属製なんて、最初だけですよ。あんなのないですよ。テレビのは嘘。
ほんとのことはテレビには写らない。あんなんじゃない。木製です。
海軍特攻隊は生き残りが少なくてね、この街に二人しかいない。
いや、4丁目に二人か。
これは多いほうかなあ。
わたしはね、みんなに、テレビは嘘だ、ほんとは違うって、みんなに言ってるんです。
いや、これはすみませんでした。』
わが母は
「長生きして語り継いでくださいって言えばよかったじゃない」
と言いましたが
話を聞きながらわたしは
当時各家庭から徴収するほど貴重な金属を、片道切符で死に往く者には使わない、という事実に、痛ましい思いでいっぱいになってしまい、絹(!!)なんかのやわな翼で飛び立ち死にゆく若い人たちが、現実のあの人や、電話で話した若いお客様方と変わらずに感じられ、ひとつの言葉も、声さえも出ず…
お客様の、それじゃお世話になりました、の一言で、我に返りました。
戦争は、戦争を体験していない、その悲惨さを知らない世代になったとき、繰り返されてきたのだ、と学者が言っていました。
私たちの母親世代は、戦後、米がなく、雑穀や芋を(芋の茎も)食べ育ったので、五穀米が嫌いです。
まだ、近いところに戦争がありました。
私たちの子供世代には、悲惨の意味は伝わるでしょうか。
あるいは、戦後ですら豊かだった、第一線にいなかった指導者たちには。
想像し、心の中で追体験できる力を、人間は持っているはずです。
大震災で、あれだけひどい思いをした人たちがいた、さらにさらに辛い現実をもたらすものが戦争なのだと、あらゆる人たち(若い方や指導者や軍人も)に知ってほしいです。
実体験を持った方の記憶を、テレビで見聞きするたびに思いますが、戦争は絶対に起こしてはならない、それを皆で共有したいと、今日またしみじみ感じました。
生の声と対面するって、本当に伝わるんですね。
テレビの何倍も強い。
世界中が平和でありますように。
内戦などで苦しむ人が、早く穏やかに暮らせますように。
しあわせって、平和であってこそなんですね。
今日はお堅い高校生時代に戻った「にゃんずオセワガカリ」でした。
わあ、もう夜中だ。
今年1本目の記事。
う~ん。
猫なしでした。
特別出演
猫同様床に寝るとうちゃん、
と、
とうちゃんに寄り添って床に寝る猫
八月は戦争と平和について深く日本人が考える時ですよね。。。
実は私の祖父は信州の山奥に住んでいながら海軍でした。優秀だったようで当時二名しかその地方では海軍はいなかったようです。。。
特攻隊ではなかったのですが、残念ながら終戦間際に戦死をしてしまいました。。。
硫黄島の方だったのではないかと親戚から聞いたことがありますが、本当のことはわからないままです。。。。
その後、父も祖母も大変な思いをしながら生きてきたようです。。。
水兵さんの格好をした若い遺影の祖父を見て、戦争さえなければ!っと幼いころからずっと思ってきました。
それと同時に常に思うことがあります。
今の平和の暮らしがあるのは、戦地へ行った人たちの犠牲になりなっているのではないかと。。。
仕事柄、高齢者の方々とよく会話をするのですが、やはり90歳を超えられる方との会話で戦争の話を聞くことがあるのです。
家族のため、日本を守るためにみんなみんな命をかけて守って戦ったかんだよ!!っ涙ながらに語られる人がいっらしゃいます。。。
当時の人の思いに触れると、知らないことだらけで私も驚いてしまうことがしばしばあり。。。言葉にもできないこともあります。。。
そうした人の想いを知ったからには、私は今という時を大切に生きなければ!と強く思うのです。
ご先祖様に感謝をしながら生きなければ申し訳ないと思うんです。。。。
当時どんなことがあったのだろうか?っと自ら調べることも大切だと思います。。。
教科書に載っているだけの歴史認識だけでは絶対にダメだと思います。
(最近はほとんどテレビを見ないようにしています。。。嘘が多いので・・・)
ネットで検索もできる時代なので、いろいろと調べたりできますし。。。
お盆が近づいてきたこともあり、この記事を読んで共感し、文字おこしをしたくなり。。。長々と綴ってしまいました。。。。
再度この記事をアップしてくださってありがとうございましたm(__)m
独裁的な人が揃ってしまい
戦争をしたがってるように見えて
不安です
今はこうして話してくださる方も
あまり見かけなくなりましたよね
貴重な体験を
わたしたちにもわけてくださり
ありがとうございます^_^
あやうい均衡の上にある平和ですが
平和を保っていきたいですよね
初めまして。
コメントとフォロー、いいねをありがとうございます。
記事の再アップをありがとうがざいます。
