ホントは今日締め切りの原稿があるので、こんなことをやってる場合じゃないんですが、どうしても何か書きたかったので、取り急ぎ。
■ 古田兼任監督が涙の退団&引退会見(ニッカン・2007年9月20日)
古田兼任監督が会見で選んだのは、9月19日。
不覚ながら、私は記事を見るまで気づかなかったのですが、2004年、ストライキを決行した2日目が、9月19日だったんですね。
3年前、あの暑く苦しい夏以来、私をはじめ多くの野球ファンにとって、古田敦也という存在は、何物にも代え難い大きなものとなりました。
それ以来、彼はファンのため、選手のため、もちろん自分のために、あらゆるかたちで戦い抜きました。
その戦いは、本人にとって満足のいくものでは決してなかったでしょう。
だけど、少なくとも私にとっては、戦ってくれたこと、最後まで戦い抜いてくれたこと、それだけで十分です。
結果を見て評価できるかどうかの問題じゃない。普通なら諦めてしまうような逆境の中で戦い抜いたこと……
選手会長として、老獪な経営陣、メディアの中傷、強硬なファンに挟まれながら戦い抜いたこと、
兼任監督として、続出する故障者、ままならぬ補強、自身の負傷と衰えにもめげずに戦い抜いたこと、
それだけで、もう十分ではないでしょうか。古田以外の誰に、ここまでのことができたのか。
本当は、これで終わりにしてほしくない。状況が変われば、まだできるはず。そう思っているのも事実です。
でも、
「立ち上がるな もうそれで十分だ」
(アリス「チャンピオン」より)
これまで戦い抜く姿を、われわれに見せてくれたことへの感謝、
そして、戦い抜くよう強いざるを得なかったことへの悔悟の気持ちを込めて、
古田監督・選手には「お疲れ様でした」と申し上げたい。
いつかまたグランドで会う日が来るでしょう。それは、そう遠くない気がします。
でも、その日までは、誰かのために戦うのではなく、自分のためだけの時間を楽しんでほしい。そう思っています。
※ 本日のトップ画像は、カネシゲ監督が2004年に作成されたフリー画像です。
■ 古田兼任監督が涙の退団&引退会見(ニッカン・2007年9月20日)
古田兼任監督が会見で選んだのは、9月19日。
不覚ながら、私は記事を見るまで気づかなかったのですが、2004年、ストライキを決行した2日目が、9月19日だったんですね。
3年前、あの暑く苦しい夏以来、私をはじめ多くの野球ファンにとって、古田敦也という存在は、何物にも代え難い大きなものとなりました。
それ以来、彼はファンのため、選手のため、もちろん自分のために、あらゆるかたちで戦い抜きました。
その戦いは、本人にとって満足のいくものでは決してなかったでしょう。
だけど、少なくとも私にとっては、戦ってくれたこと、最後まで戦い抜いてくれたこと、それだけで十分です。
結果を見て評価できるかどうかの問題じゃない。普通なら諦めてしまうような逆境の中で戦い抜いたこと……
選手会長として、老獪な経営陣、メディアの中傷、強硬なファンに挟まれながら戦い抜いたこと、
兼任監督として、続出する故障者、ままならぬ補強、自身の負傷と衰えにもめげずに戦い抜いたこと、
それだけで、もう十分ではないでしょうか。古田以外の誰に、ここまでのことができたのか。
本当は、これで終わりにしてほしくない。状況が変われば、まだできるはず。そう思っているのも事実です。
でも、
「立ち上がるな もうそれで十分だ」
(アリス「チャンピオン」より)
これまで戦い抜く姿を、われわれに見せてくれたことへの感謝、
そして、戦い抜くよう強いざるを得なかったことへの悔悟の気持ちを込めて、
古田監督・選手には「お疲れ様でした」と申し上げたい。
いつかまたグランドで会う日が来るでしょう。それは、そう遠くない気がします。
でも、その日までは、誰かのために戦うのではなく、自分のためだけの時間を楽しんでほしい。そう思っています。
※ 本日のトップ画像は、カネシゲ監督が2004年に作成されたフリー画像です。
『代打・オレ』Tシャツを「誠」はっぴの下に着て、ドームに応援に行ってきました。特に、稲葉の激走が見れて、大満足な試合でした♪
いろいろと申し訳けありませんでした。悪気は全くなかったのですが、浮かれていたのは事実です。
今日を持ちまして、しばらくここから退場することにいたします。
古田が何らかの形で現場復帰する頃、修行を積んでまた戻ってくるかもしれません。できましたら、そのときは、どうぞ、暖かくお相手してやってくださいませ。
いろいろとご忠告ありがとうございました。
上位との対戦で存在感を示すことで、古田の花道を飾って挙げられたらいいなぁと思います。
こちらもいろいろと出すぎたことを申してしまい、恐縮です。
古田が現場復帰といいますと、そう遠いことではないでしょう。その際は、よろしくお願いいたします。
2004年9月、あのどうしようもない合併は止められなかったけど、新球団の参入を認めさせて12球団の枠組みを維持できた。古田選手会長と選手会は出来る限りのことをやってくれたと思います。
願わくば二度と、合併による球団消滅なんてことが起きませんよう。そしていつかはNPBもエクスパンションして14球団、16球団と各地に広がってほしいものです。
動かない画面の中で、彼は努めて明るく振る舞っていましたが、記者から「選手へ一言。」「ファンへ一言。」の問いに対して、彼は、遂にうつむき、画面も彼を追って動いてしまいました。
スポーツ紙には、苦悶の表情の彼の顔がありました。
主力のケガ・自らが退いた後の捕手陣の経験不足、監督という要職に就いた者ならば当然の責任ではありけれど、それでも日本一の捕手としてヤクルトスワローズを支え続けた功労者である事は誰もが認めるところだし、監督就任前から「イケるかも?」と期待があったのもまた事実。
「お疲れ様」と言ってあげて、ただそっとしておいてあげたいです。
私も、古田はできる限りのことをしてくれたと思っています。
その結果は、必ずしも100%のものではなかったけれど、でも、彼は一番大事な「希望」というものを守ってくれた。
今のプロ野球も、四国・北信越の独立リーグも、きっとその「希望」とつながるものだと思いますし、
だからこそ、私は古田を評価したいですし、感謝したいと思うのです。
彼を取り巻く環境は、特に兼任監督になってからは厳しいものだったと思います。
でも、彼はそんな環境に果敢に立ち向かった。そのことこそが大事なんですよね。
今シーズンが終わったら、ゆっくり自分の時間を過ごしてほしいですよね。
それだけに、まずはそっとしておくことが一番いいと私も思います。