落ちこぼれ整体師ぐんの施術日誌

大人の女性のためのちょっとエッチなお話。

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愛は貸し借り無しで…

2009-07-31 11:35:57 | 普通の整体院で
人にモノを貸すということは、なかなか厄介なことで、考えてしまうことがある。

貸したことで余計な考えを背負い込こまなければならないからで…、いつ返してもらえるかな?とか、返してとも言いづらい局面だってある。いいや、あげたと思えばいいんだから…と何故か貸した方が弱い立場に立たされる場合だってある。

けれど、人間関係はこの貸し借り無しでは成り立たない。モノに限らず、アクションを起こすことに対しての気持ちの整理が貸し借りの時の心理状態を作り出す。

愛情を覚え、尽くす行為にこの心理状態が伴うと本当にその愛情を自分に問いただしてみるべきです。

愛しているのなら報われない愛でもいいはずでは…?

でも、人は何かを求めます。求めなければ生きているとは言えないから…。

自分の求めていることを追究して、誰かに文句を言われる筋合いはないのです。

生きている限り、求め続けるべきです…貸し借り無しで…誰のためでもなく、自分のために。

死と快楽

2009-07-29 17:50:18 | 普通の整体院で
死への恐怖感は計り知れません。

愛する人と死別することは想像するだけで耐えられない気がしますが、必ずやって来ます。そして自分の死も…。

死の圧倒的な力は人間を虚無的に叩きのめします。死を意識すると、生命の無力感に佇んでしまいがちですが、体の声を聞いていると生命を感じることが出来ます。

自分の体が今何を求めているのか…?

それを感じて、純粋に求めていけば死への恐怖を払拭できます。

快楽に身を震わせることこそ命を輝かせるもっとも身近な行為だと言えるのではないでしょうか…。

快楽は死に対抗する強い味方なのです。。。

目線

2009-07-25 11:34:08 | 普通の整体院で
見られていることを意識している女性は相手目線なので、その時点で自分を失っていると言えます。

人を意識しすぎると、自分を失う。

単純な理屈ですが、あまり気がつきません。

特に性的なことは自己満足の最たるものなので、自分を失っていては当然自分を癒すことなど不可能なのです。

性的な欲望は自分本位であっていいのです。

ただベッドに横たわってマッサージを受けて見ればはっきり解ります。何も考える必要はありません。女性であるというだけで感じられる悦びを体感できるのです。

自分に目線を合わせれば自分がいま何を求めているか自覚できるはずです。

人生は短く、生命の輝きは永遠ではありません。。。

才能

2009-07-23 21:43:41 | 普通の整体院で
狭い世界で生きるほど才能は開花するような気がします。

ひとつの事象をどこまでも掘り返して、そこに新しい発見を期待することこそ、その分野での才能を進化させる王道なのではないでしょうか…?

セクシャルヒーリングという狭い分野でぐんはいつ才能を開花できるのだろうか。。。そもそもそんな分野は一般的に認知されていない…。
扱うものがデリケートなだけに、なかなか才能を披露できずにいるのがもどかしい。。。

施術で女性を癒すことがヒーラーの勤めなのですが…まだまだ必要とされていない現実に自分の存在意義を問いただしてみる。

俺はこのままでいいのだろうか…?

