【沢田富美子「ちょっと春風」】
日本芸能史上、神話化された歌手がいる。1980年に引退した山口百
恵がそのひとりである。その後、1980年代の先陣をきって松田聖子が
デビュー。聖子に続けとばかりにアイドルが次から次へとデビューし
ては、消えていった。この中で一握りの華やかなスーパーアイドルの
陰にひっそりと隠れ一瞬の輝きを放ったアイドル。
そう、それが「A級アイドルを支えたアイドル」だ。
すでに1970年代後半には、讃岐裕子(後に柏原よしえがカバーした
「ハロー・グッバイ」を歌う。しかし元々はアグネス・チャンの曲。)
森まどか(後に小泉今日子がリメイクしてリリースした「私の16才」
の原曲「ねえ・ねえ・ねえ」を歌う。)、久我直子らがいた。さて、
1980年代を少し覗いてみよう。
1.日高のり子
1980年12月CBS・ソニーから「初恋サンシャイン」でデビュー。
後にアニメ声優となる。
2.沢田富美子
1981年 4月CBS・ソニーから「ちょっと春風」でデビュー。正式
には1979年12月に「沢田冨美子」の名でプレ・デビュー。1986年に、
桜井真里亜の名で復帰。歌唱力は抜群だったが、きれいなお姉さん系
であったため「アイドル」で売り出す。しかし、事務所が松田聖子に
力を入れていた影響を受けたのは、不運であった。
3.横須賀昌美
1981年 9月ワーナー・パイオニアから「恋のマグニチュード」でデ
ビュー。例の写真週刊誌にニャンニャン写真を掲載され、ジ・エンド。
4.新井薫子
1982年 3月TDKから「虹いろの瞳」でデビュー。前半は正統派ア
イドルものをリリースしていたが、後半は「音頭もの」。
5.可愛かずみ
1984年 5月CBS・ソニーから「春感ムスメ」でデビュー。名作ド
ラマ『トライアングル・ブルー』に出演していた頃のリリース。
横須賀昌美はジ・エンドではありませんよ。
ヌード写真集で復活し、今は「横須賀よしみ」とひらがな改名、小活躍しています。
河愛かずみの自殺は痛ましかったね。
アイドルと思われてるけどにっかつロマンポルノ出身だよね。
>横須賀昌美はジ・エンドではありませんよ。
はい。それも正解。
考え方は人それぞれ。
それでいいのではないでしょうか♪
アイデアル。ありましたね~♪
「なんである。あいである。」
っつ~やつですね♪
実は、私の好みのタイプでした。あんまりヒットはなかったですよね。「音頭もの」ってあったんですか。全然知りませんでしたぁ。新発見でした。
本日(6月2日)は東京Dでアウェイ観戦排他で打ちひしがれておりましたが、このトビを発見してかなり気分転換になりました。
ちなみに当時の小生は「B4」は別格として、邦楽は松山千春や柏原よしえ(芳恵)あたりを好意的に聴いていたものです。
○ アウェイ観戦敗退 です。失礼しました。
新井薫子の「音頭もの」とは
「大和撫子"春"咲きます」「OH!新鮮娘」
あたりを指しています。
麻丘めぐみ「私の彼は左きき」をリメイクした
あたりから路線が変わり、上記の2曲に続きます。
「音頭もの」と表現するよりは、「パロディ」と表現したほうが
より的確でしょうか。
現在で言う「バラドル」の素養があったの
かもしれませんね♪
まいどです。
いやぁ~さすがに「殺到」まではいきませんねぇ。
まだまだ修行が足りません♪
今回のG戦はインボイスでの戦いが
あまりにもうまく行き過ぎましたので
反動が来るだろうと見ています。
・・・といっているうちに
3日もスンヨプにやられました。
エラー挽回の清水にも・・・(^^;
西口、別サイトで提案した通り
前向きな「回避」でしょうか?
ところで。柏原よしえ。
後楽園球場にF-L戦を観にいったとき
彼女がデビュー曲「NO1」を
営業で歌っていたのを生で見ました。
この後、A級アイドル編で取り上げる
予定です。