にわか日ハムファンのブログ記念館

2004年8月から2014年6月にかけて更新してきた当ブログを静態保存しております。

さよなら交通科学博物館(後篇)

2014-04-03 06:47:49 | 関西は燃えているか
 交通科学博物館第2展示室から、本館に戻ってきました(前篇はこちら)。



 企画展示コーナーでは、52年の歴史を振り返る最後のさよなら企画展が行われていました。



 弁天町に交通科学博物館ができるまで。当時の弁天町は環状線が開通して間もなく、建物もまばらでした。



 52年前、華々しい開館の模様。アドバルーンも、最近ではあべのハルカスのオープンで上がっていたものの、それを除けばあまり見かけなくなりました。



 歴史を感じさせる展示模型。かつての国鉄・私鉄の名車に加え、当時は「未来の乗り物」だったモノレールもあります。



 博物館の目玉であり続けた0系新幹線の展示。かつての「未来」はいまや「歴史」となり、博物館の生命を超えて引き継がれていきます。



 企画展の歴史を振り返るコーナー。



 中には、こんな企画も。プロ野球の歴史は、かつて鉄道の歴史とともにあったのです。とくに、この関西では。



 そして、交通科学博物館が誇るジオラマ。手動運転でこれだけの規模のものは、もうほとんど残っていないのでしょう。
 このジオラマは博物館と運命を共にします。非常に惜しいことですが、新博物館に移設するにはあまりに大き過ぎ、なにより、技術が古びてしまったのでしょう。
 もうすぐ終焉を迎えるジオラマの前に、多くの人々が詰めかけています。



 残り少なくなった模型運転が、もうすぐ始まります。



 先頭を切るのは、やはり0系新幹線。



 手前を走る特急「はまかぜ」とすれ違う、トワイライトエクスプレス。ブルートレインの系譜を引く豪華寝台列車も、北海道新幹線の開通によって姿を消すと噂されています。



 JR西日本の技術の粋を集め、新幹線の未来を担う、はずだった、悲劇の前衛車両500系。



 サンダーバードとともに。新博物館でも、500系は走ることができるのでしょうか。新たなジオラマができるのかどうかは分かりません。
 さらに、新幹線N700系、東北新幹線E5系、サンライズエクスプレス、通勤型電車、貨物列車、SL……さまざまな列車が走り抜け、15分ほどの展示運転が終わりました。



 車両基地で休む各車両。



 かつての関西の花形快速電車。今はエースの座を譲りましたが、それでも大阪近郊で走り続けています。



 文字通り昼夜を問わず活躍し続けた寝台電車。ほんの2年前まで、急行「きたぐに」として見ることができました。



 残り少ない出番を待つ、さまざまな車両。閉館後のことについては、何も分かりません。



 展示はまだあります。模型車両の奥には、かつて天王寺駅に掲げられていたモザイク画。



 手前には、2代目京都駅を飾ったシャンデリアが保存されています。



 博物館はこれらの展示だけではなく、運転シミュレーターや自動ドアスイッチ、そしてこの発車時刻表など、来館者が自らさまざまな設備を動かせるのも売りにしていました。
 最後の記念に、オリジナルサイズ画像もこちらにアップします。



 博物館に集められたSLの銘板。



 おそらく今は亡き機関車たちが、かつて確かに存在したことを示す記録です。



 博物館への憧れを誘った食堂車。最近は来館者が多いために通常のメニューはもはや提供できず、駅弁を売るようになっています。
 とりあえず妻と並んでは見たものの、中で食べるのは、待ち時間も長かろうし無理だろうと諦めていたら、幸運にも2人掛けの席が偶然空いたとのこと。



 駅弁の種類は多く、本当に迷った末、私はこちらのものに決めました。



 博物館の閉館を記念した特製のお弁当です。



 2段のお重には、たこめしや、季節を感じさせる桜餅。春、別れの季節です。



 交通科学博物館の閉館後には、京都に鉄道博物館が新たに設立されます。既にある梅小路蒸気機関車館と合わせ、大掛かりな施設になるようです。



 残り少ない日々を惜しむ人々で賑わいを見せる、交通科学博物館。名残は尽きませんが、長きにわたって役割を果たし続けた博物館が、あくまで発展的解消を遂げることに、救いを感じる部分もあります。
 最終営業日は、今月6日の日曜日。今日を入れてあと4日で、その半世紀以上の歴史に幕を閉じます。


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