どうしたら、実際に施術を受けてみたいと思った女性に足を運んで施術を受けに来ていただくことが出来るのだろう…。

越えなければならない壁はヒーラーの側にも確実にあるのです。

当たり前のことが・・・

2009-07-22 23:37:47 | 普通の整体院で
皆既日食で気がつきました。。。

やはり当たり前のことはありがたくないと感じる・・・。

太陽がいつも頭上に輝いているから、暗闇さえも感動出来てしまう。

当たり前がなくなると、とても新鮮な気持ちになるのです。。。

当たり前に愛情を与えてくれる人はやはりありがたくないのです。

失ってからはじめて、そのありがたさがわかります。

太陽は一瞬でも失われてしまうと人間は大騒ぎしてしまうから・・・。

人間はとても贅沢な生き物です。。。





恥ずかしいの基本

2009-07-22 08:05:45 | 普通の整体院で
恥ずかしい感覚は自分の基準です。

基本的には自分のことを相手に知ってもらうときそういう感覚になります。

つまり、他者との関係がなければ恥ずかしいと感じることもないのです。

でも、恥ずかしいと感じても、得たい感覚があります。

それが性的な快楽です。

恥ずかしいを超えて、感じてみてください。

きっと今の自分をクリアできるはずです。そして、女性である理由を知ることができると思います。

あなたを美しく魅力的に施術いたします。

施術のお問い合わせお待ちしております。

2009-07-20 22:59:47 | 普通の整体院で
裸の自分をさらすことは自分を受け入れられて初めてできる行為ですが、もちろん相手を受け入れなければ出来ない行為です。

裸になるということは、すべて解放され、自由になります。

だからこそ、そこに真の快感が存在するのです。

そこが始まりなのですが、ほとんどの人が自分の意思で始められないでいます。

自分の意思で裸になれない現実。。。

人は何に惑わされているのでしょうか・・・?

生きているのは自分なのに、他の何者かによって生かされているようなもどかしさが裸になれない自分の根本に存在しているのかもしれません。

いろんなことから解放されて癒されてみたら、裸になれた本当の悦びを感じられると思います。

生命はそこから始まるのです。。。




あの人が好きな理由

2009-07-20 13:40:57 | 普通の整体院で
自分のことがたまらなく嫌になることがあるのに、どうしてあの人は自分に好意をもってくれるのだろう・・・?

たぶん自分の見えないところを見てくれているからだ。。。

でも、自分が見えている嫌なところ、あの人に見られたら、きっと嫌われる・・・。

あの人が見てくれている自分の見えないところをさがして、自分を好きになったらいいじゃないですか。。。

自分が嫌いなところを好きでいてくれているかもしれないので、好かれようとしてあまり自分を変えようと無理をする必要はありませんよ・・・。

ありのままの自分を好きでいてくれるからあの人が好きなんです。。。

自分の魅力は自分には理解できませんから・・・好きでいてくれるだけでとても貴重な存在なのです。





対極

2009-07-15 23:11:13 | 普通の整体院で
アカデミー賞を受賞した「おくりびと」という映画の中で納棺師という仕事に就いたばかりの青年が初めて人に死に直面したときのシーンはとても印象的です。

シチュエーションは老人の孤独死でしょうか・・・。

腐乱死体を納棺しに行った現場で、彼は初めて人の死を目撃します。しかも腐った人間の死体を。

彼はショックを受け、家に帰っても食事が摂れないくらいの吐き気に見舞われます。でも、心配する妻に縋り付き、その妻の体を求めてしまうのです。

彼はおそらく死を目の当たりにして、生に向かって力の限りを出そうともがいていたのでしょう・・・。彼女もそんな彼の生命を受け入れる大きな母性があったのでしょう。。。

とてもいいシーンでした。生きようとする力が性的な面と結びついていて、いい演出だと感じました。

生と死は対極ですが、とても似ているのです。

羞恥と快楽も同じ位置関係かもしれません。

今の自分と対極を意識すると、自分の生命を理解できるかもしれません。




落ちこぼれ。。。

2009-07-14 10:50:45 | 普通の整体院で
「どうして落ちこぼれなの?」

blogのタイトルについている言葉について質問されたことがあります。

落ちこぼれは、ニュアンス的にはダメな人間の種類を意味して、いずれゴミになっていく暗示があります。

でも、落ちこぼれた世界は自分にとってそれほど重要なのでしょうか…?

落ちこぼれた先に、自分の世界があるかもしれません。

その他大勢の世界で無難に過ごすことが果たして生きている意味を実感できるのか…?

落ちこぼれた人間は最後の抵抗を絶対捨てるべきではないのです。

誰かの尺度で決められた場所から落ちこぼれても違う尺度から見たらトップにいるかもしれません。

だから落ちこぼれは落ちこぼれた意味を証明するためにずっと抵抗するべきなのです。

死ぬまで。。。