にわか日ハムファンのブログ記念館

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〔2011夏 東北・北関東の旅〕第2部(1):空路仙台へ

2011-09-12 05:46:30 | さすらいブロガー旅情編
 北関東と福島を旅してから10日ほどのち、今度は東北へと向かった。東北のJR、第三セクター、私鉄各線を乗り歩きつつ、鉄道を通じて東北の日常を見る、というのが、今回の目的らしいものとなる。
 今回は貯まったマイレージのおかげで東北までの往復に飛行機を使えるので、鉄道での移動は東北地方内のみになる。そこで、定番の青春18きっぷ(以下「18きっぷ」)ではなく「北海道&東日本パス」を使うことにした。
 解説すると、「北海道&東日本パス」はJR北海道とJR東日本の全線の普通列車自由席と急行「はまなす」の自由席が7日間乗り放題というもので、18きっぷより期間が2日間長いうえに値段が1万円と安い。
 ただし、18きっぷの場合は使用日が連続していなくてもいいのに対し、「北海道&東日本パス」は7日間連続で使うことになる点は注意が必要となる。
 また、18きっぷは全行程が同じならば複数の人が1枚のきっぷをシェアすることもできる(人数=日数で計算する)が、「北海道&東日本パス」では、仕組み上これは不可能となる。
 なお、一部例外を除いて新幹線を含む特急に乗ることができない点は18きっぷの場合と同じである。
 今回予定している旅行日数は5日間。なので2日分を無駄にすることにはなる。とはいえ、それでも18きっぷより1,500円安くなるのだから使わない手はない。というわけで、福島を訪れた際に入手しておいたのであった。
 実は、「北海道&東日本パス」はJR北海道・東日本管内での発売が基本で、関西でどこで売っているのかが分からない。そもそも売っているのかどうかも分からないので、同管内に行った時に買うのが一番確実なのだ。
 ともあれ、きっぷの手配や宿の手配も何とか済ませ、無事出発することができた。



 伊丹空港から、再開されたばかりの定期便で仙台へ向かう。仙台への航空便自体は早くから再開されていたが、それらはあくまでも臨時便であり、平常通りの運航に戻ってからはまだ1ヶ月も経っていなかった。
 実は、往路の航空便を仙台行にすることは早くから決めていた。マイレージの使い方としては勿体ないが(この辺の思考は関西人特有のものだ)、どうしても仙台空港ぐらいは見なければならない、という思いがあった。
 先程も書いたように、「鉄道を通じて東北の日常を見る」ということが、今回の旅の目的らしいものである。そして、その日常から東日本大震災の影を消すことは誰にもできない。

 私を乗せた満席の小型ジェットは定刻をわずかに遅れて出発するも、その後は順調に飛行を続け、やがて降下を始めた。眼下には南東北の山間地域、しばらくすると猪苗代湖と思しき湖も見えた。
 このまま内陸を通って着陸するのかと思った矢先、私の視界、飛行機から遥か下方に海岸線が見えた。
 飛行機はいったん海上に出て、旋回しながら高度をさらに下げ、再び海岸線を再びまたいでいく。
 最初はおぼろげにしか見えなかった海沿いの風景……いや、大震災5か月後の宮城県太平洋沿いの状況が、今度ははっきりと見えた。
 そして、その光景に私の思考や感情すらも追いつかない間に、飛行機は仙台空港に着陸した。
 目の前に点在するがれきの山、ターミナルビルの奥には、かつて飛行機であったはずの、しかしもはや飛行機と呼びがたい折れ曲がり方をしたいくつもの物体。
 そんな中を一日十数便の飛行機が離発着し、多くの人々が往来しているのだ。彼らの「日常」として。
 おそらくは、16年前、倒壊した家屋を見ながら毎日通学し、途切れた高速道路を「日常」として受け入れていたのと同様に。

 飛行機がターミナルビルに到着し、私はそのまま機内から離れ、空港に降り立った。



 仙台空港と仙台駅を結ぶ連絡鉄道は一部で運転を再開していたが、仙台空港と隣の美田園との間が不通のまま。当然ながら仙台空港駅も閉鎖されていた。



 仙台空港駅のホームでは、列車が一本閉じ込められたまま。



 連絡鉄道が一部不通のため、仙台空港から市内までは、直通の臨時バスと美田園までの代行バスが運転されている。鉄道の状況を知りたい私は代行バスを利用した。
 代行バスは空港のバス乗り場を出ると、ロータリーからすぐ脇道に折れ、海からほど近い細い道へと出た。
 宮城県、仙台市付近の太平洋沿岸地域。平坦な土地が海から遠くまで続く地域。この地域の状況は、メディアで繰り返し伝えられてきたし、私も何度となく目にしてきた。
 ただ、今、私はその状況を、ほかならぬ私自身の目で見ている。これが現実であることから目を背ける術もなく、目の前の現実に何をするでもなく、ただ、走り去るバスのガラス越しに、それを見ている。
 バスの車内では、誰の話し声も聞こえない。誰も何事も発しない。
 窓の外には確かに家があった。田畑があった。人々が暮らす「日常」が、そこにはあるはずだった。
 しかし、今私の目の前にある世界は、その「日常」がすべて奪われた世界であった。人々の息吹が、その痕跡だけを残してすべて消し去られた虚無の世界であった。
 私が目にしているのは、バスのエンジン音だけが聞こえる世界。車内も車外も、あり得ないはずの静寂に制された世界だった。
 私はその世界を、写真に収めることができなかった。
 迷いがなかったと言えば嘘になるが、この世界を写真に収める自分を想像したとき、私はその自分を是認することができなかった。
 どこからか、携帯のシャッターを切る電子音が聞こえた。私はその音を忌々しく思った。携帯のカメラではなく、あまりに無邪気な電子音を、生まれて初めてといっていいほど強く忌々しく思った。
 バスは次第に海から離れ、車外の様子も変わっていく。「静寂」の世界から、いつの間にか人々が暮らす風景の中に入っていく。



 ほどなく、バスは美田園駅前のターミナルに到着した。仙台空港を出て10分ほどであった。美田園では折り返しのバスで空港を目指す人々が行列を作っていた。



 美田園駅の改札では、七夕飾りが飾られていた。仙台というとどうしてもこちらの飾りの印象がないのは、私がステレオタイプに囚われているからなのだろう。



 こちらは「仙台らしい」七夕飾り。



 見えにくいが、和歌山電鐡からのメッセージが寄せられていた。



 階段を上がると、仙台行の電車がすでに止まっていた。この駅で折り返して仙台に向かう電車である。



 ホームから仙台空港方面を見ると、信号に板が打ちつけられ、ここから先には進めないことが示されていた。
 本来あるべきではない終着駅。それがいつ元の姿に戻るのか、この時にはまだ明らかにはなっていなかった。


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