にわか日ハムファンのブログ記念館

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フィンランド・エストニアの旅(6) トゥルク市内観光

2011-01-13 22:51:27 | さすらいブロガー旅情編
 フィンランド・エストニア旅行記6回目です。これまでのエントリはまとめエントリからどうぞ。

 さて、ホテルに着いて荷物を軽くできたので、ここからトゥルク市内観光です。



 市内を東に歩くと、トゥルク大聖堂が見えてきました。こちらも予定には入っていますが、まずは先に行ってみたいところがあるので、そちらへ。



 大聖堂のすぐ近くにある、シベリウスミュージアム



 大聖堂とはまったく異なる、近代的な建造物です。
 こちらは名前を冠しているだけあって、シベリウスの生涯と作品に関する展示品を多く見ることができます。
 ただ、展示品はシベリウスに関するものだけではなく、フィンランドの音楽全体の歴史や、フィンランド以外のものを含むさまざまな民族楽器が集められています。
 また、日によっては中でコンサートが開かれることもあります。この日は予定がありませんでしたが、中のチラシを見るとシベリウスミュージアムなのにロックフェスも行われるそうで驚きました。
 ただ、さすがに中で写真を撮るわけにはいかないので、あとは見ていただくことにして(と簡単に言ってみたけど)、大聖堂へと移りましょう。



 1300年に建てられたと言われるトゥルク大聖堂は、トゥルクのみならずフィンランドで最も歴史ある教会とされています。
 もっとも、15~16世紀に拡張され、19世紀の大火で尖塔と内部に大きな被害を受けたあと修復されるなど、建造時からの姿と現在のものは大きく異なるようです。



 中に入ってみました。この日は空がどんよりとしていたせいで、中にはあまり光が届きません。



 装飾が施された説教台。



 正面の宗教画。キリストの復活を表したものですね。画風を見る限り、15~16世紀の拡張時に描かれたものではないかと推測しました。



 奥に見えるパイプオルガン。機会があれば聴いてみたかったのですが、そううまくはいきませんね。



 大聖堂正面のすぐそばにあった銅像は、16世紀にトゥルクの司教を務めたミカエル・アグリコラのものです。
 アグリコラはフィンランドに宗教改革をもたらした人物であり、その過程で多くの宗教所をフィンランド語で記したことで、フィンランド語の書き言葉を確立させました。
"KIRJOJEN PUUTARHA"ミカエル・アグリコラのページを参照)

 さて、ここからトゥルクのもう1つの見どころ、トゥルク城に移ります。距離があるので、マーケット広場まで歩いてからバスに乗ります。



 途中の道でこんなものを見つけました。イラストを見るに、明後日の8月6日に合わせて折り鶴を折るのでしょう。遠くフィンランドでこのような会があるとは予想していませんでした。



 トゥルク港行きの1系統のバスに乗り、トゥルク市内を横断するアウラ川とつかず離れずのところを西に走ります。
 12,3分ほどで、トゥルク城の前に着きました。この入口をくぐって中に入ります。



 こちらがトゥルク城。13世紀に当時フィンランドを支配していたスウェーデンによって建築されて以来、トゥルクを守る要塞として利用されてきました。
 その後、一時場内が荒廃した時期もあったようですが、現在では歴史博物館として整備されています。



 城内で日本人のツアー一行を見かけました。トゥルク城は大聖堂と並び、トゥルクの主な見どころなだけに、観光コースに取り入れているツアーもあるのでしょうね。



 城の建物の中に入ると、さすが要塞だけあって、中の作りは複雑です。しかも昔の石造りですから足元がよくないところも多く、とにかく足にきます(苦)
 ただ、中にはこのように豪華で広々とした部屋もあります。



 建物の外も、入り組んだ作りになっています。



 一直線で進めないようにしているのも、ここが要塞だからなのでしょう。



 ここで行き止まり。下手に攻め入っても、ここに追い込まれたら袋の鼠ですね。



 城の外に出てみました。これだけ見ると、昔の倉庫と言われても納得してしまいそうです。とはいえ、なかなかに迫力のある造りをしています。

 トゥルク城を見学したところで、バスでホテルまで戻りましたが、さすがに疲れました。
 まだ18時半なので、一休みして夕食に出かけようと思ったものの、知らないうちに寝入ってしまったらしく、気がつけば21時半。
 どうしようかと考えようにも眠気がおさまらず、そのまま2日目の夜は過ぎていきました。


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