終戦記念日が近くなりましたね。終戦記念日は私の誕生日なんです。そのせいか幼い頃から戦争の辛さ苦しみを多く聞かされて育ちました。
日本は絶対に戦争はしない国と聞いて育ちましたが憲法9条が改正されそうで怖いです。
最近世界情勢が怪しくなってきましたね。どうにか平和的な解決をと望んでいます。
日本は憲法第9条をもっと誇ってもいいと思うのだけど。。。平和ボケと言われるのかな。。。
コメントありがとうございます。
ハイジさんのおじいさまも、戦って、お若くして帰らぬ方になられたのですね。
「愛する人に歌わせないで」という森山良子さんの歌があります。
戦いに行く若い父と、残された母子の歌です。
涙が出ます。
ハイジさんのおばあさまとお父様の大変さが忍ばれます。
最近ではつい、戦争関連の番組を避けてしまいがちでした。
戦中戦後を生きてこられた方たちへの感謝を忘れず、自分も思いを新たにして、若い方々にも伝えていかなければいけないですね。
ハイジさん、貴重なお話ありがとうございました。
本当に日本の回りの大国のトップは、独裁的な人が揃ってしまいましたね( ̄0 ̄;
平和は当たり前の今の日本ですが、実はあちらこちらに火種があるのだ、と、私たちはもっと注意深くならなければいけませんね。
さまざまな困難(コロナ、災害)を乗り越えられるのも、まず平和あってこそ。
しっかりアンテナをたてて、平和のことも、年に一度でもこんなふうに皆さんと考えられたらなあと思いました。
コメントとフォローありがとうございます。
終戦記念日がお誕生日でいらっしゃるのですか。
本当に、平和のことを考えさせられるお誕生日ですね。
憲法9条、あやういですね。
銃をもつから撃ちたくなる、と昔むかし、学校の先生に教わりました。
平和ボケでなく、平和を愛する国の人、として世界に誇れるよう、自分に何ができるか、せめて8月だけでも、毎年考えたいと思いました。
ところで、レモンの綴りが r なんですね!
うちのらぶおはひらがなのらぶで、アルファベットは同じく r 始まりなのです。
なんだか親近感がわいちゃいました
(^-^)
貴重なお話ありがとうございます。
正直、私の祖父も終戦世代なので、周りで戦争の話をダイレクトに聞いたことはありません。お恥ずかしながら、留学時に「あなたの国は唯一の被爆国。アメリカが原爆を落としたことをどう思うか。アメリカはそれが終戦を早めたと言っているが、どう思うか」など、戦争、原爆に対する自分の意見を問われました。でも、何一つ答えられず、平和ボケしている人間の1人なんだと自分を見直しました。帰国後、初めて広島、長崎に行き、初めて戦争を実感いたしました。
生存された方が減少している今、私たちはテレビやメディア、本から情報を得るしか無くなっています。それがウソだなんて、何を信じればいいのか。
お国のために亡くなった人々のためにも、
本当のことを公表して欲しいです。ビックリするようなお話でしたが、知ることが出来て良かったです。ありがとうございました。
まさかの真実、私も本当に驚きました。
留学先の質問に、きっと今ならご自分の考えをお話できるのでしょうね。
現地に足を運ばれたこと、尊敬いたします。
先日、長崎の若い女性が原爆のことを知ってほしいと行動されている姿をテレビで見て、
自分が、だんだんと反戦の思いが薄れてきていたことに気づいて、この記事を再び投稿させていただきました。
私も、広島長崎を訪ねたくなりました。
ありがとうございました。
戦争の体験話しは、
たくさんの人に伝えて下さい。
沖縄では
ヌチどぅ宝どぉ~
(命は宝よ~)
と おばぁーたちがよく言います
(*^ー^)ノ
ブログ拝見しました。
衝撃的なお話ですね。
10年程前に知覧に行きました。
資料館と言うんでしょうか…一機引き上げられた戦闘機が展示されていました。
それを見たとき鳥肌が立ち今でも目に焼き付いています。
私の祖父母は戦争を体験しています。
私が小学生の時、夏休みの宿題で戦争のお話を聞ける人は聞いてくるように。とありました。
でも私は聞けませんでした。
子供ながらに聞いちゃいけないような感じがしたのを覚えてます。
祖父母も話したくなかったんだと思います。戦後の話しも聞いたことがありません。
私の両親は戦時中の生まれですが、まだ赤ちゃんの時。覚えているはずもありません。
もう祖父母はいません。
二人とも老衰で亡くなりました。
今までも夏になると思うことがあります。
「夏休みの宿題で思いきって戦争について聞いていたらどうだったんだろう…」と。
戦争の記憶が風化した時、再び同じ事、それ以上のことが起こるようにも思います。
決して風化させず、記憶にそして身近に止めておく必要がありますね。