しすあめ

瑠々 萌花 のドタバタ毎日

年度初め。 本日のそれぞれの予定は...。(百穴見物)

2008-04-01 21:55:26 | 瑠々と萌花
本日は、昨日とうって変わって、ポカポカ陽気・・・ 。 ( けど、風が強かったです。 )


こういいお天気だとご機嫌のお嬢さんたち



早起きの萌花
 : 「 瑠々萌花ネぇ、寝坊したのぉ 



瑠々萌花ネ : 「 ってほどでもないでしょ・・・ 8時半だよっ 」 ( 十分遅いかっ・・・ )


・・・ で、こちらのお嬢さんは、朝ごはんの後に。



グルーミングに余念がない瑠々ちゃん
 : 「 最高のグルーミング日和ねぇ~ 


瑠々萌花ネ : 「 ホントねぇ~ 」

お外に出なければ、本当にポカポカ陽気で気持ちのいい一日でした。
グルーミングを終えた瑠々ちゃんは、自分のお姿にご満悦。



ガラスに映る自分にご満悦の瑠々1
 : 「 おほほっ! 


瑠々萌花ネ : 「 ・・・・・・・ 。 」



ガラスに映る自分にご満悦の瑠々2
 : 「 チロっ・・・ 


瑠々萌花ネ : 「 いえっ・・・ 美しゅうございましゅる 」



そいでもって・・・ ここんとこ、休日だらけのぐーたら夫婦は。

『 笑っていいとも 』 で、1万円のプリンの話題 → 「 そういえばさぁ、東松山 (埼玉県) に1万円コーヒーってあったよね 」 → 「 あぁ~、吉見百穴に行った時に見たネッ 」 →

「 吉見百穴に行ってみよう! 」

と連想ゲームのように、本日の日程が決まった。


埼玉県吉見町「吉見百穴」1


《 吉見百穴(よしみひゃくあな)解説 》
 吉見百穴は古墳時代の末期(6世紀末~7世紀末)に造られた横穴墓で、大正12年に国の史跡に指定された。横穴墓は丘陵や台地の斜面を掘削して墓としたものであるが、死者が埋葬された主体部の構造は古墳時代後期の横穴式石室とほとんど同じである。百穴が分布する一帯は凝灰質砂岩と呼ばれる比較的掘削に適した岩盤が広がっており、当時の人々は掘削するのに適した場所を探して横穴墓を造ったと考えられる。吉見百穴は明治20年に発掘調査が実施されているが、わずかな写真と出土品を残すのみで詳細な情報はほとんど残っていない。現在確認できる横穴の数は219基である。
< 吉見町役場公式ホームページより引用 >



埼玉県吉見町「吉見百穴」2



瑠々萌花ネ : 「 あっ、バッテリーが・・・・・ 」
瑠々萌花ニ : 「 何で充電しとかないかなぁ~ 」

瑠々萌花ネ : 「 全体が撮れないよぉ~ 」
瑠々萌花二 : 「 携帯で撮っとこうか 」


というわけで、次の写真は携帯写真です。



埼玉県吉見町「吉見百穴」3




埼玉県を住居とする前は、「 埼玉県なんてさっ・・・ 」 とか思っていましたが、なかなか色々とあるんですよねぇ。


さて、そろそろ ”行っては休み・・・行っては休み” のお休みも残りわずかとなってきました。
お仕事始動となるとやっぱ朝がねぇ~
少し、早起きの練習でもしとかんと・・・ 。



 




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 瑠々萌花ネ