【懸賞金】
昨今、大相撲についての話題を目に、あるいは耳にする機会が増加
しました。近々では「九州場所の不入り」と「行司のしこ名呼称ミス」
ですね。
しこ名を間違って言ってしまったことについては、その行司さんを
責める責めないという議論よりも、間違ったことに対する本人の意識
の問題だと思うわけです。他人がとやかくいうものではありません。
わたしの感覚では、「相手の名前を間違って表現すること」は「相手
に対してたいへん失礼だ」と思うので、そのようなことがないよう、
常に心がけています。しかし、そこは人間。間違えるときもあります。
先日もメールで相手の氏名(漢字)を間違って入力し送信してしまい
ました。送信直後「あっ」と思い、直ちに「お詫びのメール」を送信
しました。
・・・
本題の前置きが長くなりました。今回の話題は、高見盛関について
です。高見盛関といえば、「懸賞金」。特に永谷園のそれは、とても
インパクトがあります。実は九州場所前、同社とのテレビCM契約を
1年間延長することが決定しました。これで契約は5年目を突入しま
す。そのせいかわかりませんが、九州場所も初日から3連勝スタート
でした。
高見盛関の人気は衰えを知りません。永谷園広報担当は、「社内の
評判も高いし、十両に落ちない限りずっと続くのでは」と予想してい
ます。「前はいろいろな力士がCMに出ていたけれど、今は僕だけと
いうのは寂しい。もっと相撲人気を高めて、いろいろなやつが出てほ
しい。そのためにも相撲を盛り上げないとね」。高見盛関のコメント
です。あの愛嬌のある表情の中にも、真面目な視線で記者の顔を真っ
直ぐ見ながら・・・。彼こそ「プロ」です。
彼の人気の高さのひとつの要因は、「親しみやすさ」でしょうか。
あの「パフォーマンス」について、いろいろと意見もあるようですが
わたしは「彼の純朴さ」が、あの一連の動きや表情の中に凝縮されて
いるのだと思うのです。そして「ひたむきさ」。これが観衆に伝わる
からこそ、多くの人の共感を得るのではないでしょうか。
・・・とこの記事を掲載しようとしていた矢先、高見盛関はケガで
休場してしまいました。完全に治してからまた元気な姿を見せてくだ
さい。
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前は好きだったんですよ。ほんと。
朝潮が優勝したときなんか、夜行列車の中でラジオ聴いていたんだけど、泣けたなぁ。
なんつーか、モンゴル大相撲みたいになっちゃって、日本の伝統芸能的雰囲気が消えちゃったなぁ。つまんないんだよね。
不祥事多いし。
時代に合わないんだなこりゃ。
「親しみやすさ」説ですね。
とにかく感情は全部出すタイプなのでわかりやすい点があります。
永谷園のCMではないですが、負けたときの悄然と引き上げる
様子などは「負けても絵になる」数少ない力士と言えましょう。
小生の説は上手く表現できないのですが、強いて言うなら
「没個性へのレジスタンス」とでもしておきましょう。
大相撲もスポーツである以上は詳細なルールが定められており、
各力士はそれを守らんとして規律に身を適合せんと努めます。
それはもちろん大切な所作なのですが、反面各力士の個性が
埋もれて皆似たり寄ったりに見えてしまう弊害も否めません。
特に平幕同士の取組は実力も平均化しているため、残念ながら
相撲内容的にも単純な取組が続いてしまうことはあるようです。
幕内前半戦が時として淡々と進んでしまうのは残念なことです。
そんなとき、「おっ、アイツは他のヤツと何か違うぞ!」と期待を
持たせる力士が颯爽と土俵に上がれば、桝席で飲食に耽る客の
視線さえも土俵に向けることが出来ると思われます。
ましてやTV桟敷のファンをや!
永谷園さんの思惑にハマるわけでもありますが…
彼のパフォーマンスはまさに「没個性へのレジスタンス」であり、
以前北の湖理事長がこれに苦言を呈したこともあるようですが、
彼の休場で本場所がさらに閑古鳥となればその見識を改める必要が
あるでしょうね。
「朝潮」「夜行列車」。
時代を感じますね・・・。
相撲人気の回復のためには
もちろん、相撲の質が向上が必要です。
しかし、それだけでしょうか。
>「没個性へのレジスタンス」
なるほど。キャッチーですね。
そういう意味では北桜も好感がもてます。
相撲の質といえば
最近はがっぷり四つになり力比べという相撲を
あまり見ませんね。
いっときの「貴ノ花対輪島」のような。